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2007年5月 3日 (木)

尼崎ロマンポルノ「落爆の少年が添える花」3/10

尼崎ロマンポルノ「落爆の少年が添える花」 神戸アートビレッジセンター 3月10日の所見

 一度書きかけたのだが、どうしても事件のことそのものの周辺のことばかり書いてしまって、舞台のことに至り着かない。現実に起きた衝撃的な事件を題材にして創られた劇を観ると、どうしてもそのようなことになりがちだ。その現実をいきいきと、残酷なまでに再現しながら、どのように超えることができるか、それがまずはこうした劇の眼目となる。そのために作家たちは様々な仕掛けをこらしてきた。ぼく自身、すぐ思いつくだけでも、岩崎正裕、山崎哲、坂手洋二らの、リアリティにおいてすぐれた劇を見てきたわけだ。
 それにしても本作は、隠すことなく酒鬼薔薇事件を正面から扱い、「ノンフィクションです」と宣言までしている。神戸に住んでいるぼくにとっては、震災に続く衝撃的な事件であった一方で、震災のようには自分の中で継続的な問題と捉えることができていなかった。しかし、そのこと自体を問われるような思いもして、一般的な社会事象としてということではなく、鋭く熱く痛いテーマだった。
 観ている時にはわからなかったことで、後で事件に関する本を読んで腑に落ちたこともあった。少年Aの内的存在の一つであるエグリは、実際にその名の通りだったようだし、少年Aの性格や趣味のいくつか、医療少年院の中での母的な存在など、作者の創作であるかと思っていたいくつかのことが、「事実」であったことは、驚きだった。
 そのことで、劇としての本作の感動が薄れたかどうか、正直に言って、わからない。しかし、現実にはありえない荒唐無稽なことのように思えた設定が、実は現実であったということを知ると、実在の人間の闇のあまりの深さに、昏倒しそうになる。演劇は、芸術は、現実を超えることができるのだろうか、大変重いテーマを選んでしまったものだなと。そういうことだ。
 まず舞台の作り方として面白いと思ったのが、冒頭、いわゆるタンク山の塔の上と下とで、少年A(森田真和)と少年B(伊与顕二)によって掛け合いされる漫才である(なお、少年Aは「現実」に漫才や人を笑わせたりすることが好きだったそうだ。少年Bを想起させる存在も、実在していたようだ)。漫才をする同級生という限定的な関係とはいえ、そこでさえコミュニケーションを成立させるためには階段を激しく上り下りしなければいけないという設定、そして徐々に二人の関係がぎくしゃくして、少年Bがこの関係を拒否していくという流れは、一つの象徴として秀逸だった。演劇は、このように「現実」から「虚」を「構」えることができるのだと思った。
 もう一つ印象深かったのは、サイゴと呼ばれる医療少年院のカウンセラー(村里春奈)が自転車に乗っていること。自転車に乗って無邪気にはしゃいでいるようなサイゴに、いらつく青年A(堀江勇気)。建物の中を自転車で移動するという非常識をなじる青年Aの常識加減が面白くもあり、もちろん自転車というシンボルから不安定さや、回転していなければ倒れるといった喩としての面白さ、しかもそれは青年Aの属性であるのを、外在化してサイゴが乗り回しているというのも巧みな扱いだと思った。あっけらかんと陽性の明るい表情をした村里もいい存在感。
 なお、サイゴという名は、作者のオリジナルだろうが、青年Aにとっての双方向的な意味で「最後」の砦のような存在であることと、「サイコ」セラピストであることをかけているかと思われる。このせいで、ぼくはエグリという少年Aの中の存在を、エクリチュールとかけているのかと思ったが、エグリは実際に少年Aの命名によるものらしくて、命名それ自体の意味は不明。
 エグリ(山本和加子)は、少年Aの内面にあって、奇妙に魅力的な女性性によって少年Aを翻弄し、残酷さを引き出すような機能を果たす。設定としては妥当でもあり、魅力的なのだが、象徴的な意味づけによるものではあろうが、塔の上のゴンドラのような小さなスペースの中での演技に終始したことが、残念に思えた。もちろん少年Aの内部の存在ということだからと、理にはかなっているのだが、せめて終盤でいよいよ劇が混沌と渦を巻くようになるところでは、大きな動きが見られてもよかったように思う。
