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2006年11月10日 (金)

オルセー美術館展

オルセー美術館展(神戸市立博物館、~1/8。東京都美術館へ巡回)part1・2

 平日の10時に入ったのに、最早ものすごい人。修学旅行生、おばさん団体など、すごいパワーだ。その人気を裏切らない、すばらしいラインアップだったといってよいだろう。
 トップを飾るのは、ベルト・モリゾの「ゆりかご」(1872年)。赤ちゃんの愛らしい表情と共に、柔らかく光をさえぎる布(モスリンだそうだが)の質感を如何に描くかが眼目となる作品である。
 そのモスリンは、光を減じながら透過しているはずなのに、まるで自ら光を放つような輝きをもっている。その光が、画面全体を柔らかく明るく支配することになっているのだから、印象派というのは、実はそういう光を求めていたのではないかと思う。そういう意味で、この作品が「印象主義のイコン」とも呼ばれているのではないか。
 それは、光というものが、太陽から発するものでもなければ、神や聖人から出てくるものでもないということを、この作品がはっきりと端的に示しているからだ。赤ちゃんの世界はあくまで白く、母の服装も髪も黒っぽいが、それらすべてが人間の生命であるというその一点において、光り輝くものである。
 それが印象派の本当の意味での光の発見ではなかったか、と思わせるだけの力を持っている作品だ。
 ここに描かれているのは、ベルト・モリゾの姉のエドマ・ポンティヨン。ベルトは、この展覧会のポスターにもなっている、マネ描くところの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」に描かれている。そこでベルトは、美しさの中にはっきりした鼻梁や視線で、強い個性をあらわしているが、この作品の中でエドマは、赤ちゃんと共に午後の眠りにおちいりそうな安らかな表情をしている。そういう光に満ちている作品だ。
 モネの「アパルトマンの一隅」(1875年)に描かれている少年ジャンは、この暗さの中で、何を見つめているのだろうか。
 時々目にする、ルノワールの奇妙に輪郭のはっきりした作品、いわゆる印象派の巨匠としてのルノワールに輪郭は似合わないものと思っていたのだが、この「ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子供)」(1887年)もそういう作品である。ジュリーは、モネの弟とベルト・モリゾの間に生まれた娘。なんだか少し東洋の少女のような雰囲気がある。輪郭線をはっきりさせると、そういう空気を帯びるのだろうか。
 ルノワールというと、なんだか天性だけで魅力的な作品を次々と世に送り続けていたように思ってしまうが、この「アングル風の時代」と呼ばれている次期の彼の試行錯誤を見ていると、彼が実は印象派であることに疑問を抱いていたらしいことに気づき、創作者というものの厳しさを思う。
 さて、ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント第1番、画家の母の肖像」(1871年)、これまた美しい作品である。黒や灰色を基調にしていながら、真横を向いている老婆といってもいい母の黒い服の曲線の美しさ、左のカーテンや額縁の直線とその曲線との対比が画面の中に絶妙なリズムを作り、それ以上にこの母の表情の凛々しい厳しさが神々しいほどの光を放っているように見える。このように、尊厳と高貴な美しさによって自分の母を描くことができる画家を、非常にうらやましく思う。
 オディロン・ルドンの「セーラー襟のアリ・ルドン」(1897年頃)は小品だが、強く不思議な光を放っている。これがルドンの魅力なのか。
 マネの「ブーローニュ港の月光」(1868年)からも光が放たれている。夜の月光の冷たい光である。マネは必ずしも印象派の流れに交わらなかったようだが、19世紀後半という時代には、既に光というものがどこから発せられているのかということについて、歴史的な大変動があったということなのだろう。マネが写実的な表面を持っていて、筆致に激しさや逸脱がないことから、どこか保守的な画家であるように見られたり、あるいはスキャンダラスに有名な「草上の昼食」のヌードの扱いによってのみ革新的・破壊的であるように見られたりすることについて、このような作品を目の当たりにすると、はっきりと、そうではなくて、いかにモネという画家が光の出どころに関して革命的で自覚的であったかということがよくわかる。
