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2009年3月

2009年3月28日 (土)

柿喰う客「恋人としては無理」---うーちゃんとくまさんのお芝居談義

柿喰う客「恋人としては無理」(作・演出=中屋敷法仁、3月26日、精華小劇場、大阪)

(4月4日まで全国ツアー中につき、いわゆる「ネタばれ」にご注意ください)

う 去年、インデペンデントシアターのひとり芝居のフェスティバルで玉置玲央さんの舞台を見せてもらって、すごく面白かったじゃない? 猛烈に走ってボロボロになる女子高生の話。

く すごい乱暴な要約。

う 伝わればいいでしょ。その劇団の公演で、フランスのブザンソンで去年3月に初演された作品を全国ツアーしてるの。イエス・キリストをめぐる、使徒たちの話。エルサレム入城前夜から始まって、イエスが磔刑に処せられ、復活して使徒たちの前に現れ、使徒たちの何人かが殉教するということまで、けっこう福音書や使徒行伝に忠実にふれられてます。

く それは…何かひねってるの?

う お芝居の中でイエスは「イエス君」(台本の表記は「いえす君」とか「いえすくん」とかいろいろ)って呼ばれてるの。ちょっと面白いでしょ? どこから説明していいのか迷うけど、まずセリフの出し方、動作がものすごく速い。セリフなんか、ラップみたいだし、動きも意味なく速かったり跳び回ったりしてるの。それから、役が固定してなくて、たとえばマフラーを掛けたらポンティオ・ピラト(ぴらとさま)になるとか、くるくる入れ替わる。人物の設定は、名前は聖書に出てくる使徒で、愛称で呼ばれてたりはするんだけど、その内の何人かは女性ということになってて、イエスをめぐる男女関係の軽い嫉妬とかもあるみたい。

く わかりやすくなかったわけ?

う うーん、セリフは確かに全部聞き取れるわけじゃないけど、繰り返しも多かったし、十分ついて行けたと思う。疾走すべきところは疾走して、立ち止まるところはゆっくりと聞かせる、メリハリはちゃんと利いてたしね。内容的には、聖書の基本的な知識があったほうがよかったかも。ペトロ(ぺとろ)が使徒のまとめ役で、殉教の時に本当に逆さ十字架を望んだとか、知っていたほうがリアルによかっただろうけど、知らなくても「あぁ、そうなんだ」と思えたと思うよ。このお芝居にはいくつもの層があって、最初、ゲスト(この日は坂口修一さん)がツアコンになって、使徒の皆さんをエルサレムに連れて来たところで始まるアドリブ大会や、村上誠基っていう男優さんが突然かます中途半端なネタが流れる、ゆるーい時間もあるんだよね。それから、一番印象に残るのがラップのような独特の調子で猛烈なスピードでセリフが流れている時間。それから、わざわざ分ける必要はないのかもしれないけど、その猛烈なスピードが突然断ち切られて、非常に低温の冷たいトーンで独白のように語られる時間。特にコロさんという女優さんが印象的。この部分は、本当にシリアスな内容でもあるし、当然セリフもストレスなく聞き取れるわけで、空気凍ります。

く それは、大事なセリフだからそういう語り方をする、というふうに、厳密に意識的に分けられてるのかな。それとも、流れやリズムのタイミングで、任意に挟み込まれてるのかな。

う きっと、ものすごく厳密に、使徒がイエスについて行くということについて、重要なキーワード、シーンが選ばれてると思うよ。「私たちは、いえす君についていくだけなんです」というような重要な言葉は、きっちりとそういうふうに語られるわけだからね。

く 何だかちょっとわざとらしくないかな…それをラップみたいに速く、でも繰り返して強調するとか、そういう手はなかったんだろうか。

う うーん、唐突とか不自然という感じはしなかったんだよ。むしろ、話の筋に沿わせて言うと、エルサレムという都市の騒がしさの中で、その猥雑さに巻き込まれながらも、時々静かさを取り戻すというか、本質的には静かな湖面のような心境なんだよ、という使徒の状態を反映してるようで、すごくリアルな感じがしたんだけどな。それともう一つね、もしかしたらネタみたいな感じで、最初に言ったアドリブ大会なんかと同じように考えてるようなふりをしてるのかも知れないけど、これまた突然、玉置さんがTバック一枚で現れて、ぐちゃぐちゃにして連続バック転をするという時間。これをアフタートークで中屋敷さんは、劇の感動的なクライマックスのようなものをカットする装置として説明していたんだけどね。