 さて、この劇団の一つのウリなのだろうが、歌の扱いについて、ぼくはあまりよく理解できない。この詞を音楽に乗せて歌い、振付も加えて踊ることで、この劇にどのようなプラスがあったのだろうか。しかも、劇はかなり進んで、観客が劇の中にずいぶん入り込んで同じ時間を共有しかけたようなところでのものだったので、かえって流れを中断するものになってしまったようで、残念だった。
 言葉が演劇として立ち上がってくるためには、音楽性や身体性というものは不可欠で、劇に歌を取り入れて成功している作品というのは、詞が歌われることで独特の昂揚や浮遊感が起き、前のめりな切迫感や緊迫感につながっているのだ。最近観たものでは、流山寺事務所(演出=天野天街)の「浮世混浴鼠小僧次郎吉」がそうだったし、寺山修司の「大山デブ子の犯罪」の劇団・太陽族による再演がみごとにそれを実現していて感心したが、そういえば太陽族は以前からうまく歌を取り入れていた。デス電所の歌の扱いもエンターテインメント的な昂揚がはっきりとねらいとして定められているようだ。少なくとも今回の作品においては、現実の事実の重みのせいか、詞を歌にすることで生じる浮遊感が切迫感となることがなく、うまく機能できたとは思えなかった。
 もちろんはっきりと分けられるわけではないが、この劇を見終わったときの何とも言えない澱んだようなずっしりした疲労感は、事実そのものの重さのためだったのか、それを劇とすることで新たに生まれたものだったのか。事実のあまりの重さのせいで、この劇を観たぼくたちは、両者を混同して、ややもすると劇の重みに目が向かない。しかし、10年前の14歳たちが10年を経て再現するようになぞったのは、様々な歪みや誇張や曲解といったブレやズレとともに、一人称としての少年Aや青年Aを誠実に(という言い方には違和感があるだろうが)生き直そうとする執念のような熱さがあったからだろう。
 あの事実そのものが、今なお様々な曲解に包まれているそうだし、ぼくたち一人ひとりにあの事実、そしてそれに連なる14歳たちの事件を「正しく」解釈することはできないだろう。この劇が誠実であったと思われるのは、とにもかくにも一人の人物の10年に正面から向き合ったこと、その人物の問題を自分自身の問題として、なぞる以上に生き直そうとすることができていたことだ。ただの解釈や批評であれば、それこそ象を評すようなもので、全容をつかむことなどできまい。だから、この劇は、その人物の中に入ることで生き直すということを試みたのだろう。先ほどの問いを発した趣旨とは矛盾するが、妙にあざとい解釈を施そうとすることなく、事実そのものの重さイコール劇の重さであることが実現できたという点において、この劇は大いに成功していたといえる。出演者やスタッフにとっても、非常につらい作業だったに違いない。
 その役者たちは好演。少年Aは、もう少年Aはこのような少年だったとしかぼくは思えない。固着的な性向、不気味な哄笑、孤独感を的確に表現する表情。この劇団の作品は初見だったので、これ以外の役ができるのかと思ってしまうほどの好演、適役だった。少年Bの普通さもみごと。ここではあまりに普通な好青年という役どころだったと思うが、ブレザーがよく似合い、不登校の少年Aに関わることになってしまったことが気の毒に思えたほど。青年Aの色白で神経質そうな前傾の役づくりもよかった。厳しいストーリーの中で、のほほんとした雰囲気を作り出せたサイゴも好演。あまりふれる機会がなかったが、少年Aと青年Aを翻弄していく黒幕ともいえる黒江を演じた千葉哲茂の、粘着力のある「いやな感じ」がとてもよかった。

http://www.geocities.jp/titiharahara/

↑ぼくが観劇後参考文献として読んだ本です。

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「大山デブ子の犯罪」(テラヤマ博/演出:岩崎正裕) ■2007年5月5日(土) ■劇場:「-IST [イスト] 零番舘 ■作 :寺山修司 ■演出:岩崎正裕 ■作曲:橋本剛 ■主演:森本研典、南勝、岸部孝子、篠原裕紀、他子 今年のGWは先にも書いたように寺山修司三昧であった。つまり寺山演劇を3作品連続で観賞したのである。その中の1本、「大山デブ子の犯罪」についてその感想を書いていきたい。 マルチ人間の寺山修司が演劇の世界に乗り込んで「天井桟敷」を結成したとき“見世物小屋の復権”を唱えたそうであ... [続きを読む]

受信: 2007年5月23日 (水) 22時32分

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