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2007年8月

2007年8月21日 (火)

「あげとーふ」がBS2で!

 昨年の高校演劇、大阪府大会で入賞し、近畿大会で優勝、全国大会出場をはたした大阪追手門学院大手前高校の「あげとーふ」が、今月2日、島根県での全国大会で優秀賞を受け、今月26日、東京国立劇場での「優秀校公演」で上演することとなったそうです。

 その模様は、翌27日のNHKBS2で放送され(0:15~5:45)、メンバーもその時間帯にスタジオで生出演するとのこと。

 同校OBで無名劇団の中條岳青の作品で、「I'll get off」と叫んだと思われてしまって…という、とてもシュールでコミカルな物語。大阪府大会の選考委員を務めていて見せてもらったのですが、爆笑の連続でした。

 どうぞご覧ください。なかなか面白いですよ。

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2007年8月 6日 (月)

雨垂事典「Swan Song」

7/8  ロクソドンタブラック
 FMレインドロップという小さな局で、10年間番組を続けてきた看板DJせせらぎレイ(城越理江)がとうとう降板する。その最終日、降板を知って、放送局に乱入し番組ジャックを図る、せせらぎのコアなファンでリクエストマニアの鷲敷(中上潤)。アシスタントDJのお笑い芸人小尾(為房大輔。劇団ZTON所属)の喉元にナイフを突きつけ、スタジオをパニックに陥れる。一方、鷲敷の指摘やせせらぎの振り返りから、この10年間でディレクターの窪峰(大里秀一郎。劇団ショウダウン所属)の指導によって大きく成長したと思われるせせらぎの変化、失ったもの-簡単にいえば個性の喪失-が見えてくる。完全引退も考えていたせせらぎだが、もし続けられたら、今度は自分で考えて自分の言葉でやってみようと決意、瀬頭編成部長(徳岡あつろう)も早速企画を、ということで円満に落着。せせらぎの本当の自分の声、しゃべり方ってどんなんやったっけなぁ、というしみじみとしたモノローグが印象的なエンディングである。
 タイトルのSwan Songは白鳥の歌ということだから、瀕死の白鳥が最期に歌う歌の中に真実があるというような意味。せせらぎの最後の一日に発せられる言葉に真実があるということだったのだろう。
 大きな不満が二つ。一つは、冒頭から鷲敷が乱入するまで、つまり劇が本格的に回り始めるまでが非常に長く、しかもその間の役者のテンションがものすごく高くて、劇の向かっていく先がわからず、非常に不安だったこと。合コンの話題はまだ放送局の雰囲気としてわからないでもないが、出前の注文のディスコミュニケーションのネタは、どう考えても引っ張りすぎのように思えた。
 もう一つは、鷲敷が後半で倒れるのは、空腹で力が入らないからとかいう他愛ない理由になっているが、本当だろうか? それならわざわざ倒れる必要があったのだろうか。実は不治の病で、と言われてもシラケたかもしれないが、Swan Songというなら、それをせせらぎだけでなく鷲敷にもテーマとして与え、どうしても彼を倒すなら、彼は余命幾ばくもなく、最後にと入院先から抜け出してきたなどというクサい設定にでもすればよかったのではないか。ぼくの読み違いで、もしそういうドラマが背後に隠されていたというなら、FM局のDJオーディションに鷲敷が前向きに興味を示すのがおかしいことになるので、まず間違いはないだろう。
 にもかかわらず、この劇は深くしみじみと感動し、共感できるものだった。それには、せせらぎを演じた城越の端正なたたずまいの爽快感に大いにあずかっていたと言えるのではないか。周囲のすべての人間が喧騒を作り出し、喧騒の中でさらに大声で自己主張をしようとしているところに、彼女だけは鷲敷の指摘に耳を傾け、まさに文字通り自分の声を確かめるために、放送ブースを離れてトイレに隠れていた。その間に、スタジオではドタバタの大騒ぎが展開するのだが、一度も欠かさずせせらぎの番組を聞き続けてきた鷲敷が、せせらぎの本当の声を奪ったのは、窪峰の「指導」という名の個性の圧殺だったという告発がある。
 やや生硬なこの発言は、せせらぎ自身の窪峰への感謝、窪峰のせせらぎを今の形にまで成長させたのは自分だというやや傲慢な自負を受けてのものだが、すべてを聞くまでもなくせせらぎにはピンと直感したものだったし、最後は窪峰にも納得されるものだったようだ。
 もちろんこのテーマは、十分普遍的なものだ。役者でもショップ店員でも営業でも、仕事(役割)の声ができてしまうと、自分の声がわからなくなる。自分の声というものがあったことさえ意識しなくなる。せせらぎは、しばらくの休養の後、再び自分の声を取り戻そうとする。何だか勇気づけられるような結末である。
 一方、これまでひきこもり状態の何者でもない青年でしかなかった鷲敷は、アクシデンタルにせせらぎの代役のような形でDJをやってみることになり、オーディションを受けるよう勧められる。うまくいけば、鷲敷は晴れてDJとなり、…自分の声を失っていくことになる。本当は、それが大人になる、社会の一員となるということなのかも知れない。一度自分の声を失った者の内、何人が、再度自分の声を取り戻すことができるのだろうか…そこまではこの劇で語ろうとされてはいないように思うが、思い出せば、そのような感慨も持ってしまう。
 舞台美術は、排気口の傑作な仕掛けを含め、スタジオの機構をシンプルに作っていたとは思うが、ブースを隔てる中壁と機材で前列の端からは向こう側が見づらかったのではないか心配。
 役者では、窪峰の大里が、熱くエネルギッシュなギョーカイ人らしさをうまく出していた。ミキサーの江草(よこえとも子)が、誰彼かまわず「合コン!」と叫ぶやや適齢期(そんなもんあるか?)を過ぎつつある男前ないい感じが出ていた。とはいえ、城越以外は、役者個々の魅力よりも、アンサンブルとしての勢いが、良くも悪くも大きくうねって舞台の波を作っていたといえよう。
 余談だが、いくつかのFM局でイエローキャブなどプロダクションが帯番組を持っていて、所属するグラビアアイドルがDJをやっているという現実を最近知って、結構驚いた。この芝居のように、何年も地味なDJが続けていた番組が、そういうグラビアアイドル(この芝居では焼酎ステラ(劇団ZTON所属)演じるMEGURI≒MEGUMI?)に乗っ取られるという事態は本当にあったのだろうなと思った。

