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2009年1月18日 (日)

TAKE IT EASY!×末満健一「千年女優」

 いなくなるのは、ずるいことだ。誰かがいなくなると、残された者にとって、その姿は凍結されてしまう。もちろん、いなくなった者にしてみれば、突然の中断は悲劇に他ならないが、いなくなられた者にとっても、悲劇の強さは変わらないか、むしろ生き続けなければいけない分、思いが徐々に大きくなってしまうことだってある。

 「千年女優」という言葉を、TAKE IT EASY!の公演があるというので、初めて知った。2002年に公開された今敏のアニメ映画を、末満健一が脚本・演出を担当して舞台化したものだ。美しく洗練されたデザインの三つ折の豪華なチラシと共に、その言葉はちょっとすわりの悪い語感であるのに、妙に印象に残った。たとえば、千年ダンサー、千年画家、千年詩人…だったら、どのようなありようなのだろう?、と。

 主役である藤原千代子は、関東大震災の日に生まれ、劇の始まりである75年後の取材の日にも地震に襲われている。阪神大震災の1月17日を挟んだ公演となったのは偶然かもしれないし、意識されたのかもしれないし、偶然という必然だったのかもしれない。しかしそのこと自体は、少なくとも劇では柔らかな喩として置かれているだけで、地震そのものが大きなテーマではない。しかしぼくたちは、地震によって何ものかがなくなることを知っている。

 この劇の中でなくなった大きなものとは、戦時中の弾圧によって虐殺された(ということは後年わかるのだが)思想犯の青年画家だ。千代子は逃亡中の彼をほんの行きがかりで自宅の土蔵にかくまい、その出会いが決定的なものとなり、数十年彼を追い続ける。千代子が満州に向かったのも、女優になったのも、すべて彼ともう一度会うためだ。

 劇は、戦時中から昭和30年代の映画の黄金期までの現実の時間を回想し、銀幕のスターであった千代子の代表作を振り返って歴史のエピソードを大胆に転々としながら、75歳になった千代子を取材しているドキュメンタリー製作会社の社長と助手を狂言回しに展開する。数十年間の回想と映画作品の時間を織り込むから、時間も空間も自由自在に行き来する。

 面白いのが、それに伴うように、舞台上の女優と役がめまぐるしいばかりに入れ替わることだ。主役の千代子は、主には回想シーンを前渕さなえ、現在を中村真利亜が演じるが、全員が演じる。同様に他の主要な役も入れ替わり演じられ、5人の女優は駕篭かきからドアから、数え切れないほどの役をあてられる。シーンによっては、4人が千代子になっていることもあるし、「それ、誰?」と素に戻って確認するようにして笑いを誘うこともある。

 その役の転換の鮮やかさが、すばらしい。一人の人間にとっての悲しみや喜びが一としてしか表現できないとすれば、ここではそれが5人によって演じられることによって、少なくとも5倍になりえている。千代子を演じる清水かおり、中村真利亜、前渕さなえ、松村里美、山根千佳のそれぞれの中で、千代子の、あるいは他の登場人物の、自分ではどうにもしきれない運命や時の流れに対する思いが、臨界点に達している。その転換を、彼女たちはあくまでクールに鮮やかに瞬間的に、掌か肘の動きかでスパッと切るように遂げている。そこで観る者の思いが残る。

 動きが鋭い速度を持っていたのは、強調しても強調しすぎることがない。その速度に、観客の感情は追いつこうと悪戦苦闘しているが、女優たちの思いはもっとすごい速度で疾走していた。疾走。たしかに、この劇は時間をも空間をも疾走する劇だったのだ。それはもしかしたら、「彼」が既に不在の存在であったからかもしれない。「彼」と千代子の出会いはほんの短い期間に過ぎなかったのに、それは何百万倍もの永劫に近いような時間となって疾走し続けた。それを5人の21世紀の女優たちは、舞台の上で身を翻し、懸命に疾走した。そういうことだ。

 結局この劇が残したのは、人の思いの強さということだと言っていいだろう。脇にずっと現れ続けるあやかしの存在も同様だが、思いの一途さが、千代子にすべてのものをはねのけさせる強さとなる。そのシンボルが「彼」から渡された鍵なのだが、それが実際に何の鍵だったかは、最後まで明かされない。しかし、見終わった観客は、それが確かに彼が言うように最も大切な何かを開けるものであり続けることがわかっている。それさえあれば、大丈夫だ。

 率直に言って、TAKE IT EASY!という劇団については、いつもどこかしら過不足を感じていて、それが魅力であると思っていた。永遠の未完成、とでも言うような。しかし今回この作品では、演技、配役、ちょっとしたおちゃらけ、すべてにおいて完璧だった。怖いほどだった。元々を遡れば震災の年から一部のメンバーについては見続けてきた長い付き合いだが、こんなにすごくなってしまって、これからどうなるのだろうという思いだ。彼女たちの懸命の85分を見終えて、本当にうれしかった。そしてロビーでプロデューサーの水口美佳が、これがしたかったんです、と呟いたのを聞いて、本当によかったと思った。まだまだ若いカンパニーだが、すばらしいきっかけをつかんだのだと思う。再演があれば、ぜひ観てほしい。
 アニメの原作もぜひ見たい。

 さて、この劇を見ながら、ずっと思っていた。「千年」というと、一人の生涯にとっては永遠に近い歳月である。しかし、芸術にとっては、不可能な歳月ではない。16日に亡くなった画家、館勝生のことを、たびたび思っていた。彼の新作にもうふれることができないということは、本当にどうしたらいいのかわからないぐらい、つらい。しかし、彼の四十数年に描かれた絵画は、存在し続ける。千代子の姿が銀幕に永遠に固定されていて、いつまでも感動することができるように、願わくは千年、館の作品が人々に強いインパクトを与え続けてほしい。そのような環境というか機会というか状況か、そういうものをぼくたちはどのようにして整備というか用意というか創造することができるだろうか。あの甲南大学での個展の初日に、杖をつき、酸素を吸入しながら一枚のドローイングをライブで描いた館の姿を、実際に見た人は数十人に過ぎなかったかもしれないが、その行為があったということが世界に刻む痕跡のようなものは、永遠で無限ではないかと信じている。
 ダンスもそうだと、信じている。

(1月16~18日、HEP HALL、大阪。18日17時の所見)

■千年女優DVD ¥3896(送料別)

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コメント

トラックバックさせて頂きました。本当に幸せな時間でした。
で、JAMCI以来、上念さんの長い文章に再び出会えたことにも
感謝しています。ちょくちょく寄らせて頂きます。

投稿: afrowagen | 2009年1月23日 (金) 00時42分

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■いくら振り切ろうとしても、いつまで経っても覚えている物、後悔とか思い出とか初恋とか、過去にまつわるあらゆる言葉で名付けて、収まりがいいようにしようとしても、どこかしっくり来なくて、結局気がつくと思いを馳せてしまっている人。たかだか33年しか生きていない自分にも、そういう存在がある程度、ある。時代の都合なのか、そこそこに平和な国に生まれたからという理由になるかなんてわからないけど、心の中に住んでいるそういうヒトモノゴトの数と、それぞれの深さは左右されるのかもしれないが、こんなに深くて暖かくて、けれど... [続きを読む]

受信: 2009年1月22日 (木) 00時00分

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