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2009年3月26日 (木)

baghdad cafe「キセキのこどもと私の飛ぶ空」---うーちゃんとくまさんのお芝居談義

baghdad cafe「キセキのこどもと私の飛ぶ空」(3月5日、芸術創造館、大阪)

う おととし、ロクソドンタ・フェスティバルで「サヨナラ」を観て、なかなか魅力的だなと思っていたbaghdad cafeの新作「キセキのこどもと私の飛ぶ空」(作・演出=泉寛介、3月5日)、まず舞台美術(高島奈々)がきれいだったね。雲のような色調で、抽象的に空とか羽とかを表わしてたのかな。ちょっとした妄想癖のあるOLアヒル(一瀬尚代)が孤独と無力感でというか、ビルの屋上から投身自殺を図って、重体になって、手術を受けるんだけど、その間に妄想だかなんだかが、通勤バスの中での出来事がぐるぐるとよみがえっていて、乗り合わせた人たちや乗り込んできたバスジャック犯とで交わされる、ロードムービー的なお芝居です。

く と、まあチラシにも書いてあるね。死んじゃうの?

う そんなに先を急がないでよ。死にません。それどころか、重体で意識不明の間に見たバスの中で出会った人の中には、未来におばさんになったアヒルや、アヒルの子どもまで出てきてたの。

く 過去が走馬灯のように回るっていうけど、未来まで出てきたわけか。

う うん。生まれてこなかった妹が柄の悪い女子高生(藤田直美)になって出てきてたり、交通事故で死んだ父親がそのバスの運転手(木原勝利。コレクトエリット)だったり。そういうことは最後にわかるんだけどね。

く 最後に謎が明かされるわけか。アヒルっていう人は、わかってるの?

う ううん、わかってない。すごく仲が悪くていらつくおばさん(仁津真実。シバイシマイ)が実は未来の自分だったりするんだけど。バスジャック犯(森岩宏文)は、実は病院で手術をしてるお医者さんなんだけど、昔アヒルをいじめてた同級生らしくて、それだけは独白の形で観客にもわかるんだ。それ以外は、最後までぼくたちにもわからない。

く 謎解き的な面白さはあるの?

う うーん、推理小説みたいに少しずつプロットを拾っていって、組合せてわかった、っていう意味での面白さは、ないね。言われて、あぁ、そうだったんだ、なるほどね!って感じかな。

く すると、このお芝居の眼目はどこにあるわけ?

う 今日はちょっとせっかちだね? 一つには、バスが猛スピードで疾走しているシーンが多いってこともあると思うけど、スピード感かな。意識不明の中でかけめぐる、記憶か予言のような展開ということで、日常的な時間の流れではないわけだから、直線的な疾走感というのではなくて、めくるめく感じ、三次元的な眩暈感覚っていっていいかな。それをどれだけ共有できるかということだったと思う。

く そのために、何か特別な仕掛けや設定上の工夫はあったの?

う 一つは、4人の女性ダンサーを使って、日常的・現実的じゃない感じ、正塚晴彦(宝塚歌劇団)なら「抽象的空間」というようなものを創ろうとしたんだろうけど、これは成功したとはいえないな。ダンスとしてのレベルが最大の問題だったけど、ちょっと人数も出番も多すぎて、メリハリを作れなかった。

く ということは、ダンスシーンはそもそもなくてよかったということ?

う この劇団の前の作品で、場面転換に当たる時間を、表情を見えなくした役者たちが舞台を円周状に歩くことで処理したものがあったんだけど、それはなかなか面白かったんだ。ただ時間が流れているだけじゃなくて、目に見えない存在がここにはたくさんいるんだよ、というようなことを物語っていたように思えて、ドラマの重要な鍵になっていたように思えた。だから、今回のダンスも、うまくいけば、時間の流れを変えたり止めたりできただろうし、舞台の上の現実感をなくすような効果が出せたと思うよ。

く だいたい、演劇の中にダンスを使うって、難しいんだろうね。何か物語を語るような表現的なダンスなら、物語の流れがまだるっこしくなるだけってことにもなりかねないし、抽象的なダンスなら、訳わかんないで終わるおそれもあるし、過剰に恣意的に意味を与えられてしまうおそれもあるよね。

う もう一つ、この劇団の大きな魅力は、一瀬尚代っていう主演女優の魅力をどこまで引き出すかということにあると思うんだよ。彼女は、ほとんど笑わないんだ。すごく細くて、大きな瞳をしていて、とてもかわいい人だけど、まず笑わない。笑うとすれば、時々「しょうがないわよね」「どうせ」って感じでシニカルに笑うだけ。ほとんど不機嫌。そういう役しか見たことがないんだ。

く ほんとにそういう人なの?

う 知らないよ、付き合ったことないし。でも、きっと違うと思う。作者の泉さんが、一瀬さんのそういう表情なり色合いに、どういう物語をまとわせて肉付けするか、というところで、この劇団の世界は成立してるんじゃないかと思うんだ。

く そういう一瀬さんを演出したのが、泉さんじゃないの?

う そうかもしれないね。でも、こんな細くてチャーミングな若い女性が、なぜこんなにまで不機嫌で怒ってばかりで投げやりでなきゃいけないのか、ということを考えて、物語が始まっていくんだと思うよ。バスに乗ってたみんなが、ほんとはアヒル本人だったり家族だったり、未来の子どもまでいて、みんなアヒルが幸せに生きていくことを望んでいたんだよ、っていうちょっとあっけないほどバタバタしたハッピーエンドへの終わらせ方も、そう思えば納得できたりして。

く なるほど、何か一つの世界を創るっていうことの中には、世界はこうあってほしいという祈りのようなものがあるよね。そういう思いが最後には表れたということかな。

う うん、甘いっていわれるかもしれないけど、安易に悲劇にシリアスぶって終わらせるよりは、よっぽど勇気がいったんじゃないかな。

http://www.gem.hi-ho.ne.jp/baghdadcafe/top.html

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