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2007年5月16日 (水)

劇団SE・TSU・NA「ラフレシア」

劇団SE・TSU・NA「ラフレシア」4/27

 多角形のかすかな八百屋舞台、TVモニター、無機的なベッド、天井に開けられた灯り取りの小窓からの光…としっかりと雰囲気のある舞台美術。終盤でフラグランスをふりまいたのも、大きな仕掛けの一つ。女性研究者の女子学生への恋慕、記憶障害を装った記憶改造、クローン人間、をめぐる話。と、まずは思われる。
 劇の展開は徐々にスピードを増し、後半はジェットコースターのようにものすごい速さで流れていく上に、専門用語が連ねられるものだから、ストーリーを追いきれず、最後のほうはもうほとんどオーバーフローして、インプット不能な状態になってしまった。おそらく重要な鍵をつかめずに、大切なことが理解できないでいる。そのためか、いくつか腑に落ちないことや、矛盾しているように思えることもある。しかしそれは不愉快ではない。劇の中のことなのに、まるで現実のぼく自身がそのさなかにいるような眩暈の状態に置かれたということだからだ。
 前宣伝でも強調していた二人の女優のキス、大騒ぎするほどのことでもあるまいと高をくくっていたが、煽情的でなく美しいシーンに仕上がっていたこと以上に、そのことを過剰なほどに「禁断」と意識させることで劇の緊張感を高め、ルナ(モリマリコ)の抑えきれない思いの象徴として、そして劇の中から何ものかがあふれ出てくることの表象として、非常に効果的に機能した。ふざけたふりでキスをして「今の、罰ゲームだから」というのも(その表情、演技も合わせて)秀逸なら、そのことで自己嫌悪になりながらもこらえきれずに再びキス、そしてひまわり(鈴木いちか)が顔も変わってしまうほどに嘆くという展開も、すさまじく丁寧で行き届いている。
 ここで確認しておかなければいけないのは、ひまわりはキスをされて泣き嘆いたのではないということが、はっきりとわかるということだ。アダムとイブの楽園追放をふまえた展開は的確かつ魅力的で、「誰も口にしない果実なら…」と倒錯した理屈によって自らを納得させ正当づけようとするルナの狂ったような一途さが切ない。ひまわりの破れたような嘆きは、ルナが自分への思いのせいでそんなふうにまでなってしまうことに対して共振しているのだと思われ、強い魅力を発していた。キスという一事をあえて激しい倒錯(の決壊)として強調したことの効果は、さらにこの後二人が中央で手をつないで回っているシーンで、二人が心なしか上気しているように見えたことへとつながっていく。確実に劇場の温度が上がっているのだと思われたわけだ。
 この劇が魅力的だったのは、一つに二人の女優が魅力的だったことにある。容姿や声が魅力的だったことは言うまでもないが、劇の中のポイントとなる見せ場のモノローグで、実に的確で正確に狂気をあらわしたところ、劇そのものが向こう側へ行ってしまい、観ている者も連れ去られてしまうような力のある演技だった。
 劇の中で、人物が破れたり壊れたりしてしまうような場面に出くわして、身も震えるような衝撃を感じることがある。メジャーなところで最近の経験で思い出すのは、『贋作・罪と罰』の松たか子がそうだった。間違ってはいけないのは、感情が激したからといって、大声で泣いたり喚いたり叫んだりするだけのことではないということだ。「破れ」と書いたが、日常に人を覆っている被膜が破れて、とんでもないものが出てしまうような。きっと能の変化(へんげ)というのは、そういうことなのだろうなと。何か強い刺激…人格をすりつぶしてしまうような刺激を加えられて、必死の思いで耐え、耐えきれずというより、耐えきって、破れる。そこに、既にどうしようもない失われた美しさが、過去形として生じる。
 それでもやはり、いろいろとわからないところはある。いくつかの確実と思われる出来事を並べてみても、記憶云々のこととクローン云々のことのリンケージがよく辿れない。これはぼくが終盤オーバーフローしていたせいで、繰り返すが、これは全く不愉快ではないばかりか、謎が謎のまま残っているのが楽しくさえ思っている。
 ひまわり(実は、陽子)はルナ(実は、ノグチハルミ博士)の講義を聴きに来ていた女子学生だった。だからひまわりがルナのクローンだというには無理がある。ただし、同じ痣があるなど、そうであるというほのめかしもされている(なお、シャツのボタンをはずして痣を確認する姿は、露出度自体はほんのわずかなのに、ゾクゾクさせてくれた)。陽子が大病か何かで瀕死となり、病床の細胞からクローンを生成し、それがひまわりだというには、年齢差の点でかなり無理がある。年齢差という超えられない障壁をどうにかするために、記憶操作に走ったのか。あるいは、血痕の幻が提示され「私が陽子を…ごめんね、痛かったよね」と言っていたことから想像するのだが、ルナは陽子を殺害しようとし、瀕死の陽子をひまわりとして再生させたのか。
 女性である自分に全く恋愛感情を持ってくれない陽子に、「ただ抱きしめたかっただけなのに…」とルナは苛立ち、その記憶を全部消して新たに関係を構築しようとしたのだったか。すべての記憶を抹消したつもりだったが、視床下部にわずかに記憶の残滓が残っていたことがわかり、再度すべて取り除くためにコードをつなぐ。
 なお、スクリーンの中の男性研究者(神兼人)の存在については、単なる一登場人物、狂言回しや解説者といった域を超え、劇の基本的な構成の点で重要だったといえるだろう。これがもし映像でなく、劇場の空間(ということは、ルナとひまわりの時空間)に同時に存在するものであったら、これほどの隔絶感、隔靴掻痒の感は生まれない。映像の中にしか存在しない、もしかしたらもう不在であるかも知れないからこそ、不可触で侵犯不能な存在として機能した。もちろんそれは逆の方向からもそうだということで、彼の方からも既にルナ(博士)に働きかけることが不可能であるということだった。
 この不可触性(アンリーチャブル)ということが、実はこの劇の重要なテーマの一つではなかったか。ルナはひまわりに手が届かず、ひまわりはルナに理解が及ばず、二人は外の世界に手が届かず、男性研究者はルナを止めようとして手が届かない。そして冗談ではなく、ぼくはこの劇の真相に手が届かないまま、放置されている。快感である。

http://e-setsuna.com/


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