く 「感動禁止!」みたいな? いいね。

う でもね、すごく説明しにくいんだけど、何だか全く別の種類の感動のようなものが湧き上がっちゃったんだよね。

く なるほど、物語の上でのクライマックスで、それをつぶすという形で出てきたとして、そこで何かインパクトの強いものを見せられたら、逆に前にも言った「強さ」として、感動を生むことになりかねないよね。

う うん、あるドラマティックな感動がクライマックスに達そうかというところで、パンツ一丁、しかもTバックの男が出てくるんだから、やっぱりドラマティックな緊張は切れるよね。そういう意味では中屋敷さんの言うとおり、断ち切られてます。でもねぇ、玉置さんの身体が、きれい過ぎるからかな、アフタートークでは、「陸上部と水泳部と美術部だったからこんな身体になった」って笑わせてたけど、贅肉のなさ、筋肉の形、軟らかさ、白さ…ギリシャ彫刻みたいに完璧なのね。そのバック転にしても、首の後ろで足の裏を合わせて膝の裏を両手で持つ体勢にしても、言ってみれば、無駄にすごいわけ。その無駄さにね、何だかものすごく感動しちゃったんだと思う。逆方向の強さでも強さには違いないもん。

く 物語の筋の感動とは別の意味で、でも物語の感動が残っているうちに別種の強さに感動しちゃったんだ。それが計画的だったら、こわいね。

う そういうことになるね。もう一つ、致命的なぐらい衝撃的だったのは、コロさんのヨハネ(よはねっち)。

く イエスに最も愛された使徒。一番若いんだよね。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でもイエスの隣にいて、一番美しく描かれている。

う ここでも、いえす君と一緒にカラオケボックスに行っちゃった女子ってことになってて、ワケありふうに描かれてるんだけど、それが現れてみると、脳性マヒのようなしゃべり方で演じられるの。兄のヤコブ(やっこさん)は「いえす君が愛した女なんて、うちの妹に決まってるだろ。…俺の妹は、世界で一番美人なんだからな」って言って、その直後に現れるヨハネがそういう姿で、ヤコブに「おーい。ヨダレたれてんぞー。汚ねーなー」なんて言われちゃってるんだけど、ここがね、不意打ちを喰らったようで、何だかイエスの本質のように思えちゃって、ほんとにびっくりして、泣きそうになっちゃった。

く うーん、その感動については、わからないでもないけど、どうなんだろう、そういう、イエスの本質とか、キリスト教の愛の本質について描こうとしたお芝居なのかな。

う わからない。そういう受け止め方をした人は少なかったかもしれないけどね。でも、フランスで初演されたわけだし、中屋敷さんも解説してたけど、マタイ(まーくん)はイエスの弟子になるまでは徴税人だったから鞄を持ってるとか、イスカリオテのユダ(ゆだりん)が初演で黄色いものを身につけていたのは図像学上決められていることだとか、そういうことはきっちり調べて反映してるわけなんだよね。

く いえす君は、最後まで現れないわけだよね。

う これもまた難しくてね、例のツアコンがその分身みたいな感じかなと思うようなところもあるんだけど、舞台上の事実としては、はっきりと違うんだよね。で、まぁ、いえす君は不在だというか、少なくとも観客の前には現れないと言っていいと思う。

く 一番大切な人物が不在だ、中心が空洞だというのは、図式としては珍しくはないかもしれないね。逆に考えると、もしイエスの扱いや解釈に関する部分がいい加減で薄っぺらなものだったら、演劇として、それ以外の部分も含めて成立しないよね。つまり、「柿喰う客」という劇団が、その劇団らしさの一番重要な部分として考えているのが、物語の筋書き以外の、セリフの出し方や動きのユニークさというような表層的なものだとして、そして表層と内実の分離や剥離そのものがテーマの一つだとして、だから内実はいい加減でもかまわないということは、絶対にないよね。逆に、表層であろうと決意した以上、内実は絶対に揺るぎのないものにしないと、表層も含めてすべて受け入れられなくなっちゃう。その点を勘違いしてる作家は多いだろうね。作業としては、ものすごく大変だろうけどね。

