« 「ダンスの時間19」もうすぐです! | トップページ | 「ダンスの時間」19 佐藤健大郎 »

2008年5月11日 (日)

ダンスの時間19 中山陽子

「ダンスの時間」19

 2日間9作品のうち、「ダンスの時間」初出場は佐藤健大郎(グループとしてはgraggioとして一度)、中山陽子、レティシア・セキト(初来日)の3人、再演作はレティシア・セキトの「A little bit of the body」(日本初演)と山本裕子の「白い旗」の2作。

(1) 中山陽子「in 地図のない島」
 自作のソロ作品は初めてということだったが、のびやかな四肢と豊かな表情をきっちりと提示できていた。まず冒頭でダイナミックな動きを見せ、カミ手奥に置かれた黒いビニルのゴミ袋が照らされ、上の梯子に引っかかった風船の入った袋を梯子に登って軽く落とすところから、作品の時間が流れ出す。
 指で双眼鏡の形を作り、世界を見渡すようにしたのは、彼女にとってもこの世界が未知のものだったからだろう。作品という世界を提示するに際して、作者にとっても未知であるとするのは、面白い。シモ手の小さな円形のスポットライトを手でふさぐが、そこからこぼれ、あふれ出てくるものがあるようだ。
 この場がどのようなものであるかを定め、その場所が自分のフィールドであることを謳歌するかのように存分に踊る。ダンス作品が一つの新しい世界を提示するために、ここまでの小道具の設定や序盤から存分に踊るという構成は、非常に有効だったと思う。そしてこの作品の眼目と言っていいだろうが、最後にゴミ袋の影から、ぬいぐるみのクマが取り出される。中山はクマの両手に付けたひもを持って、歩かせたり、浮かせて回転させたりする。このクマを、中山の分身のようなものとして、より自由にこの世界を跳ね飛ぶ存在と見ても面白いし、中山の対となるフレンドリーな存在、この世界で(ようやく)発見することができた他者として見ることもできる。展開の広がりとしては、後者、つまり他者であると見た方が楽しめそうだ。
P1010012  中山の身体の動きを見ていて気持ちいいのは、ある状態であることにためらいや迷いがなく、全身でそうであることができていることだ。世界を進んで行くことは、時には匍匐前進しなければいけないし、満身創痍になるかも知れないが、とにかく大きなストロークで、大きな歩幅で一歩一歩を踏みしめる、というありようがはっきりとわかる。
 喜びに満ちた表情で、いつも満面の笑顔で踊っているという印象がある彼女だが、実はある種の覚悟を持って、地面をキリキリと踏みしめているんじゃないかと、そんなふうに勇気づけられた作品だった。

■ジェリーキャット くま ぬいぐるみ 雑貨/ Rollo Bear 14 from Jellycat

|

« 「ダンスの時間19」もうすぐです! | トップページ | 「ダンスの時間」19 佐藤健大郎 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ダンスの時間19 中山陽子:

« 「ダンスの時間19」もうすぐです! | トップページ | 「ダンスの時間」19 佐藤健大郎 »