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2009年10月27日 (火)

【既発表】「私」が行き着く世界の始まり~セレノグラフィカと竹之内淳志

「私」が行き着く世界の始まり~セレノグラフィカと竹之内淳志

 一つの作品が出来上がるまでのプロセスに立ち会うのは、スリリングなことだ。「ダンスの時間」という公演をプロデュースしていると、本番前のリハーサルに立ち会うことがあるが、「まだ一部できてないんです」「最後どうしようかと思ってて」というようなこともあるし、いざやってみると劇場の何かに合わなくて急遽変更を迫られることもある。稀にぼくが注文をつけることもある。そうして、本番に向けて一、二日の間に作品が変化することがある。それは、世界の始まりなのだ。

 セレノグラフィカの「10099101」(3月14日、毎日新聞京都支局ホール)は、1年かけてパートごとに発表してきた三部構成の作品を、一挙上演にいたったものだ。長い長い準備期間があったわけで、連作長編小説を一編ずつ雑誌に発表してきたようなプロセス、といったら近いだろうか。変わったタイトルだが、99と100と101という数字にまつわる作品名を合わせたもので、「百ねずみ」が昨年2月のアルティブヨウフェスティバル、「九十九かみ」「百一み」が西陣Factory's Garden(京都)で発表されたもの。運よくぼくはすべて観ることができていた。

 はじめから連作としてつくられ、最終的には一挙上演することが予定されていると知っていたとはいえ、個々に観ているときには見えていなかったことがたくさんあったことがわかる。衣裳のことは何となくわかっていたほうだ。「百ねずみ」の隅地茉歩が悩殺する黒水着、阿比留修一お似合いのミロ柄のニッカボッカ、「九十九かみ」のスーツとウェディングドレス、「百一み」の柔道着・剣道着と、まるで衣裳が作品を規定するような起動力を楽しんでいた。

 しかし、今回改めて気づいたのは、アイコンタクトや微妙な表情の変化が進め、深めていくドラマ性だ。3つのパートの中で、特に「百ねずみ」は、アルティという数百人収容の劇場で初演されたので、微細な表情の動きに目を留めるよりは、客席扉から出入りしたり、位置の変化による遠近感や奥行きの違いといった空間の構成を楽しんでいたが、今回は2人が手にする新聞紙の記事まで読める近さの中、細かな動きや表情、身体から立ち昇る気配のようなものを楽しめた。

 ぼくはこの3部構成の連作を観て、セレノグラフィカの世界というものが、一つの到達点に差しかかったような満足感を得ることができた。簡単に列挙しよう。

 位置関係の面白さ=空間の使い方。それが2人の関係性だけでなく観客との関係性も規定し、その変化がダイナミックであること。

 表情の面白さ。直接的な喩法としてのマイムではないのだが、知的だったり滑稽だったりする物語の興味深さが観客を作品に内部にぐいぐいと引き込んでいくこと。

 2人の動きの独特な個性と差異。それが醸し出す、世界がゆがんでいるような奇妙な感覚。

 音楽や衣裳の洒落っ気。それは作品に不可分に結びついていて、それ以外には考えられないという域に達している。

 そして何か無茶苦茶なことをやってくれるという爽快感。それが必ずしも物語的展開の帰結としてではなく、突然嵐のごとくやってきたり、螺旋のようにあれよあれよという間に追い込まれているから、舞台上の2人と共に経験しているような感覚に引き込まれてしまっている。

 以上のような要素は、もちろんこれまでのセレノグラフィカの作品にちりばめられていたことだが、ここに至ってそれぞれの質と量が最大限に発揮されることになり、また組合せが絶妙のバランスとなってきたように思える。これまでの試行の中には、いささかバランスの偏った過剰や不足が見えたこともあったが、それらが遂に全く温和にではなく、過激な円満を実現したようなのだ。

 一見すると、一般人のような鍛えられていない身体の持ち主である隅地だが、油断していると、突然、驚くような変わった動きをすることがある。阿比留は身体で空間を切っていくような速度と角度のある動きが魅力だ。1月の「ダンスの時間」で見せたソロ「どうしようもないワタクシが踊っている2」では、いかにも日常的な時空の延長であるかのように始まり、観客への無遠慮な眼ざしで自身の存在を武装しながら、いつの間にか、はるかぼくたちには到達不能な高みへと達していた。共に、一見ぼくたちの身体と延長上の時空を共にしているような見かけを持っているのが、特徴的だといっていいかもしれない。

