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2007年12月

2007年12月25日 (火)

レプコフ氏レクチャーの詳細

「ダンスの時間」18Lepkoff氏ショーイング&レクチャーの概要が送られてきましたので、お知らせします。
ワークショップもまだ空きがありますので、お申込受付中です。

Daniel Lepkoff によるレクチャー&ショーイング

内容:
* コンタクト・インプロビゼーションのルーツとリリース・テクニック
* フィジカル・ダイアローグ
* 日常の動きに着目したインプロビゼーション・パフォーマンス

紹介予定アーティスト:
 スティーブ・パクストン、リサ・ネルソン、ダニエル・レプコフ、その他。

     1月14日(月・祝)19:00
         前売・当日共¥1000(ワークショップ参加者は無料)
         会場・申込:LOXODONTA BLACK
     ネット予約=http://kionet.ocnk.net/

ワークショップは、以下のとおりです。

1月10日(木)~13日(日)
      10・11日=18:30~21:00、12・13日=13:30~17:30
      (原則として、4日間通しでご参加下さい)
      会場・申込:LOXODONTA BLACK
      対象:ダンスや演劇など、身体を使った表現を行なっている方
      参加費:¥6,000(通し) (1日¥2,000)
      定員:20名(先着。通し参加の方優先)

TEL=06-6629-1118(ロクソドンタブラック)

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2007年12月23日 (日)

不自由な身体とはいえ

 今日送られてきた「劇団態変メールマガジン」に、小泉ゆうすけさんの、非常にライブな、印象的なワークショップ(レッスン)のルポが載っていた。

 小泉さんは、「左右の手の長さが違い、上半身を手で支えられなかった幼い僕には「四つん這い」の時期がなかった」と述懐するようなハンディの持ち主だが、態変の舞台を見たことがある人ならご存知のように、堂々とした「男前」だ。

 その彼が、金満里身体芸術研究所で「重力を感じながら座る」というレッスンを受け、「ジタバタ」しているうちに、「手も足も出ずやな。でも面白いやろ」と金さんに言われるというあたり、本人の真剣さがヴィヴィッドに伝わってくるのと比例して、何だかユーモラスでおかしい。「手を使わないで座るには、全身をフルに使う事が必要だと分かった」というくだりの、「分かった」ということの深さ!

 無断転載はお断りのようなので、ぜひ以下の方法で、態変メルマガe-imaju★069からと指定して、講読してみてください。

態変メルマガ e-imaju 発行中です。購読ご希望の方は、「メルマガ希望」と書いてメール下さい
taihen[at]japan.email.ne.jp 
([at]を@に替えてください)


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2007年12月 8日 (土)