う あぁ、そういう分離や逆説があるとして、それがたとえば後半で低温で語られた、「ぼくはついていくよ」という、使徒たちが殉教へと向かう転換とシンクロしてたのかもしれないね。磔刑前後にはイエスを否定したり去って行ったりしていた使徒たちが、イエスの死後、正確には復活後、つまり使徒たちにとってイエスが現世的には不在になった後、ものすごく身近なものになって、使徒たちがイエスを生きようとするわけだよね。ぺとろが自分もいえす君のように自分の十字架を自分で担いで行きたいと思うけど、というセリフもあったけど、使徒たちの心の中で、何か逆転するようなことが起きたんだね。

く ちょっと深読みしすぎかもしれないけど、イエスに関することだから、しょうがないか。使途が男女として設定されたこともあるし、たとえばこれを千石イエスみたいな、イエス的なものとして読むこともできたよね。

う まぁ、できなくはないけど、これだけ使徒のエピソードも含めて具体的に描かれてると、やっぱりイエス・キリストの物語でしょう。素直に受け止めていいんじゃない? その上で、表現の屈折や分裂、剥落みたいなものを楽しもうよ。

く 最後に、タイトルについては?

う いえす君みたいな人、恋人としては無理、って思って、一度は離れて、もう平和に暮らそうと思ってたけど、やっぱり離れられなくて、いえす君と同じ道をたどることになって、ばったばったと殉教しちゃう人たちの物語。ま、どっちにしても、同性でも異性でも、恋人としては無理だよね、ってことかな。せつないね。

http://kaki-kuu-kyaku.com/

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2009年3月26日 (木)

baghdad cafe「キセキのこどもと私の飛ぶ空」---うーちゃんとくまさんのお芝居談義

baghdad cafe「キセキのこどもと私の飛ぶ空」(3月5日、芸術創造館、大阪)

う おととし、ロクソドンタ・フェスティバルで「サヨナラ」を観て、なかなか魅力的だなと思っていたbaghdad cafeの新作「キセキのこどもと私の飛ぶ空」(作・演出=泉寛介、3月5日)、まず舞台美術(高島奈々)がきれいだったね。雲のような色調で、抽象的に空とか羽とかを表わしてたのかな。ちょっとした妄想癖のあるOLアヒル(一瀬尚代)が孤独と無力感でというか、ビルの屋上から投身自殺を図って、重体になって、手術を受けるんだけど、その間に妄想だかなんだかが、通勤バスの中での出来事がぐるぐるとよみがえっていて、乗り合わせた人たちや乗り込んできたバスジャック犯とで交わされる、ロードムービー的なお芝居です。

く と、まあチラシにも書いてあるね。死んじゃうの?

う そんなに先を急がないでよ。死にません。それどころか、重体で意識不明の間に見たバスの中で出会った人の中には、未来におばさんになったアヒルや、アヒルの子どもまで出てきてたの。

く 過去が走馬灯のように回るっていうけど、未来まで出てきたわけか。

う うん。生まれてこなかった妹が柄の悪い女子高生(藤田直美)になって出てきてたり、交通事故で死んだ父親がそのバスの運転手(木原勝利。コレクトエリット)だったり。そういうことは最後にわかるんだけどね。

く 最後に謎が明かされるわけか。アヒルっていう人は、わかってるの?

う ううん、わかってない。すごく仲が悪くていらつくおばさん(仁津真実。シバイシマイ)が実は未来の自分だったりするんだけど。バスジャック犯(森岩宏文)は、実は病院で手術をしてるお医者さんなんだけど、昔アヒルをいじめてた同級生らしくて、それだけは独白の形で観客にもわかるんだ。それ以外は、最後までぼくたちにもわからない。

く 謎解き的な面白さはあるの?

う うーん、推理小説みたいに少しずつプロットを拾っていって、組合せてわかった、っていう意味での面白さは、ないね。言われて、あぁ、そうだったんだ、なるほどね!って感じかな。

く すると、このお芝居の眼目はどこにあるわけ?

