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2006年11月22日 (水)

DANCE CIRCUS 11月15・16日

DANCE CIRCUS 11月15・16日 Art Theater dB

 1日目は行けなかったが、2日間で10のダンスを観たことになる。
 まず圧倒的だったのは、森田海瑞瑤(もりた・かずよhttp://www.convey-art.com/)の「灯-トモシビ-」だ。
 森田は、右脚の膝から下が義足で、上体も湾曲しているようで、いわゆる障害者であるが(二分脊椎症・側湾症とのこと)、腕を中心とした状態の動きが非常に美しく、豊かである。ステップも軽快で、義足の右脚の上げも滑らかで、身体にハンディを持っていることが魅力となっている。パーカッションと横笛のリズムが身体の中に入っているようで、そのクレッシェンドの力強さ、タメのタイミング、盛り上げ方も非常にうまい。様々な表情を見せはするが、奉納の感謝の舞のようにも思える。
 赤い布を肩にし、人差し指を一本立てたりするが、金満里の名言「指一本動けば自らと宇宙を表現できる…」を思い出す。存在していることそのものを強く美しく表現する力が強烈に印象に残った。
 意外なことに(?)女性のソロは少なく、もう一つは木原アルミの「影とカゲ」で、足先にピンクの影をつけたマイム。単純なコンセプトで影と実体の相補性や可換性の手前まで表現しようとした。衣裳も影もピンクや赤だったことは、おそらく木原自身が想定する以上に作品を甘くさせたように思う。音楽が平凡だったのも、つらかった。
 女性はデュエットが4組。まず、動き自体がレベルを行っていたのが、昇花ロケット足立七瀬、山上恵理の二人だけだったのが、残念だった。昇花ロケットの「Are you…?」は、まず二人がシモ手奥でくっつきそうなぐらい近づいて対面、肩や髪や腰をクンクン嗅ぐところから始まる。動物の出会いのような始まり、なるほど「Are you…?」である。そのままの体勢でウゴウゴと動いてやや時間を経て、音楽が入ると足立がグッと大きく手前に出てくる。この時の予期せぬ、しかし必然的であると思わせる滑らかさが、作品の新しい時間・世界を開くようでいい。山上がなんだかがむしゃらなジャンプを繰り返すが、どこか不器用そうで理由もなく共感を誘う。硬直させた掌の震え、表情の強ばりと、何か強いものを出そうとしているようだ。全体に抽象的で個別的でありながら、核に当たるものは同じトーンで揃えられているようで、作品としての統一感は保たれている。やや控えめに言うが、きっちりと過不足なく動くことのできる身体によって成立するダンス作品は、やっぱり観ていて気持ちいい。嗅ぎ合うという単純な動きをきっかけに、Are You…?そしてI am…というダイアローグを作品の中に成立させる手腕は、なかなかのものである。
 おたまじゃく'Sというユニット(森田紗希×中山藍)の「ima aoi」は、今年5月に笠井叡舞踏学校に入学した二人の初作品だそうだ。動きも表情も少し素人っぽいところを残しており、今ならばそれを魅力にも転じることができただろうが、そこまでの自覚は難しかったようだ。黒い小箱の扱い、化粧、衣裳の裾から紐を抜くところ、口紅を塗ってゴシゴシと汚してしまうところ、息を乱して泣くように走るエンディング、など印象的なシーンも短い時間の間に数多く取り入れていた。もう少し練習を重ねて覚悟を決めて、動きに迷いがなくなれば、面白くなるかもしれない。
 塩崎有妃子植村洋朱によるユニットspinoの「window」は、日常的な動きや表情を組み合わせて重ね合わせることによって、ある種の雰囲気を作ろうとしている作品であると思えた。動きがもっとシャープになって躊躇いがなくなれば、作品の中に流れが生まれて、確かな日常や世界を切り取ることができるのではないか。
