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2009年6月16日 (火)

【既発表】実験が奇跡となるためには~2008年後半のダンスから

(「イマージュ」44、2009冬)

 実は、前衛とか実験とか、要するに新しさということについて、なんだかな、という気分になっている。もちろん、それらしく状況論的に言うとしたら、進歩史観が終焉し、平滑化した現在においては、昨日より今日、今日より明日のほうが素晴らしいなどという右肩上がりの成長神話は無効化され、現在的(コンテンポラリー)であることの重要性は、相対的に低下している。にもかかわらず、ジャーナリスティックな批評の場においては、次代を担う新しさが本質的であるという希望と共に語られ、選ばれ、評価される。

 新しさという言葉に「目」をつけてみると、「目新しさ」になって、途端に薄っぺらで否定的な意味合いを帯びてしまう。今ぼくたちが一所懸命に対峙しているダンスが、何がしかの新しさをもっているとして、新しいことがよいことであるという無批判的な態度を超え、それがただの目新しさではなく、あるいはせめて見かけの目新しさを通じて、何か本質的なものにふれているのかどうか。

 もちろん、本質的とは何かという問いも、いざ正面切って投げ返されてしまうと、頭を抱えてしまう。ダンスにとって、現代にとって本質とは?……主観的な感動至上的態度にも、相対主義のがんじがらめにも陥ることなく、そこから世界の真実にふれているような何ものかを感受できているか。一つの世界を形づくる有機的な統一体として享受することができているか。眼前の身体から、共にこの時代を生きることの貴さを感じとることができるか。そのような実感を、なるべく大きな強度で受け止めたいと、常々望んでいる。

 観客や、さらにはもちろん批評家と称される人々の責任も大きいのだ。(目)新しさを追い求め、その表現者が時間をかけてそれを追究して熟成させることに対して、もうそれは見た、陳腐だ退屈だ、といってそっぽを向くような消費的な態度で表現に向き合うのであれば、本質的な表現は、生まれる前に立ち枯れしてしまうではないか。

 新しさを求めるとしても、その新しさが次の段階に内部で醗酵し、熟成し、円熟するまでの、場合によっては平凡な時間を共に味わうことができないのであれば、それは単に目新しさを消費し消却する態度でしかないし、成熟したものを陳腐であるとしか見ることができないのであれば、醗酵と腐敗の峻別ができないという、見る目のなさを暴露しているに過ぎない。

  だいたい、それが実験的かそうでないかを決めるのは、誰なのか。もちろん自ら実験であると意識し表明することもあるだろうが、終演後に観客が口々に「実験的な作品だったね」と囁き合うとしたら、それはいくぶんかは居心地の悪さを表明していることだったりするだろう。

 たとえば、現在では劇団態変(写真は主宰の金満里さんの著書『生きることのはじまり』)の作品に「実験的」という言葉はあまり似合わないように思うが、実際のところは、動く上で何らかの制限をもった身体をさらして、セリフや字幕を使わず、それでいてシェイクスピアの戯曲を上演したり、「チェ・ゲバラという革命に生きた一人の男の旅の物語」を描いていくのだから、少なくとも挑戦的だし、常に実験的であると言っていいはずなのだ。もしかしたら、実験的という言葉の中には、そうした実験を行っていることが、数々の選択肢の中から選ばれた唯一最良の方法論であるという前提があるのかもしれない。それに対して、態変がこのような方法論を取っているのは、彼らの身体の特殊性からしてやむをえないのだからという先入観があるのではないか。創設二十五年を迎えた態変は、初期にはセリフも使っていたそうだ。セリフを使うという可能性を捨てたり、いわゆる健常者を交えるという可能性を取らなかったりと、様々な可能性の中から選択された現在である。そのことをついぼくたちは忘れがちになる。

 その結果、今回の『すがた現す者』(作・演出=金満里。9月、扇町公園特設NGR雷魚テント、大阪)は、ゲバラ(上月陽平)と友人(小泉ゆうすけ)のバイクによる放浪の旅を軸に、戦闘や作戦遂行、人民との交流や愛をストレートに的確に描いたものとなった。いつも不思議に思うのだが、セリフもなく、顔の表情や四肢が器用に動くわけでもないのに、物語や感情の流れがはっきりと理解でき、それ以上に物事や人生が決して順調には流れていかないことについて根源的な説得力のある表現ができているように思う。今回は特にゲバラとは全く似ていない上月の懸命で直線的な表情が、ゲバラはまるでぼく(というのは上月であり観客の一人ひとりである)のようだという同調を感じさせ、舞台に観客の心を引き込み一体化させることに成功した。