う 今日はちょっとせっかちだね? 一つには、バスが猛スピードで疾走しているシーンが多いってこともあると思うけど、スピード感かな。意識不明の中でかけめぐる、記憶か予言のような展開ということで、日常的な時間の流れではないわけだから、直線的な疾走感というのではなくて、めくるめく感じ、三次元的な眩暈感覚っていっていいかな。それをどれだけ共有できるかということだったと思う。

く そのために、何か特別な仕掛けや設定上の工夫はあったの?

う 一つは、4人の女性ダンサーを使って、日常的・現実的じゃない感じ、正塚晴彦(宝塚歌劇団)なら「抽象的空間」というようなものを創ろうとしたんだろうけど、これは成功したとはいえないな。ダンスとしてのレベルが最大の問題だったけど、ちょっと人数も出番も多すぎて、メリハリを作れなかった。

く ということは、ダンスシーンはそもそもなくてよかったということ?

う この劇団の前の作品で、場面転換に当たる時間を、表情を見えなくした役者たちが舞台を円周状に歩くことで処理したものがあったんだけど、それはなかなか面白かったんだ。ただ時間が流れているだけじゃなくて、目に見えない存在がここにはたくさんいるんだよ、というようなことを物語っていたように思えて、ドラマの重要な鍵になっていたように思えた。だから、今回のダンスも、うまくいけば、時間の流れを変えたり止めたりできただろうし、舞台の上の現実感をなくすような効果が出せたと思うよ。

く だいたい、演劇の中にダンスを使うって、難しいんだろうね。何か物語を語るような表現的なダンスなら、物語の流れがまだるっこしくなるだけってことにもなりかねないし、抽象的なダンスなら、訳わかんないで終わるおそれもあるし、過剰に恣意的に意味を与えられてしまうおそれもあるよね。

う もう一つ、この劇団の大きな魅力は、一瀬尚代っていう主演女優の魅力をどこまで引き出すかということにあると思うんだよ。彼女は、ほとんど笑わないんだ。すごく細くて、大きな瞳をしていて、とてもかわいい人だけど、まず笑わない。笑うとすれば、時々「しょうがないわよね」「どうせ」って感じでシニカルに笑うだけ。ほとんど不機嫌。そういう役しか見たことがないんだ。

く ほんとにそういう人なの?

う 知らないよ、付き合ったことないし。でも、きっと違うと思う。作者の泉さんが、一瀬さんのそういう表情なり色合いに、どういう物語をまとわせて肉付けするか、というところで、この劇団の世界は成立してるんじゃないかと思うんだ。

く そういう一瀬さんを演出したのが、泉さんじゃないの?

う そうかもしれないね。でも、こんな細くてチャーミングな若い女性が、なぜこんなにまで不機嫌で怒ってばかりで投げやりでなきゃいけないのか、ということを考えて、物語が始まっていくんだと思うよ。バスに乗ってたみんなが、ほんとはアヒル本人だったり家族だったり、未来の子どもまでいて、みんなアヒルが幸せに生きていくことを望んでいたんだよ、っていうちょっとあっけないほどバタバタしたハッピーエンドへの終わらせ方も、そう思えば納得できたりして。

く なるほど、何か一つの世界を創るっていうことの中には、世界はこうあってほしいという祈りのようなものがあるよね。そういう思いが最後には表れたということかな。

う うん、甘いっていわれるかもしれないけど、安易に悲劇にシリアスぶって終わらせるよりは、よっぽど勇気がいったんじゃないかな。

http://www.gem.hi-ho.ne.jp/baghdadcafe/top.html

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2009年3月22日 (日)

浪花グランドロマン「初版 熱海殺人事件」---うーちゃんとくまさんのお芝居談義

■浪花グランドロマン「初版 熱海殺人事件」

う それから、浪花グランドロマンの女優4人の「初版 熱海殺人事件」(作=つかこうへい、演出=たまご☆マン。3月2日、船場ユシェット座、大阪)を観たよ。女優さんみんなが上手で達者なわけじゃなかったかもしれないけど、お芝居が進むにつれてものすごい熱を帯びてきて、終わってみたらすごく感動的で見ごたえのある公演だったぁ、ということになったのは、やっぱりつかこうへいの力、つかさんの台本が劇の力を引き出すのかな、と改めて思った。

く 大昔に観たのは、平田満と三浦洋一だったな…東京の大学に進学して、東京で初めて観たお芝居で、本当に度肝を抜かれたという記憶があります。

う 本当に大昔です。

く うるさい!

