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2008年6月 7日 (土)

柳井愛一さんが亡くなった

 昔「JAMCi」(じゃむち)という演劇情報誌があった。1998年4月付けで最終号を出しているので、本当に10年一昔前のことだ。それが34号。1992年8月から5年余、34冊、よく続けられたものだと、今になれば振り返ることができる。

 その創刊メンバーの一人だったそうだが、そして一時期編集長という肩書きだったか、編集の中心に立っていたのが、柳井愛一さんだ。

 こんなラインアップの雑誌だった。18号に載っている「バックナンバー・記事紹介」から、最初の5号分。

(1) 特集/連続恋愛魔-関秀人★木村緑子 インタビュー/祝々亭船伝 蜷川幸雄“テンペスト”を語る '92高校演劇祭リポート 対談/市川明vs秋山シュン太郎
(2) Face/竹中直人 特集/夢~無意識下の欲望 インタビュー/三上寛 対談/川下大洋×かっぱ 海外リポート/アナザーグリーンワールド/維新派 加藤健一~牡丹灯籠を語る
(3) Face/加納幸和 特集/'93新春夢シバイ(わかぎえふ他) インタビュー/友部正人 VIEW/少年王者館 布施明|42丁目のキングダムを語る 対談/三上一郎×藤原孝一×小市慢太郎
(4) Face/嶋田久作 特集/旅公演の舞台裏 インタビュー/生瀬勝久 VIEW/劇団コーロ  インタビュー/石田長生 対談/ティシュ・アダムス×西野勝広
(5) Face/柄本明 特集/少年少女(松本雄吉他) インタビュー/唐十郎 パフォーマンス/M.グレイヴス×土取利行 祝祭仕掛人/古賀かつゆき

 ぼくが関わり始めたのは12号からということになる。当時「視聴覚通信」という自主制作の評論紙を出していて、それを送りつけて、何か書かせてもらえるとうれしい、と、ぼくの人生の中で本当に数少ない「売り込み」をしたところ、柳井さんから、ちょうどダンス関係が今面白くなってきているから、ダンスについて書いてくれるとうれしい、と連絡があり、「身体への眼」という連載を始めることになったわけだ。

 この時、柳井さんがぼくの「売り込み」に目を止めてくれなかったら、きっとぼくはダンスについて書き続けることにはなってなかったと思う。

 柳井さん自身、演劇はもちろん、ダンスを見る目も結構確かで(って言い方は失礼だけど)、何を観にいこうかとか、いろいろとアドバイスをしてくれたし、一緒に観にいったことも少なくなかった。大野一雄さんへのインタビューに同席してくれたことも懐かしい。トリイホールのサンルームのようなところで、あれは本当に緊張した。
 インタビューといえば、だんだん演劇についても書かせてもらえるようになった頃だったか、後藤ひろひとへのインタビューにもついてきてくれた。スペースゼロの別部屋だったかで、これもやりにくいインタビューだったが、まあ何とか済ませた。
 そういう時、柳井さんは、ほとんど口を挟まなかった。ぼくが少々おたおたしてようが、口から泡を吹きそうになっていようが、たまに何か言いたそうに「うー」とか「それはー」とやや高いトーンで間投詞のような呻きのような声を上げて、やっとヘルプが入るのかと思うと、そこまでだった。取材者としてのぼくの立場を最大限配慮してくれていたのだと思う。

 柳井さん自身は、けっこうインタビューが好きというか得意だったのか、あるいは予算の都合か、その頃の誌面には、インタビュー記事が多い。高田衛さんへの「四谷怪談」に関する電話インタビューが、ずいぶん大変だったことなど、後から聞かされて、こちらまで冷や汗をかいたこともあった。「四谷怪談」というのは18号の特集で、他にも露の五郎、川村毅、加納幸和、石丸有里子、武田一度へのインタビューが掲載されている。

 でもやっぱり「JAMCi」は決して経営的には順調ではなかったようで、今18号を開いていたら、'95年の7月に「リニューアル会議」というのが開かれたというメモが残っている。たしか福島の高架下かその近くで、ずいぶん大勢が集まって、「3年間の反省、問題点」(記事内容、ビジュアル、その他)、「今後のJAMCiのために」(新企画、特集、対象年齢設定、購買数拡大策)について話し合った。

 この時、なぜだかぼくは、結果的に柳井さんにあまり有利ではない発言をしてしまったことを、しばらくたってから気づくことになる。
 よく言われていたような、特集内容がペダンティックだとかいうようなことではなく、原稿の扱い方について、追い込みで組んでいくのは、独立した原稿として大事にされてみたいな気がしていやだな、というような、あまりに素朴すぎる感想を、不用意に口にした。
 特集内容について「批判」されることは、多少は覚悟していただろうが、そうでない部分についていちゃもんをつけられるのは、いやだっただろう。

