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2007年4月11日 (水)

小林亜有美展(Oギャラリーeyes)

 クマのぬいぐるみや鳥をかたどった公園の遊具、花、などの具象。

 というと、何だかファンシーで柔らかなものばかりを想像するかもしれないが、どうもそうとは行かない。
 「クマ」は、緑色の背景にクマのぬいぐるみが3体ごろんと転がっている大きな平面(130.3×162.0cm)。クマのぬいぐるみであることはわかるのだが、その扱い方について、なかなか確定できないところがある。かわいく愛らしいファンシーなだけのものとして扱っているのではないことはわかる。かといって、残虐に抑圧的に扱っているのでもないようだ。ただ、さびしげだ。

 作家自身は、ギャラリーが用意した資料に「化学繊維やプラスチックでできたカワイイぬいぐるみや人形は人に喜びや癒しを与えることが出来ます。しかし私はそんな存在がなんとなく怖く感じます。それを作品にしてみたらどう見えるのか形にしたくなりました」という解説を寄せているが、にもかかわらず、この作品たちからは、それでも作家自身も、これらぬいぐるみから、一定の「喜びや癒し」を得ていたように思えてしまう。しかし、それが「怖く」感じられる、という両面性をも。

 どういうことなのだろうか。ぬいぐるみのクマたちが愛らしい理由の一つに、その真ん丸でつぶらな瞳、があるだろう。それが、小林の作品の中では、どうも強調されないばかりか、ぼやけている。避けられている。クマのほうからわれわれへの愛らしい瞳が回避されているのと同時に、われわれからクマへのまなざしも拒否されているようだ。小林の絵画の中のクマたちは、われわれを見ていない。「クマと人」のクマは、人の右手に抱えられているが、左のほうに目をやって、こちらに視線を注がない。抱えている人も、右半身の胸から腰ぐらいまでしか描かれていないので、視線は画面上には存在しない。

 ここに描かれているのは、決して小林が書き付けたような「怖い」存在ではなく、避けあっているような存在。女性の手と、腰からスカートのすそ、太ももから下だけを描いた「待合室」という作品も、やはりその視線は描かれていない。画家の視点は、上から、モデルの視線を避けて、ただ下を向いているようだ。そのような、交叉しない視線が作り出す孤独のような、体温より少し低い不気味な世界を、非常に的確に描く作家だと思う。魅力的だ。
 
2007年3月12~17日

http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/

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コメント

足跡からきました
今後ともよろしくお願い致します

投稿: あやや | 2007年4月15日 (日) 22時15分

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