妄想プロデュース「ノア」

妄想プロデュース「ノア」 芸術創造館 12月7~9日

 千石イエス亡き後の「イエスの方舟」の女性信者が経営するスナックを舞台に、千石が強調した「自己肯定」を正面から取り上げるために、新たな信者たちとして3人の男性ボクサーを加えた。一人はその拳で傷害事件を起こしてリングを追放になってしまっているようで、終始覆面をしている(衛藤眞平)。一人は勝ち続け、その芸術的な右ストレートはモーゼの一槌のように水の流れをも開くと称されている(池川辰哉。作・演出も)。しかし彼自身はその拳を肯定できず激しく苦悩する。もう一人は、その彼をモーゼと称えながら、自身の無力さに絶望している(正木太一朗)。
 設定にも展開にも非常に多くの無理や破綻があり、一貫性をたどることが難しく、失敗作とは言わないまでも、破綻した作品というのはたやすいが、痛切に感動した場面が数カ所ある。
 千石イエスが慕われたのは、彼が自分についてくる若者たち(女性)の話を聞き、肯定したからだ。「私なんか…」と自分を否定し、「どうせ」と諦める彼女たちの話に耳を傾け、何らかの言葉や表情によって、彼女たちに自己肯定、「あなたはここにいていいんだよ」というメッセージを送ったのだろう。「おっちゃんだったら、何て言っただろう?」と問いかけるようなセリフが出されたとき、彼女たちの闇の深さが推し量られる。
 また、池川演じるボクサーが「肯定しろ、肯定しろ」と繰り返し叫びながら拳を床に打ち付ける場面からしばらく、闇の深さとそこからの救済の苦さは切ない。破綻とばかり言っているが、実は彼が拳一つを自身のアイデンティティとして自己否定から自己救済へと至る過程は、実際にリングで倒され、テンカウントぎりぎりで正木らに「モーゼ!」と呼び覚まされて起き上がり、勝利を得るという、ストレートな筋道で描かれている。しかし、事実による相対的な勝利から得られる自己救済は長く続かない。池川の咆吼は真に迫るものがあり、これにつながる時間を作り上げただけでも、この芝居をやった意味があったというものだ。
 いよいよ山尾彩子演じるホステスがスナックを閉めることにし、コップにおっちゃんが好きだった酒を延々と、あふれてもあふれても注ぎ続けるシーンもまた切なく美しい。その後、拳を交わす3人のボクサーに、3人のホステス(山尾、鎌田恵弥、小田亜優美)がバケツの水をかけるシーンも、全くわけが分からないが無理矢理にでも感動させてしまう力技だ。水を注ぐ女というメタファも、頭から水をかぶるという行為も、共に何かを深くあらわしているのだろうと思われ、彼ら彼女らの自己獲得のためのどろどろの闘いの末に行為された儀式として、神聖なものに見えた。3人のホステスがバラバラに水をかけたが、一斉にかけた方が力強さが増したのではなかったか。
 電車のあまり止まらない駅で時間をつぶしているキオスクのおばちゃん(三井亜子、演劇集団TSUBASA)、白塗りした新卒社会人たちが電車を待ちながら新聞の誤植を探し、あるいは聖書の話を少し持ち出したりするのは、イエスの方舟という閉鎖集団に対する外部を象徴しようとしたのだろうが、今一つ緊密には噛み合っていなかったように思う。また、ホステスの衣裳がペラペラして、ホステスらしくなかったのも残念。
 舞台中央に終盤まで白布をかぶせられているオブジェの中身は、燃え尽きた明日のジョーのような、しかし真っ赤な人形だった。本当はこれがおっちゃんで、生身の役者であってもよかったような気がする。不在のおっちゃんをめぐる芝居だから、それを絶対に出さないという潔さは買うが、思わせぶりに最後まで引っ張ったわりには、布の中のオブジェが軽いように思った。おっちゃんといえば、覆面をした元ボクサーと山尾演じるホステスは、1年ほど店を留守にしていたようだし、覆面は池川演じるボクサーの罪をかぶっていたようなフシもある。もしかしたら、覆面は、もう死んだはずのおっちゃんだと考えてもいいのかもしれない。深読みで誤読かもしれないが、筋がたどりにくくあいまいな点が多かったので、いろいろな読み方ができる。それを長所として楽しむこともできる。これを失敗作というなら壮大な失敗作だと呼びたい。

■ミニクラフト 1/350 ノアの方舟 プラモデル

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2007年12月 5日 (水)

神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻第2回公演

 昨年できた新しい専攻なので、2回生までしかいないのだが、ゼロから島崎徹が一つのカンパニーであることを目指して丹念に手をかけた学生たちであるのだろう。変に個性を尊重してソロや少人数の作品を作らせるのではなく、専攻全体で一つの舞台を作っていることで、カンパニーとして大きな力を持ちつつあることに驚かされた。今はまだ2学年なので20人余りだが、これからいわゆる完成年度に向けて、ますます期待することができる。

 まず、群舞の力、というものを久しぶりに実感させられた。20人のダンサーがユニゾンで踊ったり、様々なヴァリエーションで2つや3つに分かれて動くことを見ていることが、実に楽しくて、面白くて、スリリングで、興奮する、ということを、改めて発見できた。

 そして、ダンサーが、踊ることを大切にしていて、楽しみ喜んでいることが、非常にダイレクトに伝わってくる。ダンサーの動きの質感がそろっているのが、大きな魅力である。細かいことに拘泥せず、大きなところで方向性がそろっているように思われた。細部についてはもちろんまだまだ出来ていないのかもしれないが、その伸びしろの部分も含めて、非常に魅力的な動きのできるダンサーたちだ。

