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2008年2月27日 (水)

ハイディ・S.ダーニング「Yurari(ゆらり)」

アルティブヨウフェスティバル'08
【ハイディ・S.ダーニング「Yurari(ゆらり)」】(2月10日)

 日舞の名取でもあるハイディ、能管の野中久美子、映像の八巻真哉、衣裳・扇のサラ・ブレヤーという4種類の表現の「フュージョン」作品。それに加えて、アルティの舞台機構を活用して、能舞台のようなしつらえにした。フュージョンという言葉は、ハイディが好んで使っている言葉のようで、融合というのが、ふさわしいのではないだろうか。

 幕が上がり、闇の中、能管が耳に切り込んでくる。ぼくが感じた能管という笛の音は、直線的に旋律を奏でることよりも、比喩的にいえば、音と次の音の高低の開きによって、幅や懸隔を生み、その開きの中に空間を包み込んでしまうような力があった。アフタートークで野中に能管という楽器の魅力を尋ねたところ、やはり旋律楽器であるよりも、空気に色彩を与えるような楽器だと思うと言われていたので、まんざら的外れな感想でもなかったようだ。
 そして八巻の映像は、木漏れ日、水面、雪というような、危うげに揺らぎ、消え滅んでゆくものをほぼ単色に、やや朧ろに映し出すものだった。それが実写を加工したものか、すべてCGで創られたものかは知らないが、それらが揺らぐものであること、存在と消失を往還するものであることによって、時間の幅を内包するものであったといっていいだろう。
 この舞台全体が能舞台を模していると思えば、この映像は老松であるといえる。能舞台にとって、老松というものそのものが神の象徴であったというが、それを反照させるような存在となり得たといえるだろう。
 つまり、それらの音も映像も、この現実空間に流れる20分とかいった時間の幅や広がりとは別に、独自に流れる時間を持っていたということで、それがこの舞台に複数の重層性を与えたことは間違いない。

 そこに、フュージョンそのものの身体と心性を持つハイディが現れる。日舞の名取でもあるハイディにとって、自分自身の身体が、母に連なる日本の舞と父に連なるヨーロッパのダンスの融合体であるという認識は、切実なものだと思われる。仕舞の舞い手のように現れたハイディは、しかしふわりと斜めに傾いでみせる。音と映像と舞台によって緊密に作られた空間に貫入しようとすることで生じる揺れのようである。この直立を失うということの凄まじさは、非常に力強いものだった。おそらく日舞では見られない動き方であると思うが、ハイディが入り込んだ空間の質感そのものを観客に触らせるような意味があったといえるだろう。

 地に耳をつけてその声に聴き入ること、強く扇を打つこと、それら音をめぐるいくつかの動きは、この緊密な空間に入るためのまじないか儀式のようでもあり、この空間の息づかいと舞い手の呼吸を合わせるウォーミングアップのようでもあった。
 扇で酒を飲み、酔い、しなだれるようになると、笛がテンポを速め、舞が大きくなる。ハイディが正面を向いてぐっと前へ出て来たときには、身体の正面と向き合うことの強さに驚かされた。能にもそのような動きがあったと思うが、まさにその存在そのものが迫ってくるような力強さである。それが酔いや速度とどのような関わりがあるのか。あるいは酔いの力を借りた変化(へんげ)がなされていたのだろうか。
 どんどん前に出てきて、舞台の縁近くまでたどり着くと、右手の扇を上げ、左手は地を指さす。形の美しさはもちろんだが、最もエッジである尖端の部分に立って、ここまで溜められてきた力を放出するような形にも見えた。そしてそれは、ハイディという舞い手自身の力を放出するだけではなく、この空間すべてが溜め続けて臨界に達した力を、ハイディの身体がアースとなって放出した、そのような力の流れであるようにも思えた。

 果たして、ハイディはゆるやかに去っていく。しめやかに、おだやかに。様々な装置によって空間と時間がキーンと耳鳴りを起こしそうなほどに歪み撓んで、そこにぼくたち観客も巻き込まれていた。その中で、まるで夢か幻のように現われ、去っていったものがあった。そのような時間だったと思う。

■福原百之助(六代目)/篠笛・能管 横笛組曲

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