 態変が挑戦的で冒険的で、常に実験的であると言うと、それは「障害者」だからねという留保をつきまとわせようとする向きもあるだろうが、問題はその挑戦や冒険や実験がいかに金満里をはじめとする態変の人々の本来性に根ざしているかということであって、存在の本来性に根ざすことのない実験など、単なる思いつきや思考遊戯に過ぎないということなのだ。

 ところで、余談だと思ってもらっていいが、この「すがた現す者」を観ながら、思い出されて仕方なかったのが、この直前に宝塚歌劇団雪組で上演されていた「マリポーサの花」という作品のことだ。この作品の作・演出を担当した正塚晴彦は、「二人だけが悪」「ブエノスアイレスの風」など、中南米のゲリラ戦士や、革命後の茫漠を執拗に描き続け、宝塚歌劇では異色とされてきた、かなり挑戦的な存在だ。今回も、もう革命の灼熱は終わったと言いながら、社会矛盾に憤怒する若者たちに最終的には力を貸す、外見はクールで内面は熱いタフガイを、水際立った鮮やかさで主演の水夏希に演じさせた。

 朴訥で、失礼ながらカッコよさとは無縁な外見の上月のゲバラを見ながら、宝塚のトップ男役と比べるのもおかしいかもしれないが、しかしそれにしてもこの上月たちのナイスガイぶりは何なのだろうと、人の生き方とは、どのように困難であろうとも、一歩一歩足を前に出すことの単純な反復であることを思い知らされ、深く静かな感動に浸っていた。以前も述べたことはあるが、そのような困難さを描き出すには、態変の役者たちの身体は、実に相応しい。ぼくが態変の舞台を見るのは、こういうところにある。

 さらに話は逸れるが、態変のいくつかの作品には、フィナーレで役者が思い思いの飾りをつけてパレードのようなことをするものがあった。宝塚歌劇に似通った突き抜けるような祝祭性への志向が、幾分なりともあるのではないかと、以前から思い、ちょっと楽しく思いをめぐらしている。

 ダンスボックスの企画「大阪BABA」で面白かったのは、アジアから招いた複数のダンサーが、自らのダンスの来歴を、伝統と歳月に根ざした地点から述懐していたことだ。彼らを迎え撃ったのが、ピチェ・クランチェン(タイ)には観世流能楽師シテ方の山本章弘(10月、山本能楽堂、大阪)、ジェコ・シオンポ(インドネシア)にはヒップホップのosamu(10月、細野ビルヂング、大阪)だったというのも、非常に挑戦的で興味深いセレクトだった。
 
 元来インドネシアのパプア島の伝統的な舞踊になじんできたシオンポが、首都ジャカルタで学んだ後、ニューヨークでヒップホップにふれ、それが郷里のダンスと寸分違わぬようで驚いたという話には、こちらが驚いた。つまり彼にとって、ヒップホップのスタイルで踊るということは、自らの根に連なることであると同時に、アメリカであり、現代である。そのことが彼にとって二股膏薬のような奇妙な感覚であるのか、喜びであるのかはわからないが、ヒップホップ的な動きがある者の中でそのような二重性を持っているということを明確に示すことは、ではosamuがヒップホップを踊ることは、あるいは誰某がモダンやジャズやコンテンポラリー等々を踊ることは、ということを問うことに連なる。何なら、日本人が日本舞踊を踊ることさえも、人種や文化や言語や身体性の関係に遡って、問い詰めなくてはならなくなるのだ。

 普段コンテンポラリーダンスを観ていると、ヒップホップなどストリート系のダンスをちょっと別物として考えてしまうようなところがある。おそらくそれらのダンスが独創的だったり個性的だったりしないという先入観があるからだ。たしかに規則的なリズムに乗って踊ることが当然とされるダンスにおいては、なかなかそのリズムパターンから逸脱することは難しいだろう。逸脱という現象が発生しない限り、個性や創造性は生まれないといえるだろう。
 シオンポの動きや重心の振り方は、ヒップホップのようでありながら、直接的に土着的な意匠をまとって見せることで、観る者に驚きを刻み込む。その土着のあらわれが、身体を規則的なリズムにとどめず、動きを表面にとどめない。そもそもロック(lock)という停止のスタイルを内包しているヒップホップの可能性は、このあたりにあるのではないかと思われる。

