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2009年1月18日 (日)

【既発表】『カルミナ・ブラーナ』(演出・振付=石井潤)

(「明倫art」2008年12月掲載)

空間に歪みを与える身体の聖性

「2008秋の合同バレエ祭-創作バレエの夕べ」(11月25日、京都会館第2ホール)から
『カルミナ・ブラーナ』(演出・振付=石井潤)

 寺田美砂子(コンテンポラリーでは、みさこ)が身にまとっているものの本質を見きわめようとすることは、ダンスする身体が究極的に獲得することができるかもしれない聖性をさぐることであると同時に、聖性というものの本質を明らかにすることであるのだろう。

 カール・オルフの合唱曲「カルミナ・ブラーナ」において、彼女は主に素肌に紅蓮の炎が巻きついているような衣裳で、その上に様々なコスチュームをまとって、様々なキャラクターを演じる(衣裳デザイン=半田悦子)。

 だが、本当に彼女がまとっているのは、布ではない。コスメティシャンの白衣や修道女の祭服、激しく眼を射る裸のような生々しさを超えて、少なくともこの劇場という物理的に区切られた構築物の内側における空間のすべてが、彼女を中心にねじれ回転し、舞台上の存在はもちろん、客席もその渦に巻き込んでしまうような求心力の中心として存在している。

 ただ耳目を集めるというだけではない。彼女が舞台上に現れるだけで、均質だった空間に歪みが生じるような重みの現れ。例によってアウラとしか呼びようのないものではあるのだが、巧みに踊っている時だけではなく、たとえば第8曲「店の人よ頬紅をください」で、3人のチャーミングな女性たち(川畑真弓、松村弘美、水野永子)にでたらめに頬紅や口紅を塗りたくる奇妙なコスメティシャンという役柄で現れた時でさえ、紅を塗るというその行為が何か決定的な秘儀であり、この吟遊詩人の歌集でしかない単純な物語曲を魔性と愛欲の魔物語りであるかのように変貌させてしまうのだ。

 そのように舞台という零度の空間に、重みによる歪みを生じさせる存在を出現させることが成功したのは、もちろん振付の石井潤が仕組んだ奸計である。彼は周到に計算し尽くして最小限の地雷を置く反体制ゲリラのように、哄笑やエロスの素を随所にちりばめている。調理される寸前の白鳥(張縁睿)、ただの飲んだくれにしか見えない僧院長(香西秀哉)、寺田を自転車で追い回す男(森崎徹)等々の笑の種子をまきちらし、鮮やかな群舞や遅沢佑介のみごとなソロで視線の愉楽を満足させる。

 偏頗な再解釈という名の下に一人よがりな前衛性を強引に押し出すのではなく、万人が納得する中庸な完成度の中で最大限に遊びつくした、贅沢な作品だ。あらゆる機会を利用して、多くの人に観てもらいたい作品。

 今回も、できれば複数回上演してほしかった。そのことによって、多くの人が観ることができたということ以上に、すべての踊り手が、いっそう作品への解釈を深め、必要に応じて動きの粘度や透明度を高め、研ぎ澄ますことができたはずだからだ。

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