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2005年10月 5日 (水)

ヌサンタラ交響楽団-アジア・オーケストラ・ウィーク(2)

 大阪・福島のシンフォニーホールで開かれている「アジア・オーケストラ・ウィーク」、火曜日はインドネシアのヌサンタラ交響楽団
指揮/エドワード・ファン・ネス,矢崎彦太郎 
ピアノ/アナンダ・スカルラン 
曲目:
ヤズィード・ジャミン/「ニ・ロンゲン」~スンダの太鼓とオーケストラのための~ (日本初演),
オット・シダルタ(クリス・ワトソン 編)/「ジャンゲラン」~バリの伝統楽器とオーケストラのための~ (日本初演),
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調,
ベートーヴェン/交響曲 第7番。

 ヌサンタラとは、島々という意味、つまりインドネシアを表わしているとのこと。海外公演は今回が初めてということで、相当な意気込みでの来日だったと思われる。1988年に室内オーケストラとして設立され、'98年に交響楽団と改称したらしい。

 「ニ・ロンゲン」は、民族衣装の男性が指揮者の傍らに座って、数種類の大小の太鼓を演奏。太鼓の音色も印象深かったが、メロディが流麗、優雅で、ちょっと映画音楽を思わせるような印象。おそらくは海や島々の自然の美しさ、夕日、その中での人間の営みとして太鼓が貫入する、そういったイメージで聴いていた。いい意味での大衆性のある曲であり、これを聴いたインドネシアの人たちは、自分たちの曲であるとアイデンティファイできるのではないかと思われた。日本の現代音楽では、そのようなことはなかなかないのではないか。叙情的な旋律を奏でる弦楽器が特に美しく、相当な実力のあるオーケストラであると思われた。

 「ジャンゲラン」は、ガムラン、バリ舞踊とオーケストラによる作品。ガムランの鋭い音が始まった途端、舞踊手ラクシュミ・インダー・スカティがシモ手からササーッと走り込んで来て、いわゆる伝統的バリ音楽・舞踊が始まる。続くパートでは、その旋律をなぞるようにトランペットをメインとしたオーケストラが、まずは単純な旋律を奏でていく。それが徐々に複雑に、いわゆる現代的になっていき、そこにガムランが加わり、というふうに、複雑化と融合のプロセスをたどっていく。それがこの作品の眼目であると思われた。
 伝統そのものであるガムランやバリ舞踊と、欧米=近代そのものであるオーケストラが、幸福に融合し、高度化、複雑化していくことは、これまでのインドネシアの発展してきたプロセスでもあり、今後の道標でもあるのだろう。そういう意味でのわかりやすいコンセプトが見て取りやすかった。
 特に後半の、オーケストラ+ガムラン+舞踊のコラボレーションは、民族的な高揚とオーケストレーションの面白さの両者が満足された、高質な作品になっていたと思う。アンコールでサイド演奏されたことからも、自信のほどが伺われる。
 舞踊手のスカティは、ずいぶん若い女性ダンサーで、バリ舞踊としての力量についてぼくにはなんとも判断できないが、クルクルよく動く眼球、指使いの美しさ、猫のように「すばしっこい」という印象のあるほどのすばやい動きなど、魅力的だった。

 このあと休憩なしでラヴェルのピアノ協奏曲。民族的な音楽の後で、ラヴェルがずいぶん混沌的に聞こえたのが面白かった。ただ、ピアノも管楽器も、もっとおおらかに歌えたのではないかと思う。ジャズを思わせるようなリズムのある部分でも、もっと乗れたのではないかと思う。

 ということで心配されたベートーヴェン交響曲第7番は、20分の休憩の後の演奏。先にも述べたように、弦楽器はふくらみがあり、音色も豊か。木管もなかなかのものだった。率直に言って、金管の、特にホルンにややミスが目立ったのは残念。もう少し量感がほしいと思ったり、少しばらつくような感じに聞こえた部分があったが、大きな欠点ではないように思われた。
 しかしながら、特に第2楽章(葬送行進曲とも言われる名曲)で、一種のドライブ感が感じられたことには驚いた。その勢いを受け、アップテンポの第3楽章以後、「やっぱりこれは名曲だなぁ」としみじみ思わせるような集中力が感じられた。その勢いのまま最後まで突っ切れた様子で、すばらしかった。
 初の海外公演で、おそらくは1~3曲目で熱い拍手を得たことが、一つの高揚の原因になったのではないか。ベートーヴェンの大曲に挑戦する意気込みもあってだろうが、ひじょうに生き生きとした演奏だった。

 アンコールは先述のように「ジャンゲラン」のクライマックス。何回ものカーテンコールの後、ガムランの響きと共にファン・ネス、矢崎の2人の指揮者が踊りながら引っ込んだのを見て、会場も団員も大笑い。団員たちも多くは踊りながら退場。レベルの高さももちろん想像以上だったが、何かひじょうに暖かいものを残してくれたコンサートだった。もっと観客が多くて、満員のホールになってたらよかったのに、とも思った。

 さて、おそらくこの一連のウィークを聴いて改めて考えることになるのだろうが、いったい日本を、インドネシアを、つまり祖国というか、自国を(国は関係ないかもしれないが)表現するというのは、どのようなことなのだろうか。
 古来の楽器を使い、古来の旋律やリズムを使うことや、それとオーケストラの融合を図ること、これが多くの非欧米圏での現代音楽のあり方となっているようだ。それは、ヨーロッパで発展してきたオーケストラというものの中に、民族や文化固有の文化をあてはめるということなのだろうか。
 先月東京の国立近代美術館で見た
「アジアのキュビスム」展でも、おそらくは同様の構図があったと思われる。アジアの美術家たちが、ヨーロッパに留学したり、ヨーロッパの画集などを見て、ヨーロッパ美術の前衛(この場合はキュビスム)にふれる。それを自らの文化圏に持ち帰り、創作活動を始めようとする時、ヨーロッパではオレンジやりんごだった静物が、ドリアンやマンゴーになったりする。
 また、多くの東南アジアの国々がそうであるように、ヨーロッパとは比べ物にならないほどの湿気がある。それを空気感にどう反映させるか。
 そうするうちに、ある者は新しい世界に踏み込み、ある者は筆を折る。
 また、ヨーロッパではそもそもの思想が緩み、「サロン・キュビスム」となっていくのに対し、「後進国」ではその思想そのものが反体制的な思想となって尖鋭化したりする。キュビスムであれば、視点の複数化そのものが革命的な思想となったわけだろう。
 同展を見て、いわゆる文化後進国が先進国の尖端を移入し、模倣することについて、これまではあまり意味があることと思っていなかったのだが、実は移入し、成熟させるという重要な機能を果たす場合があるのではないかと、大変興味深く思った。
 音楽にも、そのようなことが感じ取れるだろうか。

  

ヌサンタラ交響楽団 http://dev.nusantaraorchestra.com/home.htm (重いです)

アジアのキュビスム展 http://www.momat.go.jp/Honkan/Cubism/

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