 さて、ぼくが今回考えたいのは、世界の構築のしかたということだ。少し角度を変えると、世界と「私」の関係のつくり方といおうか。ダンスにとって、現在にとって、世界を創ること、「私」をとらえることは、どういうことか、ということだ。

 セレノグラフィカの作品の創り方には、身体から離れた場所に、ゼロから構築物を造り上げるようなスリルがある。ぼくの感覚では、頭の右斜め上1メートルぐらいのところに、架設された世界であるようだ。それは、踊り手の自我というようなものには、全く関係がないということはないだろうが、「私は」で始まる一人称で語られる吐露ではない。胴衣を身につけた隅地や阿比留が、柔道や剣道に親しんでいるという日常があって、そこから滲み出る感懐によって作品が構築されているというわけではないだろうし、観客はそういう見方をしない。その作品の中での2人の関係が、そのまま日常的時間の中での2人の関係ではないだろうし、作品の中での隅地と、作品が終わった後の隅地との間に、連続性があるとは、あまり思わずにいる。踊り手と作品とは、全くではないにせよ切れていて、独立していると思っている。

 舞踏家・竹之内淳志の舞台を久しぶりに観た(3月17日、スペースALS-D、京都)。彼の舞踏は、基本的には変わっていないように思われた。ゆっくりと、徐々に速度を増して回転し始めた身体は、彼自身がそこに存在することを強烈にアピールするものだった。ただ、この場合の存在のしかたというものは、1人の彼が独立または孤立した存在として在るということではなく、冒頭の回転運動が螺旋の渦となって、会場の全員を巻き込むような運動体として在ったように思われる。

 後半には、壁にもたれて何やらボソボソとしゃべっているのが、何とはなしに笑いを誘った。ぼくには踊りしかないしとか、踊ることしかできないからと、そういうようなことを小声で呟く竹之内であったのだ。それはもちろん竹之内自身の生き方についての述懐であったことには違いないのだが、何だか観ているぼくたちも、○○しかできない、のっぴきならない私であることよ、と身につまされるというか、覚悟を決めるような心持ちになっていた。

 その前に、ぼくたちが主催する集まりで、彼の話をたっぷりと聞いた(「とりあえず、の會」例会、3月12日、大阪市北区民センター)。パリに拠点を置き、世界各地を飛び回っている竹之内の、アラスカの氷山やハワイの火山での命がけのパフォーマンスの写真に驚いたり呆れたり笑ったり、ポーランドのシチェチンという小さな村落やイタリアのモナルという青少年更生施設のワークショップや公演の実践に感動したり、年間何百という公演回数に驚いたり感心したり、何より順序立ててきっちり、滔々と(延々と2時間以上も!)しゃべり続ける語り口に、魅了されたりした。

 ぼくは、舞踏について、今さらではあるが、深奥にある自分自身を発見するプロセスであるという点で、シュルレアリスムと共鳴する身体運動の方法論であると捉えようと思っている。何も、目新しいことではない。2003年に川崎市岡本太郎美術館で「肉体のシュルレアリスム 舞踏家土方巽抄」なる展覧会が開かれており、そのコンセプトを自分なりになぞってみただけのことだ。もちろん、自分自身だとか、本当の自分だとか、自我、自己などということについて語り出すと、厄介なことになってしまうのを承知で、今回は踏み込んでしまうのだが、明治以前の日本人には(近代的)自我がなかったとか、明治以降の思想的営為が自我を確立させたとかいう言説については、どう譲歩しても西洋コンプレックスを隠してどこかから借用した自我という概念をもてあそんでいるようにしか思えない。

 日本の身体を持った土方巽が、ヨーロッパ的なダンスの志向するところを挫折ないし絶望した末に、暗黒舞踏を獲得したというプロセスを顧みると、そこで彼から剥落したものとは、自我という人間の本質的な部分についての似非グローバリズムだったのではなかったか。装われた近代を剥落させながら、実は西洋的近代の眼ざしで見られた自我というものに本質的な疑問を提出し、本然的な自我を鷲づかみにする手法を見出したのが、舞踏の始源的な意義であったと言っていいだろう。