 もちろん、ヒップホップが枠の外だなどというのは、既にぼくの全くの不見識なようで、たとえば「日本ヨーロッパ交流文化デイ」として開催された「DANCE FEVER」(5月、大阪国際交流センター)で紹介されたドイツのE-Motion、スペインのBRODASは、ヒップホップからスタートしたカンパニーだった。いわゆるコンテンポラリーダンスを期待した観客は、少々戸惑ったかもしれないが、いまやヒップホップ的なるものは国境や文化の違いを超えて、次の世代の人々のアイデンティティを支える不可欠なものになっているようだ。

 また、「踊りに行くぜ!!」SPECIAL(東京・大阪・インドネシア)、TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARDネクステージ特別賞・オーディエンス賞に、ヒップホップ出身のKENTARO!!が選ばれたことは、彼自身の逸脱するエネルギーの大きさを証しすると共に、コンテンポラリーダンスがどのようにしてその範囲を広げうるかという軌跡をリアルタイムに見せてくれているという意味で、歴史的な出来事だといっていい。

 ドイツ、スペインのカンパニーも、KENTARO!!も、ヒップホップの連続するリズムに身を委ねて動き続けることから逸れて、音を止めたり動きをやめたりした間隙に、「私」という物語を挿入することで、表現の独自性を獲得しようとしているようだ。ポストモダンが放棄した「私」というものの行方をさぐる上でも、気になる試行である。

 岩下徹は、即興という時々刻々の実験を続けている。「放下」と題されたシリーズは、無音、即興、60分という条件だけを課して、今回の京都公演で21回目、21年目となったものだ(「放下21」、12月、京都芸術センター講堂)。そもそもは、無批判な状態で音楽を伴奏的に扱うことへの疑問から、無音で踊り始めたということだ。

 ダンスする空間は、多くの劇場にあっては無個性なブラックボックスであるが、京都芸術センターは、元は明倫小学校という歴史ある建物で、二階の講堂は木目も鮮やかに、蛍光灯のシャンデリアがいくつもぶら下がっているという風情のある空間だ。四方を観客に囲まれた正方形に近い空間に、空気を切り裂くような超人的な勢いで、岩下は入り込んできた。

 実はこの前日に、必要があって1970年代にコンタクト・インプロヴィゼーションを始めたメンバーの一人であるアメリカのダニエル・レプコフによる2002年の即興作品「Public Address」の映像を見ていたのだが、レプコフがあくまで低いテンションのまま日常の動作の延長のように作品の時間を始め、終わったのに対し、岩下はテンションを高めた状態の動きと精神を維持するために、かなり意識的に激しく緩急をつけて動いていたように思われた。あえて対比的な言い方をすれば、レプコフが作品時間が始まった後に、アクティングエリアの中で空間の観察と把握を始めたようだったのに対し、岩下はアクティングエリアの外側から既に用意したテンションで作品時間を自ら始めたようだったのだ。

 放下とは仏教用語かと思っていたら、ハイデガーの著作のタイトルから見つけたドイツ語だそうで、手近な独和辞典では「冷静」とか「落ち着き」という訳語があてられているが、岩下の解説では「あるがままにあらしめること」ということだ。岩下にとってこの「放下」というシリーズは特別なもののようで、ストイックな即興の困難に直面すると同時に、独特な昂揚が伴うものらしく、毎年「放下」の一ヶ月ぐらい前から眠れなくなったり眠りが浅くなったりするという。その緊張と昂揚が、そのままこの作品の時間に持ち込まれているといっていいだろう。

 四方を客席が囲んだことによって、岩下にとってはすべてが正面であり、特定の方向性が存在しないということになったはずだ。全方位にアンテナを張っていなければならず、背後からも左右からも観客の存在や視線があるということは、厳しい状況であるに違いない。そのことと関係するのかどうか、遅れてきた観客のガサゴソという音や気配に敏感に反応するなど、観客を含めた空間全体を岩下は鋭く受容していたにもかかわらず、観客から岩下に対してアプローチしようとすると、近寄りがたく孤高であるような印象を受けた。

