« 無名劇団「トビラ、ソファミレド」5/5 | トップページ | こみなとレンジャー「骨のおもひ」 »

2007年5月27日 (日)

吉田商店「さくらさくら」 5/12

吉田商店「さくらさくら」 5/12 ロクソドンタブラック

 東北地方の過疎の町。桜の古木のある眺めのいい丘で、その桜を伐採して道路を通そうとしている国土交通省の役人たち。中でも一番クレバーそうな雪代(姓、「ゆきしろ」。原圭太郎)と、中盤で病魔に襲われているということがわかるさくら(うえだのぶこ)との偶然の出会いから始まり、その偶然がいかなる必然であったかということが徐々に明らかにされる、永遠の愛の物語。
 開発行政を担う役人たちのバックには、どうやら地元政界の実力者がいるらしい。一方、桜の古木のバックには、荒ぶる魂スサノオ(横井大三。メインキャスト所属)をはじめ、日本古来の四季の神々がついている。はるか昔、スサノオは一人の百姓から、この桜の根元を神々の集う場所として借り受けていた。その百姓は愛妻を病いで亡くし、端然と桜守として生きていくと決めていたが、スサノオから望みはあるかと聞かれ、ふと亡妻ともう一度この桜を見たいという。スサノオは、すぐにとは言えぬが、いつか必ずと誓って、歳月は過ぎ、現代である。
 観ているときは、非常にシンプルな話であるように思われたのだが、自然保護や都市化や過疎が問題となる現代の世界、神々と百姓が約束を交わしたいにしえまたはそこへ直結する神々の世界、という二つの世界が交互に現れる。両者を結ぶのが、まず、実は神々である5人。そして、男女の愛と出会いの物語である。いわゆる複線の物語として謎解きを置くのではなく、二つの時代を堅く綯った上で、両者を強く太く結ぶものを置くことで、太くシンプルな世界であるかのような作りになっているのが好ましい。ハッピーエンドの夫婦の愛の物語で、病いあり、お笑いあり、踊りあり、と様々な要素が盛り込まれ、新喜劇的な味わいも含めて、いわゆるウェルメイドな劇に仕上がっているのは、小劇場では珍しいことといえるだろう。
 劇の構成という面でも、桜の由来と中世の夫婦の悲劇を雪代に語ってみせるのは、神々たちによる田舎芝居風の劇中劇。このコミカルで時代がかった劇中劇の影響でか、何だか全体が古風な作りの芝居であったかのような印象を残しているが、シェイクスピア風の典雅な作りともいえるだろう。この場面は、めくりの洒落っぷりといい、デフォルメした演技の面白さといい、非常に達者な扱いだったと思う。それだけ大きな外枠の構成がしっかりしていたということではなかっただろうか。
 おそらく神々を見ることができているのは、雪代とさくらだけだと思われる。劇の中で神々の宴に交じって陽気に過ごしているさくらは、現実のさくらではない。現実のさくらは、手術以後意識が戻らず、弟(細井孝一郎)が車椅子を押しながら一方的に声をかけている、そういう状態である。神々と戯れているさくらは、おそらく意識だけの存在。それを見ることができている雪代とは、おそらく雪代の中の別の存在というか、単純に言えば、前世のようなものか。前世の存在と現世の存在が混濁し、時折現世を襲うように貫入して、現実の雪代の人生を変えていく。雪代の煩悶はリアルで、決意に至る表情はすがすがしい。
  さくらの病いの扱いについては、実のところ、劇の設定の上でも、劇の中の人々も、ずいぶん無理をしている。彼女の心臓病はかなり重篤で、本当だったら手術にも耐えられず、もう死んでいても不思議ではないほどの状態。それを生かしているのは、スサノオが約束を実現するために、さくらと雪代を昔の百姓夫婦の生まれ変わりと定めて、特別な力で生きながらえさせているからだ。しかし、その延命策ももうそろそろ限界に近づいていて、見切りをつけなくてはいけなくなっている。そんなさくらを、そして桜の木を救うために、雪代が自分の有望な未来を賭ける。ただし、国土交通省をやめて、桜守になるという雪代が「市役所にでももぐりこみますよ」というのは、興ざめ。現実味という点からは理屈には合っているかもしれないが、ここは思い切って農業をするというふうに夢を壊さないようにもっていくか、いっそ触れなくてもよかったのではないか。