う 特に片桐婦警(細原愛美)が後半で大山容疑者(めり)の恋人役になって、大山を詰りかきくどくあたりは、すごくテンションが上がって、迫真でした。

く 今の若い人たちに、このお芝居がどんなふうに受け取られるのか興味がわくのと同時に、当時ぼくたちはどんなふうに観てたんだろうと、ちょっと不思議に思い返しちゃうね。ただただ迫力に圧倒されてたともいえるし、都会と田舎、標準語と方言、中央と周縁、警察への揶揄、歌謡曲の力…みたいに今となっては手垢にまみれた問題をいくらでも拾って来れるバイブルみたいな見方をしてた人もいたんだろうけど、このお芝居の中で繰り広げられている「痛さ」みたいなものが、何だかちょっとやさしいもののように思えるのは、ノスタルジーかな。

う 今のお芝居の「痛さ」のほうが、もっと容赦ないんじゃないかってこと? 去年宝塚で「蒲田行進曲」を下敷きにした「銀ちゃんの恋」の再演を観たときに思ったんだけど、殴り合っても傷つけあっても、それが愛情の表現だ、裏返しであっても、っていう前提は、絶対あるよね。

く 自分への苛立ちが相手に出ちゃってる、ってことも含めてね。あんまり一般論にしたらつまんないけど、一方的な痛めつけとか、ゲーム感覚の暴力ってことはなかったでしょ。

う だから「熱海殺人事件」がまるでメルヘンみたいに思えるのかもしれないね。

く みんなで大山を立派な犯人に、この出来事を立派な殺人事件に仕上げていこうという目的があって、そこにいたるサクセスストーリーだから。いくらそれが変な目的でも、はっきりとしていて、そこに周りを巻き込んでいけるんだから。

う そういうことなのかもしれないね。ぼくはいくつもある改訂版を観てないからわからないけど、どういうふうになってるのかも、ちょっと興味がわいてくるね。

く 観ない方がいいかもしれないけどね。

浪花グランドロマン=http://www.ngr.jp/

■【DVD】熱海殺人事件/仲代達矢

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上品芸術演劇団「あたしと名乗るこの私」---うーちゃんとくまさんのお芝居談義

■上品芸術演劇団「あたしと名乗るこの私」

う 対照的に会話劇みたいで素敵だったのもあって、上品芸術演劇団の「あたしと名乗るこの私」(作・演出=鈴江俊郎。2月22日、精華小劇場、大阪)。事務所の名古屋移転を控えていろんな意味で転機を迎えているOLたち、経営している工場が破綻した男と年の離れた若い妻、大学を辞めようとしていて憧れの事務職員の女性を連れ出すことに成功した学生、というホテルの最上階のレストランに集まる人たち3組、そして管理能力のない店長以下お店の人たちを登場させるんだけど、途中で向こうのビルの屋上で身投げをしようとする人を見つけて、そのことを気にかけながらも淡々と日常的な会話を続ける人たちを描いている作品。

く なんかちょっとこわいね。普通の人の日常にひそむ悪意とか?

う そこまで明確にはされていないし、それがあったとしても、ものすごく遠くの景色になってるのが、すごいと思ったんだ。

く これも四面客席だったそうだね。

う 精華小劇場初らしいよ。四方をお客さんが囲んで、レストランの店内となった舞台のテーブルに、それぞれ三組が座るんだけど、一場面で登場するのは一組だけ。一組の会話の場面が終わると、暗転ではなくてレストランの店員たちがテーブルを片付けたり卓上のキャンドルを交換したりして、一組が退場して、別の一組が登場する。

く 場面と場面はつながってるの?

う 時間的には、同時進行しているものをバラバラに見せてるの。

く どうしていちいち役者をはけさせて、そのテーブルの人だけ残すようにしたんだろう?