 また、島崎徹というコレオグラファーの才能や手法や美意識が、手に取るようにわかるように思えるのも、大きな収穫だった。作品は「RUN」「Revez en decembre」「Here we are!」の3つ。床全体を大きく使った空間構成や、個人の見せ方、一直線の列の作り方、即興での遊び方、など、大変興味深く観ることができた。

■送料無料■華原朋美 CD【10th Anniversary Super Best Singles】(Here we areって曲が入っているので)

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『それからのアリス』11月23日 福岡市民会館

悲劇としてのアリス

Alice_2  よしもと版、ミューズ版に続いて3度目のサイトウマコトの振付・演出によるバレエ作品<アリス>は、福岡で「アリス」に田中ルリを迎えての上演となった。これまでの<アリス>との相違点を追いながら、今回のアリスの魅力を見ていこう。

 まず、「ルイスキャメラ」(山口章)という存在が追加された。彼の手の甲に装着された小型カメラがとらえた映像が、舞台カミ手のベッドの奥に仕切りのようにしつらえられたスクリーンに映し出され、それを精神を病んだ「それからのアリス」(東福寺弘奈。ダンススタジオ・ユリサ)が見続けている/見させられている、というしくみになっている。

 その映像は、赤松正行のオペレーションによって、加工されたりされなかったりするし、ワイヤレスカメラの性能のせいで左右に白いノイズが走ったりする。そのノイズが、不思議に観る者の感情にシンクロしたり、情緒的な昂揚を引き出してしまったりするのが面白い。色彩もモノクロになったり飛んでしまったりして、過去や夢の中の映像というものの持つ「遠さ」が明瞭に強調され、アレ、ブレ、といったノイズの不確実性が記憶や夢そのものであるような逆さまの現実感を喚起させた。

 この仕掛けによって強調あるいは混乱させられたのが、「アリス」(田中ルリ)と「それからのアリス」の関係である。ほとんどの時間、「それからのアリス」は舞台中央にも観客にも背を向け、ただスクリーンに向かって、ベッドに腰かけたまま、舞台上で舞い踊る「アリス」の映像を見ている。時間軸だけから言えば、それは現在の存在が過去を回想しているという単純なことなのだが、なかなか一筋縄では行かなかったように思う。

 彼女は一体何を見ていたのだろうか。「それからのアリス」は、「アリス」がもう一つのひじょうに豊かで楽しい世界を持ち得ている幸福な少女時代を終え、その至福ゆえに思春期以降には外界(おそらくは平凡で時には苦痛を伴うような世界)との関係をうまくとることができずに錯乱し、入院している姿だと思われる。つまり、時間軸に沿っていえば、「アリス」は「それからのアリス」にとっては過去の時間の中の存在であるということになるはずだ。

 しかし、ここでは「ルイスキャメラ」(もちろん『不思議の国のアリス』などの原作者であるルイス・キャロルをもじった命名)の介在によって、過去と現在と未来が攪拌され、「それからのアリス」と「アリス」は直接向き合いさえする。つまり、この二者の間には一方的な回想という時間の流れしかないのではなく、両者が双方向的に見る/見られる関係になっているわけだ。過去を顧みることは治療の一環であるだろうが、「ルイスキャメラ」はまだ過去に直面できるほど治癒していない彼女に、無理矢理過去を見せつけているようにも思われる。「アリス」が未来の自分である「それからのアリス」を見ることは、この場合残酷なこと以外の何ものでもない。まるでそれが裁判で決められた刑のようでもある。

 「それからのアリス」が入院患者らしく青白く化粧っけのない顔色をしていたのに対し、「アリス」が目鼻立ちのはっきりとした生気ある表情をしていたのは当然だが、虚脱して操られているように機械的で虚無的な動きをとる大人の「それからのアリス」に比べ、少女の「アリス」がかえってコケティッシュな女の魅力を振りまいているように見えたのも、おもしろい。これまでの「アリス」が、当時中学生だった斉藤綾子による思春期直前の少女性そのものであったり、身体の質量をほとんど感じさせない康村和恵であったのに対し、田中は既に女性の身体と感情を持った存在として現れていた。だからこそ逆に、「それからのアリス」の東福寺が、それらを喪失した虚身性を強調して現れることができた。つまりその変化が、単に時間の経過による成長の物語に付随したものではなく、少女性の中に萌芽している女性性をはっきりと提示することによって、「アリス」のその後の物語が、強奪され喪失した物語であることが明確化されたわけである。

