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2011年2月21日 (月)

六和蔵「呵呵呵」

六和蔵(ろわぞう)のコンサート「呵呵呵」.京都芸術センター講堂。2月21日19時から。

  まずはラヴェルか…と美しい流れるような曲を想像していたら、「五手のピアノのために」と副題された曲で、しかもたった15小節、約2分。2人の連弾に、譜めくりをしていた人がふらりと歩いて高音の鍵盤をひらりと弾いて行く。メロディアスでもなく、このコンサートの性格を印象付けるためにはとても的確だったように思われる「口絵」。1918年の作品。

  フランコ・ドナトーニというイタリア人の「巣」は、ピッコロの独奏のための作品で、主題の音の形がはっきりした、聴きやすい変奏曲みたいな感じ。でも、ピッコロの強い高音というのは、鼓膜をジンジンさせるほど刺激的で、その生理的な反応なすごく面白かった。1979年。

  同じくイタリアのリゲティの「練習曲集 第1巻」から、まず「妨げられた打鍵」は、あらかじめ特定の鍵盤を片手で押さえておくことで、押下しても音が出ないようにし、それによって複雑なリズムを簡単に演奏できるようにし、結果としてシンコペーションが非常に効果的な、ドライブ感のある作品。
  もう一つの「ファンファーレ」は、3・2・3の強拍のリズムを繰り返して、複雑ながらも一種の陶酔感をもたらすような作品。Rosasのタンスを観てるような快感。 共に1985年の作品。

  近藤譲の「standing」は、解説によると「ただ一つの音楽的な線を、ずらしながら演奏」しているそうで、一音ごとのカノンのようなスリリングな作品。音、タイミングの美しさ、微妙な音形の変化が面白くて、いつの間にか手に汗握ってる。1973年の作品。

  びっくりしたのが湯浅譲二の「天気予報所見」で、ホルンとヴォイスパフォーマンスのための作品。英語でアメリカ西海岸の天気予報が語られ、それにホルンの演奏があるのだが、両者が立ったり座ったり、またヴォイスのパフォーマーは泣きながら語ったり、笑いながら語ったりする。言葉と音から、意味や情緒を、剥ぎ取り、無意味に与えることの面白さ。1983年の作品。パフォーマンス作品として、すごく面白い。音楽のユーモアとしても、秀逸。ダンスの時間でお願いできないかな、と思った。

  最後はこのカンパニーを主宰する若林千春の新作「飛び出し小僧」。例の交通標識をタイトルにして、譜面台にその写真を貼ったりして、親しみを持たせ、スピードやユーモアや薄っぺらさを思わせることが出来るように、うまい取っ掛かりにしている。

  京都芸術センター講堂は、外の雑音も入ってくるし、コンサート会場としては理想的ではないが、逆に、そのユルさを使って、肩肘張らない空気を作っていたように思う。若林の解説も適切だったし、時に若林がピアノの譜めくりをしながら、楽しそうに体を揺らしていたりしたのは、いい空気だった。

  京都、滋賀出身者がほとんどで、大学在学中のメンバーもいることで、なんとはなしに親しみを持つことができる。演奏技術については、よくわからないが、おそらく相当高いレベルにあるのだろう。
  その上で、この100年の小品を次々聞かせてくれるのだが、演奏者の表情が楽しげだったのが、非常によかった。

  酔いしれるようなメロディや、一定のリズムで運ばれるものはなく、 ほとんどの作品が、演奏者同士の間合いを測るコンタクトで成立しているようだった。それによって一つの作品という世界が成立させられることの喜びを聴衆としてのぼくも体験できたことが、幸せなコンサートだった。

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