う うーん、わからないけど、レストランって、テーブル同士のコミュニケーションなんてないじゃない。だから、他の人と同時にいる必要はないよね。見えやすさとか、演出上の合理性とか、いろいろあったんじゃないかな。

く その出はけに要する時間とか展開っていうのは、いったい何だったわけ? 暗転じゃないわけだよね。

う うん。向こうのビルの屋上の男について話していることから言って、時間の流れはほとんどなくて、同じ時間に並行して流れて行ってることをばらして見せているわけね。ということは、時間を巻き戻して、視点を移動させる時間になってるわけ。その間にお店の人がテーブルを整えたりする。タイムマシンが作動しているような時間ね。でも、本当はその間にテーブルセットするわけじゃあないよね。お客さんにとっては、一息つく時間だったり、思い返してしみじみする時間で、目的はわからないけど、結果としてはゆるく穏やかな時間の流れとか、繰り返しの多い単調な日常、ということを強調できたと思うよ。

く 向こうのビルの自殺しようとしている男はどうなったの?

う 本当は自殺しようとしているのかどうかも、わからないんだ。でも、気になるね、そうだね、…で終わり。全然ふれられないまま。

く そのことが、登場人物たちの会話に影を落したりするの?

う ほとんどなくて、唯一そうかなと思わせられたのは、倒産する社長(鈴江)が「トイレ」と言って席を立って、しばらく戻ってこないところで、このまま屋上へでも行って、身投げするなんてことはあるのかな、と思ったんだけど、何もなかったように戻ってきます。この夫婦の会話はとても面白くてね、夫が45歳だとしたら、奥さんは女子大出たての24歳、って感じ、あまりにも世間知らずで現実離れしたお嬢さんなの。すごく仲がよくて、ラブラブなんだけど、ものすごく大きな溝がある、っていうのが恐ろしくて、面白かった。

く 他のグループにも溝や行き違いがあるの?

う たとえば学生と大学職員でわけわからないのは、大学職員の女性が一言もしゃべらないこと。

く 全然?

う 全然。ぼくの席からは、彼女の表情が見えなかったから、顔で演技してたのかどうかさえ全然わからなかったんだ。男だけ一方的にしゃべってた。そのせいか、学生はどんどんしゃべらされてしまうわけ。演劇はもちろん会話で成立しているものが圧倒的に多いわけだけど、会話しているペアやグループだけを残して、後ははけさせたり、一方は黙っているペアを出したり、かなり意識的な組合せパターンだったんだろうね。高度な実験が潜んでいる、っていう感じかな。

上品芸術演劇団=http://www.milmil.cc/user/jouhin/

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尼崎ロマンポルノ「鉄鋼スベカラク」---うーちゃんとくまさんのお芝居談義

■尼崎ロマンポルノ「鉄鋼スベカラク」

う 孤島に続く言い伝えと製鉄所の火災事件を絡めて、双子の姉妹の複雑な感情、妹の恋人だった男の謎解きを軸に、エネルギッシュに跳ね回った、尼崎ロマンポルノっていう劇団の「鉄鋼スベカラク」(作・演出=橋本匡。3月4日、精華小劇場、大阪)。これもまた若い役者さんのスピードと熱さで、すごく力強い作品だった。

く わりとややこしいのが好き?

う うーん、多少破綻というか、つじつまの合わないところを無理やり押さえ込んでいるようなところがあっても、スケールの大きなお芝居のほうが好きかも。恋人だった男・法助(堀江勇気)の謎というのも、後に彼が新聞記者になって製鉄所の火災の真相を突き詰めようとするということなんだけど、火災のさなかに彼自身が成美(寺本多得子。桃園会)を殺したというシーンがあって、それが現実なのか妄想なのか曖昧にされていたりするんだよね。そういうことを踏まえて、堀江さんの尖鋭的で狂乱した姿が、すごくカッコいいの。

く 舞台美術がすごかったんだって?

う サカイヒロトさんのメタルをたくさん使った、廃墟みたいな舞台ね。しかも四面客席。中央には川のように堀割があって、そこに鯉がいるとか言われるし、車のついた櫓のような大きなオブジェがゴロゴロと進んできたりという動きがあるし、客席を突っ切って役者が縦横に駆け抜けるし、ダイナミックな舞台だった。

く それをうまく使いこなしていたの?