 東福寺というダンサーは、後ろ向きにベッドに腰かけた背中からも放心や虚脱や喪失を感じさせることができていた。動きには潔さを感じさせる瞬発力と速度があった。身体の反った線がとても美しく、アクロバティックな強い動きに切なさが湛えられている。そして何よりも、物語と振付をよく理解し、強い感情と喪失感を秘めていることがわかるような独特の粘りがあったのがよかった。「ルイスキャメラ」とのデュエットも美しくいい雰囲気をかもし出していた。

 さて、改めて、「ルイスキャメラ」とは何/誰か。それは治療者であり、通底器である。原作者に似た名を持っているからといって、彼が物語のすべてを把握し支配しているわけではなく、「それからのアリス」に同伴して彼女の回復を願い、手助けしているようでありながら、本当は過去と決別しなければならない「それからのアリス」に対して、治療という名目で過去の「アリス」を見せつけることで、その回復を妨げている。回復した彼女が自分の庇護下から離れていくのを恐れているのかも知れない。そして彼の手の甲のカメラは、もちろん画像を送るだけではなく、アリスの過去と現在を通底させ、アリスの内面と外面を反転し惑乱させる。

 「ルイスキャメラ」という大役を務めた山口は、実際に長身でスマートなダンサーでもあるが、カメラであることに徹するために無表情を貫き、そのために彼が「それからのアリス」にどのような感情を持っているかはなかなかわからない。手の甲のカメラは、彼が意志を持って視界を選択・編集する彼自身の目ではないと考えた方がいいと思う。彼自身が、何ものかに動かされているように見えるようなシーンさえあったことが、非常に印象的だった。おそらくはこの作品全体の大きなテーマの一つであると思うが、不随意的に何ものかによって動かされてしまっているという感覚を、実に的確にあらわせていたように思う。後半のダイナミックなダンスも、長い四肢の魅力を存分に発揮した、スケールの大きなものだった。

 登場人物の多くが、ほとんど出づっぱりだったのも、大きな変更点の一つだ。ギャラリーとして各場面に「帽子屋」(原田高博)や「チェシャ猫」(柏木沙織。三ノ上万由美バレエ・スタジオ)など多くの人物が姿を見せていることが、ここでのすべての出来事の証言者としての役割を果たしているようで、大きな効果を出していた。

 それが最後の裁判の場面での緊迫と昂揚につながっていったのではなかったかと思われる。「アリス」に代わって直接的に「ハートの女王」(夏山周久)に裁かれ、弑されるのは「ジャック」(ヤザキタケシ)だが、トランプのジャック=ジョーカーがどのカードにでもなるように、その時の彼は「アリス」でもあったのかもしれない。その「ジャック」の末期は、実に悲劇的で孤独だった。それは、「アリス」(というのは「ジャック」本人かもしれないわけだし)以外の他の誰もが、「ジャック」の悲劇を悲しんでいないからだ。事ここに及んでは、「ハートの女王」の強権の前に、皆は感情を殺して無表情な存在になってしまう。そこから突き抜けているのは、「アリス」だけである。

 たとえば、「ダイヤ」「クラブ」「スペード」の各女王(順に青柳理恵、三上万由美バレエ・スタジオ。眞島左妃、ダンススタジオ・ユリサ。北崎珠子、田中千賀子バレエ団)が腕を左右に出して平面的にしか動かないのは、もちろんそれがトランプのカードだということを表わしているのだが、無表情でリリースのない佶屈しているような定型的で機械的な動きからは、この役の性格であるところの一面性、感情や人間性の欠如、すさまじいまでの威風を帯びた「ハートの女王」に追従する没個性、官僚性などがにじみ出ていて、的確な振付であり、それをよく理解した動きだったといえよう。
 大きな土管から顔を出す「ジャック」のヤザキについては、いつも観ているし、安心して観ていていいのだろうと思っていたが、やはりなかなかどうして、非常にスケールの大きなダンサーであることを、改めて認識することができた。普段は100人とか50人とかいった小さなキャパの会場で観ているが、このような1000人規模の舞台で、いっそうその存在感の大きさを感じることができたのが、うれしい。ピエロのようなコミカルさとシリアスさを併せ持った哀しみを、大きな振幅で表現しきれていた。

