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2007年5月25日 (金)

無名劇団「トビラ、ソファミレド」5/5

無名劇団「トビラ、ソファミレド」5/5 ロクソドンタブラック

 主人公は高校の歴史の教師、七瀬ミツテル(宮崎信哉)。精神的に不安定な(過呼吸のように見えたがパニック障害か)女子生徒、文子(瀧野可菜)を、妹のように親身に面倒を見てやっていたが、文子が自殺、あらぬ憶測に見舞われたこともあり疲弊しきっていたところ、乗り合わせた最終電車の扉の事故で瀕死の重傷にあう。病床で意識が混濁する中、様々な場面が回想のように、また悪夢のように展開する。それら回想を通じて、自分自身、特に家族の関係が明確化される。両親を事故で亡くした後、自分の夢を諦めて弟妹を見てきた兄ヨウイチ(木下聖浩、Borderless Actors所属)へのアンビバレントな思い、ナイーブな年の離れた妹ナツヒ(島原夏海)を含めた不完全な家族というものへの複雑な思いが描かれ、これらの部分については佳編といっていいだろう。
 タイトルにあるように、「扉」がキーとなってはいるが、実は夢の中の出来事が次々と繰り広げられていく構成。特に扉であることが重要なモチーフであるような、たとえば(陳腐だが)自らそれを開くことで世界を拓くとか、叩けば開かれるのだ、とかいったふうな意味づけはされていないように思われた。
 それよりも気になったのが、舞台上の扉を開けることによって開かれる世界と現実世界との関係性に、恣意的ではないかと思われるようなバラつきがあったように思えてしまったことだ。包帯を巻かれた男たちが登場する場面は、おそらく煉獄のような死後の中間地点が描かれていたのだと思うが、ここでのふざけ方というか、チャリの入れ方が全体からやや浮き気味で、劇の序盤で主調を定めるためにはマイナスだったのではないかと思われた。ここで主人公に対して「あなたは何を失くしたんですか」という重要そうな問いかけがされるが、この問いへの答えはある程度明確に出されたのだろうか?
 率直に言うと、夢の場面になるたびに、あまりの転じ方の大きさに、その世界に入り、ついていくのが精一杯になってしまい、後半のシビト(流石矢一)を中心としたいけにえの祭祀の場面では、もうついていけなくなっていた。自己犠牲とか再生とか、重要なテーマが埋め込まれていた場面だろうが、これらの荒唐無稽ぶりは、劇の統一性にとってはマイナスだったように思う。
 また主人公が歴史の先生だったからといって、幕末を舞台に人斬り以蔵(木下)が出てくる場面となるのは、よくわからなかった。殺陣がやりたいから幕末にもっていったとしか思えない。ただし、この場面の剣劇にはなかなか迫力があった。また、ここでも以蔵を助けたいと念じたからフラック(瀧野)が出てきたのだよという言葉や、人の裏切りがあったりと、何かと思わせぶりで意味ありげなシーンが続出する。この落差の大きさのせいで、交互のように現れる全く夢(悪夢)としか思えないシーンと、現実のシーンの往還を楽しめないまま終わってしまったのが残念。
 往還で言えば、ミツテルをめぐる現実を描くために、二つの層が用意されている。一つは彼が勤めている学校で起きている、困難な現実。もう一つは、彼と特に兄との関係をめぐるアンビバレントな感情のもつれ。これらの現実はなかなか魅力的に、強い説得力をもって描かれていると思うのだが、それを分断する形で挿入される夢のシーンで拡散してしまう。はたして、それが狙いだったのだろうか。
 たとえば、ミツテルが妹のナツヒを思う心情と、文子に寄り添う心情とが、淡くシンクロするように思えたのだが、それをもっとはっきりと確認するように丁寧に描けば、現実の現在と過去に太い回路が作れただろう。
 夢と現実の間には、作者にとっては確固とした連関があって、それを観客は読み取るべきだと思っていたのだろうが、ぼくにはややその連関がほのかに過ぎるように思われた。何度も観ればどんどん太くすることも可能だろうが、一度しか観ないほとんどの者には、やや不親切だったように思う。3人の兄妹の関係、学校の2種類の生徒や教頭などには、たいそうリアルで丁寧な描き込みができていたので、もっとそちらに比重を移して、夢の場面を小さくしたほうが、劇の情感は深まったのではなかったか。
 なお、前説で作・演出の中條岳青が諸注意を述べた後、劇への誘導の形で雨がと言い、一人の役者(細井庸平か)が手にした傘をコツコツと鳴らして本編へと入っていく。趣向は悪くないかもしれないが、あまりに取ってつけたようで、所期の効果を表わせたとは思えなかった。観客の「開演前」モードを覆すには、もっと激しい力業が必要だったということではなかったか。非常に大切な劇の始まりが、少し躓いてしまったようで残念だった。
 役者では、キーとなる不安定な女子生徒・文子やフラックを演じた瀧野が出色。幕末の場面での殺陣のうまさには驚かされたし、しっとりした情感を出すこともできる。ドスのきいた太い声を出すかと思うと、消え入りそうな病んだ状態にもなる。ミツテルの宮崎も好演。文子を包み込む姿も真に迫っていたし、抑制したまじめな人柄がよく出ていた。兄の木下も、一人大人な役どころだが、その役割をきっちりと果たしていた。
 最後に一つ苦言を呈したいのだが、会場で配布されるパンフレットには役名が記されていないので、役と役者が同定できない。300円を払って有料パンフレットを買えば、顔写真入りで対照することができるが。配役を知らせる必要がないと考えているのか、知らせたくないのか、観客と出演者の双方に対して、どのような態度をとろうとしているのか、理解できない。劇の作り方として、集団を重視していて、個々の役者の役割を限りなくゼロであると見ているわけではないようなので、演技、役者の個の立ち方ということについて、何を隠そうとしているのか。何か勘違いしているのではないか。スターやアイドルなら稽古場風景の写真も意味があるだろうが、それよりはフラックという役名の意味をはじめ、劇を解読するキーとなるようなヒントのいくつかでも書いておいたほうがよかったのではないか。

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