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2005年12月

2005年12月11日 (日)

役者が死ぬということ~門田剛

 今日、門田剛の葬儀。

 本当はよく知らないんだ。白亜劇踏館(間違っていたら、本当に申し訳ない・・・)で「ジャガーの眼」を中之島で見たのは、あれが門田だっただろ? でかくてカッコいいのに、役者としてはすごく不器用で、時々棒立ちになるし、セリフは覚えてんだかどうだかわからないし。でもとにかくカッコよかった、色気があった。そういう魅力のある役者だなと思っていたら、何年もたって、サイトウマコトさんの冒険ダンス団で踊ってた。「劇踏館」の踏っていう字は、舞踏からきているのだったのかな。ここでもやっぱり、お世辞にもいいダンサーではなかったように思う。でも、雰囲気があった。雰囲気のないよく動く踊り手よりは、あまり動けないけど雰囲気のある存在のほうが、舞台では魅力的なのは決まっている。そういう魅力があった。でもいつも、しょうがないなぁと思って見ていた。

 BLUEになってからは、1回しか見てなくて、いまさらながら、申し訳ない。dBでやってたのもみてません。サイトウさん経由で、ぼくに見てほしいと言ってたというのを思い出して、つらい。見たって、またしょうがないなあと思っていたかもしれないけど、見て、しょうがないなあって言っておくべきでした、言いたかった。ごめん。

 役者が死ぬということは、その役者がやろうとしていた舞台空間がもろともなくなるということだ。門田剛がやりたかった舞台、やるべきだった舞台、やればもっとうまくできたはずの舞台のことを思って、地下鉄御堂筋線の中から涙が出てきてしょうがなかった。

 阪神大震災でも、いくつもの可能性が中断したが、事故というのは、これはいけない。門田はバイクに乗ってて当てられてこういうことになったと聞いたが、詳しいことは知らない。突然、というのは本当によくない。準備なんてできるものではないだろうが、それにしても。

以下は、前日まで更新されてたブログに出てる、プロフィール。http://blogs.dion.ne.jp/hakuaku/

1967年、大阪は千里ニュータウン生まれ、育ち、在住。演劇は1983年から始めました。高校、大学と演劇部。その後二つの劇団と、演劇プロジェクト、ダンスカンパニーなどを経て、現在はソロパフォーミングアーティスト。
他劇団への客演も引き受けております。作品提供もします。とにかく何でもやりたい性格で、それが少年時代からの鬱気質と矛盾をきたしてして困っています。
あ、男性です。身長180センチ。少し大きめですが、心身共に弱いです。でもダンサーとしても舞台に立ちます。鬱のひどい時期を超えて体重がが20kgも増えてしまいました。これじゃあ単なる中年男ですね。いやいや、トレーニングします。まだまだ勉強です。精進です。
と言うわけで、演劇・舞踏ともども、皆様どうぞ宜しくお願いします。

DIVEのほうには、こんなのが出てる。

1990年、関西学院大学「爆劇☆団(ばくげきだん)」(旧称)を母体に、劇団「白亜劇踏館(はくあげきとうかん)」として設立。主に実験劇やテント劇を様々な場所で上演した。1995年解散後、門田の個人事業として制作部門を存続。「OfficeHAKUA(おふぃすはくあ)」として、劇作・舞台演出・俳優・ダンサーの活動を続ける。現在、門田は、ソロのパフォーミングアーティスト。数年後をめどに、劇団「白堊(はくあく)」を旗揚げする予定。ジャンルに縛られずに、誰でもが楽しめ、刺激を受けられるパフォーミングアートを目指している。表現形態としては、その時々に応じて、ストレイトプレイからフィジカルシアターなど、観客を選ぶ事も辞さない、少し矛盾したところがあり、それはそれで良しとして現在も日々新しい事に挑戦し続けている。

 旗揚げする予定だったのか…なんか最近一人になろうとしてたのか。戒名が、うろ覚えだけど、峰館院釈白亜とかなんとかだったんだけど、うらやましいな。演劇人としての名前がついたんだな。

 しかし、ずるいわ。こんなに男が泣いてる葬式は、初めて見た。女もいっぱい泣いてたけど、こんなに男を泣かせて。誰か「こんなにたくさんの人に集めってもらって、お金がらみ、仕事がらみのもん、おらへんで。みんな演劇や昔からの友達やらで、お金がらみのもん、おらへん。幸せなやつや」って言ってたけど、そうやなぁ。

 明日からも、台本は早く完成させる、せりふは覚える、トレーニングもする、を心がけてください。

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