 ヤザキがバレエの中のコンテンポラリーダンサーということである種の違和を作ることで「おいしい」ところを持っていったように、「ネズミ」の中島GEN元治がストリートダンスを主体とする柔らかな動きやストップモーションを効果的に使った。もっと図々しく前面に出てきてもよかったと思わせるほど、ワンポイントに徹し、控えめで品があった。配下のSection.G所属のダンサーたちも、10羽の「鳥」役で力強いユニゾンを踊り、時間の流れ方の異なるダイナミックな動きをしていたのが、舞台のメリハリを作って効果的だった。

 「チェシャ猫」の柏木、「眠りネズミ」の石橋理恵(田中千賀子バレエ団)、共に柔らかさがある種の倦怠感を誘い、アンニュイな魅力となったのがよかった。柏木は猫というより、もっと軟体でセクシーで、「ウサギ」(新井崇)にしなを作って見せたり、ダラリとした雰囲気が役に適っていた。石橋は、速度と鋭さと柔らかさを活かして、「帽子屋」(原田)らとのテーブルをめぐる軽快なダンスでも高い緊張感を出せていた。
 「伯爵夫人」(高橋智子、高橋さと子バレエ・スタジオ)が口パクで歌を歌うバックで皿を空中に放り投げ続ける「料理人」(岡祥子、井上真喜子バレエ・アート)という奇妙で印象的なシーンも、岡のイノセントな無表情、美貌の高橋の硬質な品格、「鳥」たちのユニゾンの面白さで、上質に仕上がった。
 今さらこんなところで言うまでもないが、「ハートの女王」の夏山の存在感は大きい。迫力や威風というような言葉を使いたくなるが、終盤の「アリス」とのデュオで「アリス」を追い詰めていく厳しさ、それに続いて「ジャック」(ヤザキ)を引っ立てて処刑する厳しさが、「ジャック」の狂ったような死の踊りを導いたのだと思う。見せ場が少なかった中で、王たち(「スペード」=高須佑治、「クラブ」=原田祥博、「ダイア」=大平哲磁)は、終盤の短いソロで存分にピルエットなどを見せ、さかんな拍手を受けていた。
 「アリス」の田中ルリのすごさは、足の上がり方がきれいだとか動きのしなやかさや正確さが並外れているといったレベルの問題ではなく、役へと入り込む感情の強さが舞台の上に形としてきちんと表われていることだ。ウサギ(新井)や芋虫(ヤザキ)とのデュエットでは、柔らかなユーモアがにじみ出ていたのが魅力的だった。終盤で皆が別れを告げるように踊り去って、「アリス」がベッドに向かい、そこに「それからのアリス」が行くという場面があるのだが、この前後での「ルイスキャメラ」を交えた関係の緊張の強さはすばらしかった。もちろんそれに続くソロは大きく、強い切迫感を見せた。
 全体で2時間弱という大作だが、前回よりもずいぶんコンパクトになり、「アリス」「それからのアリス」の悲劇性や、「ハートの女王」のエキセントリックな残酷さが明確になり、骨組みのしっかりした作品になった。何よりもワイヤレスカメラを装着した「ルイスキャメラ」を加えたことによって、舞台の中に一つの視点が生まれたことが大きい。水玉上の白い円(球)を多用した映像イメージ(赤松)が最初と最後を締めたが、それが上昇し下降する様が、「アリス」が空間を移動することの喩でもあり、うたかたらしさをうまく象徴する喩でもあった。赤松の映像によって、舞踊空間という身体の生々しさが、今そこにあるのかどうかわからないような虚性を帯びたことが、興味深かった。

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2007年12月 4日 (火)

「ダンスの時間」18Lepkoff氏ショーイング&レクチャー

Daniel Lepkoff によるレクチャー&ショーイング
     1月14日(月・祝)19:00
         前売・当日共¥1000(ワークショップ参加者は無料)
         会場・申込:LOXODONTA BLACK
     ネット予約=http://kionet.ocnk.net/

■ヴィンテージスワロフスキー白ウサギストラップ クリア ローズクオーツ
 

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「ダンスの時間」18Lepkoff氏ワークショップ

「ダンスの時間」18に、はるばるUSから出演してくださるDaniel Lepkoff氏が、ワークショップを開いてくださることになりました。ダンス、演劇関係者の方を中心に、お誘いあわせの上、奮ってご参加ください。

 Daniel Lepkoff による  ダンサーと演劇人のための
 フィジカル・ダイアローグ ワークショップ

(インプロヴィゼーション・ワークのための基礎講座)
身体、コンタクト、時間、空間、行動と観察……
「動く」ことをめぐるすべての事象の本質を探る、貴重な数日間!