 終刊の34号には、休刊に際して編集を担当した人たちからの言葉が寄せられている。柳井さんからのものを引く。

 ほとんど雑誌を作るということに対して無知なまま「じゃむち」に関わった。おかげで一時期かなり恣意的でわがままな特集が組めて、いろいろな人と会うことができた。その時々に出来上がっていった人々との関係は匿名のカミからもらった恩寵のような気がする。そんな機会を与えてくれた、じゃむちには感謝している。しかし結局自分は、雑誌作りのプロになれなかったようだ。途中で編集部を辞めざるを得なくなったが、その訳については今は語りたくない。
 最後までじゃむちを支え続けた現在のスタッフには心からご苦労様といいたい。僕がいたときよりもはるかに充実した編集スタッフたちだと思う。

 突然休刊を知らされた時に、ふと頭の中で鳴り響いた歌があるのでその歌詞を引用したい。

  生きることは哀しいよ
  生きることはさわぎだよ
  できることはしなきゃならないことなのさ
  しなきゃならないことをするんだよ
  だからうまくできるのさ  (ボブ・ディラン「雨のバケツ」)

 なんだか、じゃむちに対してではなく自分自身に向かってこんな古い歌を思い出したのかもしれない。
 ともかく終わってしまった。妙にあっけらかんとした寂寥感を感じている。でも終わりから始めていくのも一つのやり方だなと思う。

  彼は消尽する。あらゆる疲労の彼方で。
  彼は可能なことに(原文「の」)決別するのだ。
  「さらに終わるために」         (ジル・ドゥルーズ)

 可能性を失ったのちにしなければならないことが見つかるかもしれない。当分孤独な戦いが続くだろう? でもそれって、ちょっとかっこいいよね? もちろんこれは自分自身に向かってつぶやいていることでもあるのだけど!!

 何を引き写しているのだか、何だかよくわからない。部屋に残っていたメモのような、そんな錯覚に陥ってしまう。連絡がつかないので、心配した妹さんが部屋を訪ねたら、もう亡くなっておられたという。52歳だと聞いた。

 最近では、精華小などの小劇場ですれ違ったり、挨拶して二言三言交わすだけだった。さっき書いたような「引け目」のようなものがどうしても離れなかったことと、柳井さんの芝居に対する鋭い言葉に、圧倒されてしまうのを恐れてしまうこと、いつもガソリンを入れていい匂いをさせていた柳井さんの話が、ついつい長くなってしまうのを敬遠していたこと、等々、今できるのは後悔ばかりだ。

 編集者とかプロデューサーとかライターとかは、クリエイターに比べると、縁の下の力持ちとか、消耗品みたいなもので、たとえば劇作家や役者が写った写真がテレビや新聞で紹介されるときには、「左から、……(一人おいて)…」と一人おかれる存在だ。だからここに「JAMCi」のこと、柳井さんのことを、どうしても書いておきたかった。

 劇団態変の機関誌「イマージュ」最新号、42号掲載の「とても静かな祝祭空間について 物語論序説」が、柳井さんの「絶筆」になったようで、今日の会葬者に配られた。おかれる存在ではあるが、このように記し刻み、とどめることができた。「イマージュ」や「明倫art」「act」「劇の宇宙」など、様々な雑誌のページをめくれば、いつまでも柳井さんの眼ざしと語り口にふれることができる。もちろん実際の柳井さんのしゃべり口に比べれば、文字の柳井さんの方がずっと能弁で、整理できているわけだけれども、決して遠慮しない鋭い切っ先は、文字の上にも結構反映されている。

 今日のお葬式で、姪御さんだろうか、お別れを告げるのがどうしてもいやなようで、ずっとしゃくりあげ、最後のお別れというときにはお花を持って、いやだいやだと泣いていた。あの柳井さんが(失礼!)実はこの姪御さんにはずいぶんと優しい、面白い、楽しい伯父さんだったのかなと、それがずいぶん楽しく思えて、つらかった。
 その姪御さんも、もう少し大きくなったら、柳井さんの文章を少しずつ読んでみるといいですよ。伯父さんが、どういう目を持っていた人か、ちょっとびっくりするかもしれないですけど。

6月7日12:00 堺・中百舌鳥[西栄寺会館]で葬儀。

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コメント

あの柳井さんが亡くなられたのですね。
52歳という若さで…

いまから十数年前、ライター同士で徒党を組んでミニコミをやっていた時代、じょーねんさんより演劇系のライターとして紹介を受け、覆面座談会に出席していただいたり、ロックに関するエッセイを書いていただいたことがありました。
ちょうど柳井さんが「じゃむち」をお辞めになられた直後だったと記憶しています。

そのミニコミ、読み返しておりました。

外見は朴訥とした印象ながら、内面に熱いマグマをいっぱいため込んだ方ではなかったか、と思い起こします。 

ご冥福をお祈りします。

投稿: 古澤 | 2008年6月 9日 (月) 14時03分

そうなんですよ。。。
「BRAIN SALAD」、ぼくも訃報を聞いて、読み返しました。

なんでもない時に、また会いましょうね。

柳井さんの普通の姿について、なかたさんが活写しています。↓
http://blog.livedoor.jp/transpanda/archives/2008-06.html#20080607

投稿: | 2008年6月13日 (金) 02時24分

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