 flaneurs高橋温子、関原綾乃)「カンカ」は、きれいでなめらかな動きを見せ、日常的なしぐさからちょっとした逸脱を見せるような作品。意識的に無表情に踊っているようだが、もっとクールでスタイリッシュな見せ方をするとか、逸脱を大きくして乱れを見せるとか、何らかの極端さも見たい。そのためには、もっと動きを鍛える必要はあるだろう。
 アンサンブル・ゾネの「Fragment」は、2007年2月に予定されている公演の部分上演。四肢の出し入れ、動きはさすがに滑らかでストレスなく見ていられる。稲田誠のベースの生演奏と共にスプーンを持った女性ダンサーが、仕舞のような熱のある腰の定まった動きをとったり、言葉に還元することの難しい動きなので、部分上演ということもあり一つの世界としては受け取りにくかったが、この断片からもその向こうには大きな世界が広がっていることを予感させる。その向こうにある世界の像が、個々のダンサーにはっきりと見えているからだと思われた。
 内山大の「椅子、男」は、ブリーフ姿で出てきたり、思い切り振った缶ビールを開けて泡を吹かせて飲み干した後、通路の階段を駆け上がり這い回り、といった騒々しい作品。その騒々しさややんちゃの中からどれだけ裸の自我をさらけ出すことができたか、というところがポイントとなる作品だったと思われる。ビールの後のシーンは、暴れ方といい、拳を突き上げる姿といい、なかなかいい弾け方をしていたと思うが(脱いだワイシャツで床の掃除をするのは、面白いがちょっと弱いか)、前半で弾ける前の自分の見せ方、つまり捉え方が難しい。なぜ無茶な弾け方をしなければいけないのか、そこまでに至る自己像を観客に共有させるためには、一人称だから自分ではわかっている(かもしれない)自分自身の姿を観客に提示するために、いったん外化して確立しなければならないはずだ。内山はちょっと小柄で、優しい顔つきをしているが、その外見に対して自己像はどうであるかとか、そんな見せ方に工夫をするためのさらに深い彫り込みが必要かと思われた。意義深い課題を持った、いい小品だった。
 同じく男性ソロの齋藤亮「mercurochrome」も、自己への固着が感じられるという点では、共通した点があったといえるかも知れない。タイトルは、いわゆる赤チン。全身至る所にバンドエイドを貼った男が、それを剥がして壁に貼り付けようとしたり、体をかきむしったりしている。傷ついた身体という提示であり、それがあまりストレートではない形で外界への攻撃ともいえないような働きかけを行っていることを見せている。バンドエイドがメタファとしてどれだけの説得力を持っていたかが一つの大きな課題。何の前提もなくいきなり現れたバンドエイド男に、ぼくはあまり共感を持つことができなかった。バンドエイドにしても、マーキュロ液にしても、擦り傷程度の軽傷にしか使わないと思うが、それが全身に貼られているのは、滑稽ではあっても、シリアスではなかったし、動きには滑稽さは見られなかった。包帯ではなくバンドエイドだということについて、もっと説得力を持たせてほしかった。音楽が凡庸だったのも惜しかった。部分的に鋭いキレのある動きが見られたのはよかった。
 升田学「イリノコトワリ」は、田中慎也とのデュオ。維新派のメンバーらしい化粧や衣裳で、ロボットのような動きのユニゾンやミラーリングを舞台全面に展開した。構成や展開はよく計算され練られていて、意外に日常的な動きが変形されていたりするのも面白いが、どうしても動きを記号に収斂したことで満足しているような物足りなさが残る。制御された動きを見せることで面白さが成立したのは、人間が様々に制御されているということが発見であった時代のことで、今やそれが日常となっているのだから、それだけでは人を納得させにくい。この作品の中でその綻びやずれが予感されたのは、二人がミラーになって動いていて、中央で出会い入れ替わるときにしばらく見つめ合ったシーンである。機械が他者を発見するという、非常に興味深い瞬間だっただけに、これを何とか増幅することができなかったか、残念だ。

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