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2007年4月 8日 (日)

猪原秀彦展 Oギャラリーeyes

猪原秀彦展 Oギャラリーeyes

 木、真鍮、銅、そして目立たないがフェルトを使った立体。
 正面には、上部に金色に光るくちばしのような尖端を持った細長い木のフォルムが壁にかけてあり、まずその2m以上あると思われる木の形の美しさにうっとりするほどである。下部は銅の円錐で、垂直に真下を指し示しているようだ。測量船の道具であるようにも見え、上下への鋭い方向性が見て取れる。
 「種子のゆくえ-その二」と題されたこの作品は、散文的に意味づければ、種子が真下に根を張っていく方向性や、茎の細く鋭い形状、そして上部で蕾を持って太陽の方向に顔を向けているような生命感、と説明することができるだろうが、実際のところ作品から受ける感触は、そのような散文的説明を超えてしまう。
 題された「種子」という言葉から植物であることが与えられ、そこから説明的な言葉が出てくるという方向性を否定して、この作品がこのようなものであるから、本当には植物というものは、違ったものであったのではないかと思わせる、そういう力があるということだ。
 一言でいってしまえば、これが植物であるとしたら、なんと強いものであるのか、という感嘆だ。
 その強さへの感嘆が、猪原の造形に直接注がれることになる。この作品のサイズは、2.3mの長さに対し、幅と奥行きは12cmと、棒のように細長い。にもかかわらず、正面の壁からギャラリー全体を支配するような広がりまたは凝集感を持っている。方向性としては凝集。この作品に集められたアトモスフィアが、一気に絞られて下部の円錐から地中深く彫り込まれたり、逆に掘り出されたりするような。
 一転、「発芽を待つための道具」は、穏やかで親しみやすい円やかな形状を持っている。六角形の上部には光る真鍮が平面をなし、小さな穴が4つ開いていて、呼吸しているような、そこから音が出てくるような。側面は焦げ目のあるフェルトが羊皮のような軟らかさを出していて、下部は茶色い銅が引き締めている。ぼくには楽器のように見えたが、人がしゃがみこんでこれを両手で抱え、いとおしむようにしながら取り扱う「道具」。
 タイトルに戻れば、生命の発露を待っている状態のものであるというわけだが、それ自体生命が既に一心ににじみ出ているというわけだ。
 生け花のような「水の種子-その六」を含め、たった3点の作品による個展だが、作品の存在感、空間を凝集させる求心力が強く、見ごたえのある、心穏やかになる、豊かな展示だった。
 2007年4月2~7日 Oギャラリーeyes(大阪市北区西天満4)
http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/

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