 もちろんダンサーは孤高なものだ。ましてや、60分の無音を即興で埋めようとしている身体である。それにしても、この日の岩下は、ことのほか他を寄せ付けないようなアウラにあふれているように見えた。

 翻って、「ダンスの時間サマーフェスティバル」で、スエモトタモツの空間美術の中で踊った岩下は、彼自身がこの時ここで踊りを始め、空間に立ち向かうプロセスが観客にも追体験ないしは共時体験できるように思えた(8月、ロクソドンタブラック、大阪)。スエモトが透明のチューブを無数に集めて噴水のように、あるいは巨樹か巨大キノコのようにしつらえた空間は、いつもの劇場空間ではなくなっていた。垂れ下がって揺れるチューブ、中央に光る太い幹……人によって様々に受け止めただろうが、ぼくは何かを(すべてかどうかはわからないが)覆い包み込んでくれる傘であり、その幹は胎内のように宿し育むものであるように思われた。チューブは円周状に垂れ下がっていて、その中に入るには、すだれのようにかき分けなければならない。チューブの円周の外側にも若干のスペースはあったから、円の内外を往還することもできる。結果的に、チューブの内部に出入りすることが、ある世界へ出入りすることだと、可視的に理解しやすくなっていたことは確かだ。

 この空間で、観客は岩下が何ものかと格闘しているさまを、手に取るように見ることができたはずだ。事前の打ち合わせでも、チューブあるいはパイプという、遠くのものをつなげる細いものというコンセプトについてはある程度の共通理解がなされていたし、その延長上で、前半は街頭の音の録音を低く流し、後半は明り取りの蓋を開け、劇場自体の扉を開けて、外光と街頭の音を劇場の中に取り入れたのだ。実際に突然激しくなった雨音や、自転車の通り過ぎる音、曇りのち晴れの外光が入り込んでくる、開かれた空間として劇場自体が動いた。

 このようないわば装置を張りめぐらしたために、逆に岩下としては、想像力のアクティングエリアが狭まってしまったかもしれない。どのように動いても、何かしら象徴的な行為であるように見えてしまうようで、それを避けるための配慮のようなものに神経を消耗したかもしれない。しかし、観る者としては、装置としての空間美術や音響や照明の意図が、そこに岩下という類い稀な鋭い時空の分析力と統合力を持った身体を置くことで、みごとに鮮やかに立ち現れ、同時にその時空を岩下が全身で把捉する鋭さを徹底的に感受できたはずだ。

 また、途中で岩下が観客に救いを求めるのか与えるのかするかのように、手を差し伸べたことも、非常に鮮烈に印象に残っている。どうしてもそこで、身体は何か具体的に「人」とコンタクトする必要があったのだ。装置によって内部と外部が複層化された空間で、観客がただ一面的に外部であることはできないこと、踊り手と観客が同じ時空に立っていることを痛感させられた。

 それは「放下」でも同様のことだった。岩下の身体が床に当たってコツコツと立てる音や、突然激しく動いたり、急に止まったりする何かの契機を、観客は全身を感覚受容器にして自らの体内に取り入れようとする。よく言われることだが、観客が共に身体を動かしているような感覚に襲われるのは、振付作品よりも即興の舞台のほうが強く生じることなのかもしれない。

 「ダンスの時間」では、身体がチューブをかき分けていく時の感触やバラバラという音も、観る者にはリアルな抵抗として感じられたはずだ。ぼくはこの公演をプロデュースする立場だったから、身びいきのようなものがあるかもしれないが、それにしてもこの公演を観た人からは、「奇跡が起きた」と言われている。あいにく降り続いていた雨が、時に叩きつけるような音を立て、そして岩下が踊り終えたときにはきれいに上がり、晴れ間さえ見せていたのだ。偶然のことだ。しかし、誰もが偶然とは思わなかった。

 そういう力が岩下の存在にあることを、誰もが本当に突きつけられた。

 実験というのは、成功が保証されていないからこそ行うものだ。それに付き合い、付き合わせるためには、そのような実験にいたる根拠を、できる限り鋭く研ぎ澄ませておかなければならない。そうしておけば、多少急所は外しても、観客を刺し貫くことができるだろう。そのときに生まれるのが、奇跡というものではないだろうか。

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