Chirashi_lep ダニエル・レプコフ氏
1970年代初頭にメアリー・ファルカソン、ジョン・ローランドの構造的ムーヴメントやリリース・テクニック、またマーベル・トッドとバーバラ・クラークのコンセプト等を通じてダンスと出会った。
 続いて、スティーブ・パクストンら、後にコンタクト・インプロヴィゼーションを開発する中心メンバーとなる人々と共に、'72年に初めてコンタクト・インプロヴィゼーションを公けに発表した。
 その後、世界各地で様々なジャンルの多くのアーティストとコラボレーションを行う。
 ニューヨークのムーヴメント・リサーチの創設者の一人。
 世界各地でダンスの公演を行い、また教育活動を行なってきた。'01年来日時のワークショップも好評を博した。

   1月10日(木)~13日(日)
      10・11日=18:30~21:00、12・13日=13:30~17:30
      (原則として、4日間通しでご参加下さい)
      会場・申込:LOXODONTA BLACK
      対象:ダンスや演劇など、身体を使った表現を行なっている方
      参加費:¥6,000(通し) (1日¥2,000)
      定員:20名(先着。通し参加の方優先)
      ネット予約=http://kionet.ocnk.net/

■韓国キティお料理運び携帯ストラップ KHHP-037【2007冬ボーナス】

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「ダンスの時間18」の詳細

2002年から始めている「ダンスの時間」、いよいよ7年目になる第18回を、1月に開催します。今回も大変充実した内容になっていますので、お誘いあわせの上ご来場ください。

Chirashi_saito 1月19日(土) 15:00
 尾沢奈津子 サイトウマコト(写真) 児玉千春 dots

1月19日(土) 18:30
 尾沢奈津子 Daniel Lepkoff+島田櫻 児玉千春 dots

1月20日(日) 14:00
 隅地茉歩 辻裕加 Daniel Lepkoff+島田櫻 dots

1月20日(日) 17:30
 隅地茉歩 辻裕加 サイトウマコト dots

上記はいずれも開演時間。開場は約30分前。

N-Trance Fishを率いて、演劇とダンスの境界を軽々と往き来し、新しいダンスの見せ方を切り拓いている尾沢奈津子、注目のソロで初登場です。セレノグラフィカの隅地茉歩もソロで初登場。たゆたうような動きを見せてくれるのか、ユーモラスな表情を強調するのか、楽しみです。dotsがダンス?、と驚く方もおられるかもしれませんが、身体表現と小空間の可能性に挑戦するようです。US在住の島田櫻は関西出身。渡米後久々の舞台となります。Lepkoff氏がどのような時空を帯びて空間に立ってくれるのか、期待が高まります。ドイツのメクレンブルグ国立劇場等のキャリアを持つ児玉千春は、前回出演時にもバレエのテクニックと現代性を融和させた、挑戦的な作品を見せてくれました。ワガノワバレエ学校(ロシア)留学の経験を持つ辻裕加はクラシックバレエ作品で小空間に挑みます。プロデューサの一人でもあるサイトウマコトは今回、満を持して「あばれる」そうです…!
 18回目を迎える「ダンスの時間」、通常の公演に加え、ワークショップやレクチャーも含め、盛りだくさんな内容でお届けできることとなりました。どうぞお誘いあわせの上、お気軽にご来場下さい。

料金:前売¥2,700 当日¥3,000(2回券¥5,000。会場でのみ取扱)
各回50名限定。極力ご予約下さい。
開場は開演の30分前
企画製作=LOXODONTA BLACK 
制作=ダンスの時間プロジェクト 
舞台=THE KIO COMPANY 
プロデューサー=サイトウマコト・上念省三・中立公平 
ネット予約=http://kionet.ocnk.net/

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