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2007年4月19日 (木)

なにわ三国志「叫び」 2月2日

なにわ三国志+市川富美雄共同企画「叫び」 2月2日 ロクソドンタブラック

 小劇場で演じられる時代劇とあって、もっと濃厚な世界を想像していたのだが、意外にもさっぱり、さらりとした展開で、やや淡白な観劇後感となったように思う。
 一つには、なかなか禁欲的でセンスのいい省略のしかたにある。たとえば兵衛門(河西秀樹)の自害の場面を最後まで見せない、早苗(鳩笛真希)が失明した後の愁嘆場を見せない、兵馬(中村信行)が記憶を喪失したことを後でわからせるようにする、といったふうに、泣かせる場面や緊迫した場面をあえて舞台に乗せないことで、観客に物語の行間を読みとらせようとしたようだった。
 センスの良さは選曲や音楽(ギター:新涼平)、照明(鳥居博司)など舞台の随所に現れた。冒頭の加持祈祷、落雷の照明や音響(横田和也)の美しさ、ギター奏者の見せ方、屏風状のボードを使った場面転換のみごとさなど、舞台づくりの豊かな経験やノウハウの蓄積をさりげなく見せるところも洒落ていた。
 終始抑え気味の兵馬(中村信行)の演技も、だからその延長上にあったといえるだろう。しかも、後半の兵馬は記憶を失って、おそらく感情の起伏も浅いものになっていたのだろう。そうであったとしても、弟である一馬(市川富美雄)との対決のさなかに記憶を取り戻したその時だけは、大きな演技をして人生を振り返り、そして眠るように落命していく、というふうにヤマ場を作ってもよかったのではなかったか。
 ぼくたちは劇場に、必ずしも泣くためにに行くわけではないし、感動の大きさと劇の質が比例するとも思わない。しかし、劇の流れから当然大きく心を揺さぶられるはずの場面になるのに、それをあえて描かずに回避し、その情景や感情を委ねられてしまったわけで、やや肩透かしの感が残った。ではこの劇の軸は何だったんだろうか?
 実は、兵馬の最期の場面では、妻・雪絵(未央一)がその首をかき抱いて静かに涙するところや、お藤(谷川恵津子)が静かに合掌するところが、観客の感情を導く線となって深い感動を与えてくれていた。牢内でのお藤の号泣(やや唐突だったが、雪絵の好意によって心を開かせられたことによると思われる)、牢名主お徳(横山和子)の達観と悲劇的な最期とその受容もまた美しいものだった。女たちのこのようなドラマに代表される人生の哀歓の大切さを、一馬は越前守(藤崎啓)や乱花(大咲せり花)の屋敷に乗り込んで「世の中は一人一人のものだ」と訴えかけたわけだ。
 つまり、大きなドラマももちろんだが、小さなドラマに重点を置こうとしたのだろう。そして、小さなドラマを登場人物の多くに振り当てようとしたのは、大変素晴らしいことなのだが、結果的にはやや劇のヤマが分散し、中心となるべきドラマのヤマが相対的に小さなものとなってしまったように思えてならない。
 見終わって、しみじみとゆるやかな哀しみに包まれたことに一応の満足はしているのだが、もっと深く鋭い感銘を与えるためには、兵馬と一馬の応酬をもっと深く激しくした方がよかったように思う。見せ場はどこかということだ。見せ場である以上、あらゆる遠慮や配慮を排し、大衆演劇であろうが小劇場であろうが剣劇であろうが、観客を自分たちのフィールドに引きずり込み、徹底的に自分たちの手法でやりきったほうが、突き抜けるような説得力を持てたと思う。
 殺陣はもっと長くてもよかったし、仮面を着けたダンスシーンはもっと踊りきってほしかった。セリフのやりとりがちょっとぎくしゃくしたところがあったのは残念。特に瓦版売りの二人が携帯電話等の注意をする辺りの持って行き方は少々無理があり、笑いを取れるはずのところで引かせてしまったようで残念。いっそ音楽に乗せるなどして間を詰めた方がよかったのではなかったか。

http://www.geocities.jp/naniwasangokushi/

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