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2007年3月 8日 (木)

「三寒四温」中村浩一郎・山田七菜子展

「三寒四温」中村浩一郎・山田七菜子(~3月3日、ギャラリーwks.)

 映像、写真、ドローイング、テープレコーダー、CDプレイヤー、と様々なメディアが配置されているが、ぼくが特に面白いと思ったのは山田の仕事。水彩や鉛筆、パステルで描かれた小さなドローイングは、パンジーなどの花を描いたものだということだが、その形態よりも、その存在のはかなさや危うさ、薄さ、あえかな様を再現することに興味があるように思える。特に薄黄色で描かれたパンジーは、よく目を凝らさないとその輪郭が見えないほど、薄く淡い。あるいは輪郭は存在しないといってもいい。あるものの存在と、それを包み込んでいる世界との境い目について、ここで考えることができる。パンジーの花びらの一番先っぽのエッジは、どのような薄さであるのか、花びらは風にチリチリと揺れ、また光を透過させるが、薄さの中に網目のように無は存在しているのか、等々。
 対するに中村は、ペンでギザギザと紙に線を彫り込んでいくような仕事。平面の上にギザギザと角度が描かれているのに、それが奥に向かって彫り込まれているような不思議さがある。これを平面として捉えると、やや神経症的な危うさが感じられるが、この行為の過程を思い奥行きとして見ると、世界への働きかけとして解釈することができる。写真や映像に見られる外界への関心も、それと同じと考えてよいのではないか。
 この二つの仕事の対照が、同じ空間の中で奇妙な混じり方をしているのが、今回の展示の面白いところ。このギャラリーは、大きなマンションの11階にある普通の一室で、ちょっと思いがけず小さな段差があったりもするのだが、毎回不思議な空間を創り出す。今回も、広い一室の中央に数台の小型のテレコが積み重ねられ、周囲の壁にドローイングが架けられているという単純な構成ではあるが、テレコから流れるボン、ボンと不規則な音が全体を覆うような不思議な空間を創っていただけでなく、そこへ踏み入るまでのちょっとした玄関口のようなスペースに2つのCDプレイヤーや山田のメモ帳のようなドローイング、野尻抱影のエッセイのコピーなどが置かれた机、導入路のような短い壁に二人の小さなドローイングが架けられ、格好の準備空間になっていた。
 山田の創ったCDは、生活音や幼稚園のようなところで幼児が歌っていたりする音を拾って少し加工したものだったが、その現実の音と加工したその加減が、また微妙なフラジリティを帯びている。境い目だけを追究していくような作業は、非常に危うく、苛立たしく、難しいことだろうが、観る者の心に粟立つような興奮を与えることも確かだ。

http://www.sky.sannet.ne.jp/works/

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