 ラストで、生き長らえることになったさくらは、雪代を含めて一連の記憶は失っているはずと言われていたのに、実は覚えていたという逆転はあざやかなのだが、一言念押しの形で、弥生(百姓の妻)の願いでもあったということをもう一度強調してもよかったのではないかと思う。このラストだが、さくらの姓が木下、雪代の名が桜であることがわかったり、手の痣を見せたりと、いろいろなことが明らかになるのだが、ちょっとバタバタしてしまった印象。別に姓や名がわかったことが決定的ではなかったし、痣はなくても二人の縁が強いことは十分わかっていたのだから。
 ウェルメイドプレイがウェルメイドとなるためには、役者の力量が問われるのは言うまでもない。まず何よりも雪代役の原がみごと。職務に忠実な能吏ぶりも見せつつ、桜を伐ることへの煩悶、退職の決意、などポイントでの表情が的確で、好ましかった。クライマックスの健康になったさくらとの出会いで、「やっとまた一緒に…」とさくらが語ったのを受けた時の、信じられないような、喜びと驚きの入り混じった複雑で爆発寸前の表情は、実にすばらしかった。雪代の上司、蘭(あららぎ)を演じた喜多孝夫(よろずやポーキーズ)は、なかなかピンと来なかったが、終盤で狡猾さと能吏らしい無表情、そしてすべてを呑み込んだ上での懐の深さを一気に見せたようで、好演といっていいだろう。「本当に何が正しいかどうかはわからない。自分くらいは自分を信じたい」というような述懐は、なかなか現実的で、ちょっと放り投げたような口調もよかった。。さくらのうえだは、現代のにぎやかな普通の(ちょっとイケてない?)女性、桜の精(?姫のような出で立ちで現れた)、いにしえの病いに臥せる女性、車椅子の病人、と様々な役柄を求められ、姫らしいしとやかさからはじけたずっこけぶりまで、広い幅を見せた。特に桜の精でのあらわれは同一人物とは思えないほどだった。四季の神々を演じた4人(にのみやあやこ、萬知明(劇団ウエスト)、井上慎弥、久保田康裕)は、とぼけた芸達者ぶりで、よく芝居のアクセントを作ることができていた。スサノオの横井は、雄々しさとおっちょこちょいなところが共存したキャラクターを好演。
 舞台には大きな桜の木。これが駅の場面でもオフィスの場面でも隠されることなく見え続けていることを、シンボリックに解釈していいのかどうか、ちょっと迷うところ。
 プログラムによると、普段は「ショー形式のオムニバス公演」を行っているカンパニーで、初めての一本モノだったらしい。作・出演の細井孝一郎は、これが作家デビューとのこと。初挑戦に当たって、妙な実験や冒険をせず、堅実で観客を満足させることを第一としたウェルメイドプレイを目指したのは、見識といえるだろう。

http://www.geocities.jp/yoshida_show10/

花がさね<HGN-15>

花がさね<HGN-15>

販売価格¥1,680

バラエティ感のあるおもしろいギフト●石けん60g(桜)・石けん28g(緑茶)×各2・ボディソープ300ml(白梅)・ウォッシュタオル(34×34cm)×各1 …

拡大画像を見る
商品詳細ページへカートページへ

|

« 無名劇団「トビラ、ソファミレド」5/5 | トップページ | こみなとレンジャー「骨のおもひ」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 吉田商店「さくらさくら」 5/12:

« 無名劇団「トビラ、ソファミレド」5/5 | トップページ | こみなとレンジャー「骨のおもひ」 »