 手前の方でうずくまっている女性たちは、漁に出ている夫の帰りを待っていると解説されており、そうなのだろうが、彼女たちの白いスカーフからは本当に光が発していて、物語的に解せば、彼女たちの生活力や生命の強さというものを現しているようだし、そのすぐ上の水面の光り具合は、ただ月光を反射しているというだけに留まらず、海そのものが持つ生命力を現しているように見える。
 ブーダンの「トルーヴィルの海岸」(1865年)の原色の絵具の置き方が新鮮だ。部分を拡大して見ると、現代の抽象絵画のようだ。やや曇った空の雲の流れのスピードを現わすような左右への筆の速さ、特に画面右半分の人々の傾ぎ方が風の強さを表しているようで、面白い。帽子やショールが飛びそうだ。
 モネ「アルジャントゥイユの船着場」(1872年頃)の雲の力感。
 さて、マネ「アンリ・ロシュフォールの逃亡」(1880-81年)は、すばらしい。マネ?と思うような激しく荒い筆致が印象に残る。ナポレオン3世の体制に反旗を翻したロシュフォールの奇想天外な脱出劇を描いたこの作品は、水平線を極端に上げ、画面のほとんどが水面である。それでも水平線を描いたことによって、この厳しい状況が永遠に続くのではないことが暗示されているようである(実際、そこには救出のためらしい大きな船が待っているのが小さく描かれている)。夜の海はあくまで美しく、月光に照り輝いてさえいるが、波やうねりの大きさに比べて、ロシュフォールらを乗せた小船はあまりにも小さい。画面の中で小船は不安定に上部1/3ぐらいのところに、しかも左右中央からやや左に外れて置かれ、どちらへ向かおうとしているのか、定めがたい。
 しかし、この世界を救うのは、海面の青の美しさ、白く輝く波頭のきらめきである。反体制へのシンパシーを生前のマネは決して露わにせず、これらの作品も発表しなかったそうだが、それだけに切実で本質的な思想が現れているといえるのだろう。
 モネルーアン大聖堂」(1893年)の圧倒的な光は、いったいどこから来ているのだろうか。様々な時間や天候によって色や光を変えながらも、絶対的であるかのように屹立する建築。あるいは、絶対的に屹立しているようでありながら、時間や天候によって極端に色や光を変える建築。
 こういう作品を見ていると、見えるということがいったいどういうことなのか、と考えなければいけなくなる。そもそも、どのような光の中でも同一である絶対的な対象というものは、自立的に存在しているのだろうか、という問いかけ。彼らが変化するものと変化しないもの、そのどちらに力点を置いていたのか、わからなくなる。絶対不変な内発的な光などというものは存在しない。それが宗教のあった時代の絵画とは決定的に違うところだ。それなら、この世界の光というものは、どのようなものでありうるのか。この大聖堂の前の家を借りて、長時間対象と向き合った末に描き上げた連作である。光や色の移ろいと本質の不変性について考察し尽くしたからこそ、これらを連作として発表したのではなかっただろうか。
 スーラの点描というと、どこか平和的で温和的な印象を与えているように思われているが、どうもそうではないらしい、ということが、スーラ「ポール=タン=ベッサンの外港、満潮」(1888年)と、同じような点描の相貌を持つシニャック「レ・ザンドリー、河堤」(1886年)、レイセルベルヘ「舵を取る男」(1892年)を続けて見ると、何となくみえてくる。彼らの先達であるいわゆる印象派の画家たちの色彩の処理が、その名のとおり主観的な印象によってなされていると思われるのに対して、点描という方法は色彩を理論から構築しているようだ。光はどこからくるのかという問いかけは、既にここにはなく、おそらくは光の存在すら顧慮されておらず、色の分析と再構築が主要な課題となっていたと思われる。
 再びルドン。「ペイルルバードの道」(不詳)。この空の青さは、深すぎる。明るくはない。光はどこからも差していないようにさえ思える。過去の回想が脳や心の中で展開しているときの明るさというのは、このようなものではないかと思えるような画面である。さて、脳や心の中で、光はどこから来るのか。夢の映像の光源はどこにあるのか。こういうことを考えていると、神秘という言葉に容易にたどり着くことができそうだ。この意味で、印象派には交わらなかったルドンが、しかしこの時代の本流を生きていた芸術家であったことが、このパートに続く作品群を見ていく中で、より深く強く理解できてくる。

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