« 抽象と具象のあわいから~笹田敬子展 | トップページ | 7月のdBセレクション13 »

2005年8月14日 (日)

踊ることがもっている力

 「ダンサー+舞台俳優+マルチアーチスト」というふれこみで黒子さなえ、内田淳子、飯田茂実の同年齢の3人、そして若手ダンサーの野田まどかが加わった「で・ら・シ・ネ」(7月14~18日、精華小劇場)は、まず内田の声の変幻自在の強さに圧倒された。松田正隆率いる「時空劇場」の後半から、内田の役者としての魅力にはずいぶんノックアウトされてきたのだが、ここで内田が舞台の上でどこまでも役者であり続け、自分が定めた、あるいは定められた何者かであり続ける者であることを、改めて認識させられた。役者になるための、舞台に立つための存在なのだ。それは錯乱した者であったり嗜虐的な者であったりして、キリキリと客席までも苛み苦しめる。過剰や逸脱がそこにはあるが、それがいい意味で作品を破壊しないのは、役者の力量であるといえよう。それを引き出したのは飯田のテキストである、ということはできるが、何者かを演じるという点において、演劇というのはそのようなものだということもできるのではないか。
 というのも、それに対する黒子は、踊っている限りその身体はどうしても黒子の身体であるとしか感じられず、また考えられないからだ。もちろん黒子が黒子でなくなるための仕掛けはいくつか用意されていたのかもしれない。しかし、ダンスする身体の人称を変えるのは、やはり容易なことではない。その意味から、黒子は少し損な立場を与えられてしまったかもしれないが、その身体の人称の揺るぎなさが、内田や、何よりも野田のフィールドを広く広く用意することになったのではなかったか。
 後日、黒子に会ったときに、彼女自身いくぶんやりきることができなかったようなフラストレーションに近いものを感じているような様子が言葉の端々から感じられ、それに対して上述のようなことを言ったら、我が意を得たりとばかりに「そうなんですよ」と答えてくれた。黒子がこのような形で自身のダンサーとしての身体の重さに直面できたのだとしたら、それは今後に向けての非常に大きな契機となるのではないか。
 一方、野田には、ダンサーというよりもパフォーマーとして自由なフィールドを与えられたようだった。彼女がこんなにも自由に動き、声をあげ、存在感を膨らますことができたのは、やはり飯田の仕掛けによるもので、完全に狂気に憑依したようであったり、完全に「野田まどか」その人であるような素の言葉の語り手であったりと大きな振幅を与えられていた。野田には、衣裳に仕掛けたティッシュを撒き散らしたり、奇声をあげたり、吹き流しのようなものを抱えていざったり、様々な動作によって、自身を振れば振るほど続々といろいろなものが出てくるようなところがあるに違いない。以前dBで彼女自身の作品「涙ふく木綿のハンカチーフください」を観た時にも魅了されたが、これからどんどん多様な魅力が開花してくるに違いない。
 全体を概観して統一した完成度を云々するのではなく、個々の才能のスパークが攻撃的で、舞台芸術というものにはどうしてなかなか破壊力があるのだな、と思わせられた公演だった。

 ヤザキタケシは、松本芽紅見「ONE WAY」。フランスや高松では上演していた作品だというが、関西ではお披露目(7月9~10日、Art Theater dB)。カミ手の2人がシモ手の壁に向かって行く過程で、様々な脇道に逸れるという、シンプルな構成。随所にちりばめられたヤザキと松本の駆け引き、掛け合いがひじょうに愉快で洗練されている上に、炭坑でも掘り進むようにただ何ものかに向かって行く、という動きの直線性が、昨今のダンスには珍しい強さとなっていた。
 「space 4.5」といい、今回の作品といい、有り余るほどのアイデアや動きのボキャブラリーを持っている中で、設定を極力シンプルにすることで、コンセプトを明瞭化し、動きの細部をクリアに見せる作品を立て続けに送り出している。一つに、数多くの海外公演での経験から、コンセプトの明瞭化が厳しく求められるということもあるだろう。一方で、自分自身(のカンパニー)のアピール・ポイントが彼自身の中で明瞭化されているわけで、今後もこのような作品をマチュアにすることで次の世界が開けてくるのだと思う。

 dots「KZ」がよかったのは、強制収容所という強いテーマを置き、創作の過程でメンバーの協調度が相当高かったようで、個々のダンサーの方向性、動きの先に見据えているもの、動きの温度や湿度とでもいうようなもの…大変言葉を定めにくいのだが、そうとでもいうようなものが在り難いと思えるほどにかっちりとしていたことだ(構想・演出=桑折現。7月8~10日、AI・HALL)。屍体のようになった者らを引きずるという動きや、目隠しされた女が長年封印していた踊りを音楽によって呼び起こされておずおずと、自分の身体が自分のものであることを確かめるかのように動かし始める(ように見える)シーンなど、深く静かに感動をかみしめることができた。

 金森穣率いるNoism05が3人のコレオグラファーに作品を委嘱した「Triple Bill」で圧倒的だったのが黒田育世の「Last Pie」(7月23日、シアターBRAVA!)。シモ手前で30分余、鳥のように羽ばたいたり、あらゆる民族というものが根源に持つトラディションの元型を持っているという意味で、この世に現れた「初めての人」という姿で踊り続けた金森には、「神々しい」としか言いようがない。このように、極限かと思えるまで踊り続ける姿を見せられると、もう泣きたくなってしまう。技術面で何の不安もないことは当然だが、シンプルに、ただ踊るだけということの凄まじさに打たれた。

(PAN Press掲載分に加筆修正)

精華演劇祭「で・ら・シ・ネ」 http://www.seikatheatre.net/play.html
黒子さなえ(JCDNダンスファイル) http://www.jcdn.org/f-activ-a/kuroko.htm
ヤザキタケシ(アロー・ダンス・コミュニケーション) http://arrow_dance.at.infoseek.co.jp/
dots http://www.dots.tv/
Noism05 http://www.ryutopia.or.jp/noism/about.html

|

« 抽象と具象のあわいから~笹田敬子展 | トップページ | 7月のdBセレクション13 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 踊ることがもっている力:

» ダンス [演劇すきやねん]
ダンスダンス(''dance'')とは、感情や意思の伝達、表現、交流などを目的とした、一定の時間と空間内に展開されるリズミカルな身体動作。動物全般の非言語コミュニケーションの他にも、なんらかの規則性を持って行われているように見える無生物の動きを、ダンスと呼ぶこともある。ダンス用音楽のジャンルを指して...... [続きを読む]

受信: 2005年8月21日 (日) 07時19分

« 抽象と具象のあわいから~笹田敬子展 | トップページ | 7月のdBセレクション13 »