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2007年8月 5日 (日)

七月ハリケーン「咲くや此の花」

ロクソドンタ・ブラック
 男女の様々な愛のありようを描いた、三話オムニバス形式の短編集。テーマだけでなく、妓楼の一室とした舞台美術(上杉龍。増田組)が一貫して使われたことからもわかるように、遊郭の女と客のやりとりを題材としている。舞台美術はずいぶん凝っているようで、障子、布団、燈火、屏風など、多くの小道具が不規則に乱れ置かれていて、ちょっと別世界のような廓の一室の濃密な雰囲気が出せていた。衣裳(植田昇明)やヘアメイク(白野景子。ミジンコターボ所属)も華やかさの一方で影があり、うらぶれた悲しさと美しさが出ていた。
 第一話「若松と先生」は、太宰治らしき先生(寿寿。フランケンシュタイナー所属)が若松という女(花田綾衣子)との死に場所を探す話。
 第二話「藍染とろくでなし」は、藍染という女(白野景子)を殴りまくる大店のろくでなしのぼんぼん(高橋明文。シアターシンクタンク万化所属)が藍染を捨てようとして殺され、女も死ぬという話。
 第三話「朱里と絵師見習い」は、絵師見習いの青年(平宅亮。本若所属)が、かつては一番人気だった花魁の朱里(野中摩耶。前 こみなとレンジャー所属)に惚れ込んでしまうが、朱里は生来の気の強さと過去の栄華が忘れられないのとで青年を寄せ付けないのだがやがて…という話。
 三話を通じて、廓の女の一途な姿や少し歪んだ姿と、男のみっともなさや一途さが描かれていた。公演チラシの「男と女、やることは一つ」という思わせぶりなキャッチコピーから、もう少しきわどい内容になるのかと思っていたが、それほどでもなかった。
 第一話では、何度か挿入される映像が「いい旅・夢気分」のようだったり、「サザエさん」のテーマ曲が流れたり、洗剤のコマーシャルのニューファミリーみたいだったりして、劇の感興を削ぐ結果になったのは、理解し難かった。劇への興味が深まろうとするのを、なぜ止めるのか、しかも演劇ではなく映像で。そういうことをする以上、そこには何らかの実験的精神があり、それによって新たに生まれる価値というものが想定されなければならない(失敗に終わったとしてもだ)。しかし残念ながら、なにがしかの情緒を出そうとしていることは想像できるものの、全体を規定するトーンが定まらず、どういう世界を作ろうとしているのか、舞台美術以上のことはわからない。心中を前にした男女の他愛なくありふれた日常的な様子を淡々と描いたにしてはバタバタしていたし、深刻さに陥らないようにばかりしていたようだ。ただ、若松役の花田はいい雰囲気を出していた。ちょっとポワーンとしたダルい空気を醸し出し、じわじわと先生を追い詰めていくような怖さがあった。
 第二話では、男の殴る姿がテニスラケットでも振り回しているようで、観ていた子どもが笑っていたが、どうにも様にならない。殴られることを藍染は喜んでいるように見えたから、男にもっと異常性が見られてもよかったように思う。男が商売に成功したのも束の間、贈賄だかなんだかの不正が摘発されて取り潰しになり、藍染のところへ別れを告げに来たが実は他の女と上方へ逐電する段取りである、という背景がややまだるっこしく、余計なもののように思えた。また、時々スタンドマイクに向かって独白するが、マイクの効果については不明。最後に剃刀で首を抉られた男が「今のお前、一番かわいいよ」と言うが、ちょっと唐突に思えた。ここまでのやりとりの中で、劇の流れに余白やゆるみがなく、結果的に余韻や言外のドラマを感じさせることがなかったからではなかったか。殴打を通じてでも、もう少し深みや屈折が出てくればよかったと思う。
 第三話は出囃子から始まったので、落語家の話なのかと思っていたら、美を云々したりするので、かろうじて絵師見習いというタイトルを思い出す。ただの着流しではなく、何かそれらしい衣裳はなかったものだろうか。絵師見習いの平宅は、容姿端麗で、一目で恋に落ちたまっすぐな青年の前のめりな純粋さがよく出ていた。朱里の野中は、気の強さ、プライドの高さはよく出ていたものの、こみなとレンジャーで出ていたときにも同様なことを感じたが、激昂するシーンになると、ただ大声で喚いているだけというか、演技でないものが透けて見えるようで、物足りない。「激昂スイッチ」をONにしたように単調で、迫ってくるものがない。終盤で青年の持ってきた薔薇の花束で青年を殴りつけ、舞台に花びらが飛び散るのは視覚的にも美しかった。
 全体を見終わって、三話あったにもかかわらず薄い印象しか残っていないのは、多少のセンスの良さは感じられても、驚きがなかったからだろう。男女の関係の本質を、醜さでも美しさでもえぐり出すような鋭さ、役者をぎりぎりまで追い込むような厳しさ、観ていてキリキリ、ハラハラするような興奮を感じられず、ありがちなお話が並んでしまったような物足りなさが残った。

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