 竹之内は、舞踏が現在ヨーロッパで好意的に受け入れられている状況について、第二次のブームと言っていいのではないかと語っていた。当初、1980年頃舞踏が紹介されたときには、好奇の目から、グロテスクで衝撃的な未体験の異文化として見られていたのが、今では自分さがし、自己発見の方法論として広く受け入れられているように思う、と解説していた。多くの公演、ワークショップ、多くの施設や集落での実践から得た手ごたえと実感であり、何より彼自身がまずもってその身をさらけ出すことによってその場に求心力を働かせて螺旋運動を生じさせ、自らがその中心体として機能させることができたことの証左であると思われた。

 舞踏が決して日本の東北に生まれ育った者に特権的に占有されたものではなかったということについては、特殊性が獲得した普遍性であると解してよいのだろう。現実に舞踏が「Butoh」としてグローバルなものとなったのは、単なるエキゾチシズムや物珍しさだけではない、普遍的なものとして理解されたからだろう。

 評論家の合田成男によれば、土方自身、1976年後半の白桃房公演において、「四季のための二十七晩」(1972年)などの「スペクタクルとしての空間から一転」して、「猥雑なもの、不必要なものが強力に排除」され、「中心への志向が際立って」「それ以前の白桃房の諸作品より一段ときびしいもの」となっていたという。乱暴な推論だが、スペクタクル性から「中心への志向」という転換が土方にあったとすれば、竹之内が指摘する舞踏の受容の変化もそれをなぞっているように思われる。

 自我というものも、しばしばミクロコスモスと言われるように、宇宙であり世界であると呼ぶとすると、竹之内は序盤の旋回による陶酔や、小宮広子の奏でる音に乗せられることによって、自分自身の中に世界を見つけ出し汲み上げては、開き示すという行為を行なっているのだろう。セレノグラフィカの世界の提示のしかたとは、なるほど対照的といえるかもしれない。

 しかしここには、基本的な世界観ないし人間観の問題が横たわっているのではないか。本質的な自我というものが、自分自身の深奥に、はたして存在しているのかどうかという問題である。竹之内の舞踏は、いつからか他の何者かになるとか、意識を空っぽにするというようなことから離れ、明晰に自分自身であり続けることを課しているようだ。終演後に誰かと話していたのを耳にしたのだが、この日の舞台の上での発語についても、「覚えてますよ」と言っていたのは、憑依や自失をこそ重要なことのように強調する必要はないからだろう。おそらくは、麻薬に浸った青年たちの更正施設でののっぴきならない経験の中では、憑依やトリップにつながるような経験を共有することは逆効果でこそあれ、共に明瞭な意識の中で自分自身に向き合うことを体験しなければ、存在の価値はなかっただろう。

 ところがぼくたちは、本当の、自分だけの自我なんて、どこにもありはしないのではないかという不安も持っている。風も温度もない、空虚な茫漠しかないような感覚には、けっこう親しみを感じることができる。そんな思いは、「私」の交換可能性とか、無価値性といった悲観論に直結するのだろうが、実のところは、そこにも至り着かない中途半端な置かれようである。せめて、何か、生きていた、存在していたという証しのようにとでも言おうか、それをどう呼ぶにせよ、世界のようなものを創ることにする。一見コントのような柔道着と剣道着の男女のコミカルな無意味さでもいい。逆に、意味なんて、もうやめてほしいぐらいの、かもしれない。ただ身体が動いているだけでもいい。ある時間、ある回数、同じことを繰り返すことで、何だかそれらしい気持ちよさが生まれてくるかも。その中に、自分自身が生きて動いているかどうかはわからないが、何か、誰かは存在している。それでいいじゃないか。

 ぼくは信じているのだが、コンテンポラリーダンスには、そういう諦念に向かう宙ぶらりんから発したような深さが見えることがある。竹之内が提示してくれる世界とは実は表裏一体でありながら、一見頼りないフラジャイルなありようだ。しかし、宙ぶらりんな「私」が行き着く、最後の砦でもあるように思っている。
 
※ 合田成男氏の引用は、「物腰の自立性-白桃房への結晶」(1977、「現代詩手帖」4月号、思潮社)から。

(「イマージュ」45号(2009年7月)所収)

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