う うん。スピード感が必要な時の疾走については、すごくうまく機能してたと思うし、道に迷うような感覚、どの道を選んでも相手が出てくるという繰り返しの表現には、すごく助かってたんじゃないかな。でも、櫓のようなものに何を乗せて、どうやって奉るような対象にしていくかというところでは、ちょっと説得力が弱かったかもね。照明でももっと工夫できたかもしれないけど、天井が低いのに櫓はきつかったんじゃないかな。

く もっと高いほうがよかったということ?

う それもあるね。製鉄所の高炉の鉄塔というには、ちょっと無理があったかもしれないね。作者の橋本さんは、神戸の酒鬼薔薇事件とか、実際にあった事件や現実社会の暗い部分を基にして複雑なお芝居を作ってきたわけだけど、今回は特に完全なフィクションということで、橋本さんの志向、嗜好がはっきりと出たのかもしれないよね。櫓には聖なる存在ばかりが乗るわけじゃないけど、それを求めることで、法助の罪意識を強調もし、浄化までは行かないんだけど、それが予感されるようなところまでは行ったんじゃないかな。スピーディな動きが強調されるお芝居の中で、しずしずと櫓が出てくるところは、ちょっと時間の流れが変わったわけだし。

く それははっきりと対比されてたの?

う そういう感じじゃなかったね。聖と俗とか、彼岸と此岸とか、そういう世界がはっきりと対比されていない、っていうか、世界はそうはっきりと分けられるものじゃないということが伝わってくるような、混沌だったと言っていいんじゃないかな。宙ぶらりんにしておくことに耐える姿勢っていうのかな。そういうのが、ぼくはこの劇団の、橋本さんの作品の魅力だと思うよ。

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彗星マジック「朔」----うーちゃんとくまさんのお芝居談義

■彗星マジック「朔」

う 筋を説明するのは、すごく苦手なんだけど、まず、イラクやアフガニスタンを思わせるような、公式には「戦後」なんだけどまだまだ内戦状況が続いている、という設定。一枚の写真に写っていたアコーディオンを弾いている二人の女性の運命とか、反政府側の策謀や葛藤とか、人間を科学の力で操ろうとする博士の真実やいかに?とか、音楽や娯楽の力とか、いろんな要素を、ボランティアで現地に入った二人の日本人の視点を中心に、複雑に入り組ませて感動的な作品になったのが、彗星マジックの「朔」(作・演出=勝山修平。3月1日、ウイングフィールド、大阪)。

く ややこしそうだね。

う でも、一枚の写真から始まって、ゲリラに捕まって危機一髪になって、そこから逃げて、迷い込んだ建物で出会う人たち…というように、序盤から展開がぐいぐいとスピーディで、案外混乱はなかったね。

く スピード感があったんだ。

う うん。男優たちの走る姿とかもカッコよかったし、展開にもたもたしたところがなかった。若い役者さんたちがすごく魅力的で、勢いのある作品だったと思うよ。朔(小永井コーキ)というのは、日本人ボランティアでカメラマンの名前。その友人ツゴモリ(寺尾有司。フリー)は理論派で行動も俊敏で判断も迅速で、すごいシャープな男なんだけど、朔はいつもおどおどしてて、もう日本に帰りたいって弱音を吐いてる。役割としては、朔はカメラマンだということからもわかるように「見る人」、ツゴモリは「動く人」かな。でもツゴモリは、自分の達成感のようなものばかり求めていて、現地の人たちに沿っていくような心は薄いように見えていたんだけど、街で足を離すと炸裂するタイプの地雷を踏んでしまったフート(太田真紀。フリー)を助けるために、彼女の靴の下に自分の手を入れて救うという場面で、彼の命を賭けた強い自己犠牲的な行動に、泣きそうになっちゃった。

く それはいわゆるステレオタイプな劇的エピソードではないの?

