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2008年5月13日 (火)

「ダンスの時間」19 CRUSTACEA

(3) CRUSTACEA「ジ・・・」
 見終わって♪ポリネ~シア~という曲が耳に残っている。無音の部分とその曲の部分という二部構成のシンプルな作品。動きのパターンも、後ろを向いて右腕を波のようにヒラヒラさせたり、腰を左右に揺らせたりといった少ない要素を繰り返す。そのことで、ある種メカニカルでミニマルな印象が与えられ、二人のダンサーがメカニカルな存在であるように見える。
P1010107  思い返せば、CRUSTACEAのダンサー、濱谷、椙本の二人には、それが前面に強調されるか後景に引いていくかは時期によって様々であったが、メカニカルな身体という印象が離れない。客室乗務員の制服やスパガーデンの浴衣を着て踊っていた「コスプレパフォーマンス」の時期においては、いったん身体をそれらコスチュームに代表される(男性の)欲望的視線に封じ込めることで矮小化し、その収縮力を使って弾け出るように反発する身体の力をダンスとして見せつけることができていた。
 多くのアニメやマンガの女性性を帯びた身体がそうであるように、メカニカルであることとセクシャルであることは両立しやすい。ロボットや人造人間のような身体は、人間の模倣であるようにプログラムされているわけで、そのプログラミングの過程で支配、馴致、飼育といったような、加虐・被虐に近い関係を通過するからではないだろうか。しかも制度上は人間ではない。
 CRUSTACEAのダンスする身体は、定型的、メカニカル、ステレオタイプに収まってしまう部分と、そこから時には破裂的に、時にはなだらかに逸脱していく部分との対照が、常に鮮やかだ。それは彼女たちの世界への向き合い方として、ある覚悟と割り切りを示しているのかもしれない。近作では、逸脱して不定型であることの比重をずいぶん大きくしていたように思われた。
 今回の「ジ・・・」は、周到な計算の上でなだらかな逸脱を提示したと言っていいだろう。フラダンスを思わせるような腕や腰の動きは、原始的なセクシーさを持っているし、単調で俗っぽい音楽は、耳に残りはするが決して感動的だったり芸術的に高尚であったりとは言えないだろう。それら単調な反復の中から時折一人が、動きも位置も逸脱して全く別の動きを見せるのは、個への籠もりを表わしているようで、非常に興味深かった。もしかしたら別の作品では、その比率が変わるのかもしれない。

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