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2007年3月

2007年3月30日 (金)

北岡利浩展 TOSHIRO KITAOKA WORKS

北岡利浩展 TOSHIRO KITAOKA WORKS-ハルマチ-(~3月3日、ギャラリーH.O.T)

 ギャラリーの方が説明してくれたのでよくわかったのだが、菊の葉、腐葉土、珊瑚、薔薇の枝、松葉を素材とした、それぞれB1大のタブロー5点というのが一つの流れ。あとの2点は鉄パイプの枠にブランコ、窓枠、の工作物。発想の面白さはもちろんだが、職人的な手数(てかず)と時間、そして手数と時間を支える執念のようなものが感じられる展示であった。
 ハルマチというタイトルは、古びた窓枠の上に気づかれないかも知れないほどの小さな桜の花びらが一枚配されているところから来ているのだろう(桜が散った花びらなら「春待ち」ではあるまいという野暮なツッコミはちょっと置いておこう)。ほんのかすかに春が感じられるというところが、ハルマチである。この古びた窓枠は、どこかの古家から適当に外してきたのではなく、新しい材木やねじ鍵を1年ほど屋外にさらして、わざと古いもののようにし、組み立てたものだということである。ついでに、窓はガラスではなくアクリル板。
 金属の彫刻でもよく行われることだが、古い廃材を使ったり、薬や雨にさらしてわざと古いもののようにすることは、作品の中に時間を導入するということだ。わび・さびの美学を借りるまでもなく、日常的な感覚に照らし合わせても、わりとわかりやすい。この北岡の作業では、薬や熱を使わず、歳月で古錆びた表面を作ったということだから、作品の中にその歳月が組み込まれている。屋外にさらして自然の風化に任せたところが、彼の作品に対する態度-誠実さという以上に、何か覚悟のようなもの-を如実に示しているといえよう。
 実はそれと同様な、愚直なまでの徹底が、他の作品にも通じている。手仕事、手数、対象の特性の凝視、それらが徹底的に行われた結果、作品は工芸作品のような緻密な美しさをもち、数百、あるいは千と重ねられた菊の葉はレース状になって、向こう側に別の世界がある扉のような深い存在感をもったし、腐葉土や珊瑚は深みのある量感をもち、棘をもった薔薇の枝は魅惑的な曲線を形づくった。
 作品の中に、目に見えないものを封じ込めるためには、目には見えない作業を積み重ねる必要があるのだと思わせた、印象的な営みであった。

http://galleryhot.com/index.html

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2007年3月 8日 (木)

「三寒四温」中村浩一郎・山田七菜子展

「三寒四温」中村浩一郎・山田七菜子(~3月3日、ギャラリーwks.)

 映像、写真、ドローイング、テープレコーダー、CDプレイヤー、と様々なメディアが配置されているが、ぼくが特に面白いと思ったのは山田の仕事。水彩や鉛筆、パステルで描かれた小さなドローイングは、パンジーなどの花を描いたものだということだが、その形態よりも、その存在のはかなさや危うさ、薄さ、あえかな様を再現することに興味があるように思える。特に薄黄色で描かれたパンジーは、よく目を凝らさないとその輪郭が見えないほど、薄く淡い。あるいは輪郭は存在しないといってもいい。あるものの存在と、それを包み込んでいる世界との境い目について、ここで考えることができる。パンジーの花びらの一番先っぽのエッジは、どのような薄さであるのか、花びらは風にチリチリと揺れ、また光を透過させるが、薄さの中に網目のように無は存在しているのか、等々。
 対するに中村は、ペンでギザギザと紙に線を彫り込んでいくような仕事。平面の上にギザギザと角度が描かれているのに、それが奥に向かって彫り込まれているような不思議さがある。これを平面として捉えると、やや神経症的な危うさが感じられるが、この行為の過程を思い奥行きとして見ると、世界への働きかけとして解釈することができる。写真や映像に見られる外界への関心も、それと同じと考えてよいのではないか。
 この二つの仕事の対照が、同じ空間の中で奇妙な混じり方をしているのが、今回の展示の面白いところ。このギャラリーは、大きなマンションの11階にある普通の一室で、ちょっと思いがけず小さな段差があったりもするのだが、毎回不思議な空間を創り出す。今回も、広い一室の中央に数台の小型のテレコが積み重ねられ、周囲の壁にドローイングが架けられているという単純な構成ではあるが、テレコから流れるボン、ボンと不規則な音が全体を覆うような不思議な空間を創っていただけでなく、そこへ踏み入るまでのちょっとした玄関口のようなスペースに2つのCDプレイヤーや山田のメモ帳のようなドローイング、野尻抱影のエッセイのコピーなどが置かれた机、導入路のような短い壁に二人の小さなドローイングが架けられ、格好の準備空間になっていた。
 山田の創ったCDは、生活音や幼稚園のようなところで幼児が歌っていたりする音を拾って少し加工したものだったが、その現実の音と加工したその加減が、また微妙なフラジリティを帯びている。境い目だけを追究していくような作業は、非常に危うく、苛立たしく、難しいことだろうが、観る者の心に粟立つような興奮を与えることも確かだ。

http://www.sky.sannet.ne.jp/works/

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関直子橋本梨香展

関直子橋本梨香展(~3月3日 ギャラリー白3)
 二人の名前の間にスペースも「・」もないことから知れるように、一つの空間や作品を二人が共同で作っている。
 壁の大きな立体を創ったのは関で、床には関のドローイング。立体の壁の角を挟んで、街頭の映像がプロジェクターで映されているが、それは橋本の作品。この3点が一つのインスタレーション作品として成立しているのが、本展のおそらくは中心となる展示。
  これには、力強い生命感のある縄文的な立体造型と、特に主題を持たず街の雑踏を映し続けている映像の対照がテーマだといえるだろう。そして、床に敷かれたドローイングは何枚もの紙を並べたものだが、小さな作品を拡大したもので、線のズレやブレ、荒れが面白く、その上をナイロンの半透明のシートが覆っていて、そこには会期中ライブペインティングの形でどんどん描かれていくという。
 また、壁に掛けられた小品は、映像のワンシーンのプリントと、数センチ浮かせて般若のような顔のドローイングを重ねたもの。都市の焦点の定まらない日常の雑踏を、神のような人格をもった情念的な存在が封じ込めているような物語にも読むことができる。ぼやけたプリントとはっきりしたドローイングの対照も鮮やかだ。
 重層性と同時に、覆っている/覆われているということが、重要な概念であると思われた。もちろん二人の作家の共同作品なのがだから、重層するのは当然なのだが、一つの空間の中にはっきりと層が重ねられているのが面白い。また、一人の作家が一人で重層性を生み出すのではなく、二人の共同作業で、他者に侵犯したりされたりすることを前提として制作しているのも興味深い。
 床面がライブペインティングで描かれていくということにも明らかなように、侵犯し増殖していくのは、平面や立体の美術ということである以上に、行為という日常から直結する営みそのものであるように思われた。

http://www.ne.jp/asahi/gallery/haku/(画面を右にスクロールして、GALLERY HAKU 3ARCHIVESから)

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