う うん、それだけ取り出して紹介するとそう聞こえるかもしれないけど、そうなるまでのいきさつからいって、決して取って付けたような強引なものではなかったし、そこまでに作られていた彼の人物像からその行動がちょっと意外だったということ、その意外性が実は深く納得できるようなものだったこともあって、違和感にはならなかったね。寺尾さんの表情がシャープで、演技も前のめりな感じで、よかったし。

く 何か大きなものは伝わってきた?

う 難しいんだけどね、きっと、極限的な状況の中で、いろんな人がいろいろな形で誠実に生きようとする姿といいうのが一つね。それから、その状況を打破しようとして、つまり平和を自分で創ろうとして、しばしば人は大変な間違いを犯してしまう、ということ。それがとても悲しく、というのは悲劇的にも、悲惨にも、丁寧に描かれていたように思う。

く 具体的には?

う たとえば、ミト(成瀬トモヒロ。劇団kuskus)は、今は小グループのリーダー格で、皆をまとめる温和な人なんだけど、だんだん裏があるように見えてくる。実は、生体実験によって人間の性質を平和を愛好するように変えて、それで戦争をなくそうとしていたの。その実験のために、昔、井戸に薬を入れて反政府グループを大量に殺したり、その現場を爆破したりしていた。そしてその実験にも失敗している…。

く ひどいね。でも、平和のために戦争を、とか言う人は多いもんね。

う その冷徹さとやさしさと純粋さを、成瀬さんは、絶妙に演じ分けてたと思うよ。憎たらしいぐらいだった。それからアコーディオン弾きの二人の女性、ウシオ(西出奈々)とヤコ(木下朋子)。おかしいのが、お互いに「お姉さん」と呼び合っていること。
く 双子でも、そうはならないよね…

う うん。関係性の言葉だもんね。正直言って、ちゃんとはつかめてないんだけど、どうも反政府グループが爆破されたときに招かれていた音楽家姉妹なの。ところが実は、ヤコのほうは、事件直前に知り合った瓜二つの別人だったらしいんだけどね、どういうわけか、というのはいくらでも理由は考えられるけど決定的ではないのは、つまり人間が一変してしまう理由なんて一つだけとは限れないということだと思うけど、とにかく、瓜二つの別人なのに、そうなってしまっているようなのね。そのこと自体、つまりヤコが以前のヤコではないことは、本人にも「お姉さん」にも封じ込められてしまっているらしい。つまり、ヤコは別人として生きているわけだし、姉のウシオは妹を失ったことは本当はわかっているのに、そして今目の前にいるのは別人だと知っているのに、以前と変わらないふりをしている。ものすごく大きな悲惨な事件の真ん中にいて、そうすることで二人ともかろうじて自分を保ってるんじゃないのかな。

く 大きな劇なんだね。それにしても、プログラムに配役が書かれてないのが残念だね。レビューしにくいし、客演の俳優さんなんかに、ここで目を留めて観に行くということがしにくいのは気の毒。何か必要があってのことなのかな。うーちゃんは、木下さんがお気に入りなんでしょ。

う えっ、あの、ま、たしかに、かわいいというか、声がいいし、無垢というか透明というか、そういうものが目に見えるとしたらこうかな、って…えーっと、はい、配役については、念のため、メールで西出さんに教えてもらったんだ。ありがとうございました。

彗星マジック=http://www.rinku.zaq.ne.jp/suiseimagic/toppage.htm

昔ながらの柑橘さっぱり酸味が特徴の和歌山由良の木成りはっさく八朔5kg

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dance+リニューアルにあわせて

log osakaの中の「dance+」というサイトが、4月から独立するということで、ぼくも原稿を載せていただくことになりました。

以前好評だった(笑)「うーちゃんくまさん」シリーズです。

対話形式で公演レビューをしていこうというわけで、書き始めやすいということもあったのですが、以外に対話形式にしたほうが話がややこしくなることもあり、必ずしも書き進めやすいとばかりはいえないようで、苦労しています。

それでも、何となく調子に乗って、早速大量掲載してもらいます。

http://www.danceplusmag.com/

だそうです。

その副産物として、演劇について、「うーちゃんくまさん」をここで始めてみます。スタイルが変わってるからって、引かないでね。

■ピンクサファイア2.35ctを埋め込んだ
       手足が動くキュートなピンクのうさぎネックレス(PGK18)

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