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2012年2月25日 (土)

「草間彌生 永遠の永遠の永遠」(国立国際美術館)

 ホントは草間彌生は少し苦手。まず目に入った表面を、めくって、めくって、また見えてくるものを楽しむ、という喜びが、ぼくにとっては少し乏しいような気がして。

 まず、「愛はとこしえ」シリーズの、シルクスクリーンだから当たり前なんだが、表面のささくれ(
マチエールかな)のなさにやっぱりなと思いつつ、それにしてもすごいもんだなとか何とか思っていたんだけど、アクリルで描かれた「わが永遠の魂」連作へと部屋を進むと、ボコボコ、ザラザラした筆触が、逆に何だか余計なもののように思えて、不思議な気持ちになった。

 そして、また「愛はとこしえ」の部屋に戻ったんだけれども、この連作については、以前テレビでドキュメンタリー番組を見ていたこともあって、「よく知っている」。一つ一つの線やドットを、い
っしんに描き込んでいた姿を思い浮かべることができる。線や模様の中に、時折紛れ込んだ少女や小動物(の人形?)のかわいらしさ。そして、線の滑らかさ。さらに今回改めて気づいたのが、画面の構成の美しさ。

 そのことに気づけたのは、やはり画面の大きさ(130×162cm)によるものだと思う。いわゆる「神経症的」に、全画面を単一のパターンで覆い尽くすのではなく、画面の中に明らかな緩急があり、余白まである。構図と呼んでいいのかどうかと迷うのは、対照とか三角形とか、一般に構図と呼ぶ時に使う直線の図形的なものではなく、流れるような緩急の美しさがあるように思う。そんな流れのダイナミズムを、見る側が首を動かすほどにして味わうためには、やはり大きな画面である必要があったのだろう。

 ぼくにとっての問題は、マチエールの露わな「わが永遠の魂」への違和感だ。ここに違和感を持つということは、冒頭に述べた草間への苦手意識と、真っ向から反することになるはずだ。
今回の企画展に合わせて、国際美術館のコレクション展では、「ネット・アキュミレーション」(1958)など草間の旧作も展示されていた。大画面全体を網の目が覆うような「ネット・アキュミレーション」では、マチエールの濃淡、むらが、気にならないばかりか魅力的であるのに。

 これがぼくの気まぐれなのか、彼女の「経年変化」なのか、即断はしにくいが、あえて言わせてもらえば、彼女の平面性への流れがあるのではないかと思う。もちろん今でも立体作品は創っているようで、今回のインスタレーションのかぼちゃもチューリップも、昨年の作品だ。しかしそれらのインスタレーションも、たとえばサンディ・スコグランド(http://www.sandyskoglund.com/)に比べると、ずっと毒がなく、ファンシーだ。

 草間がなぜファンシーな存在になってしまったか、ぼくにはわからない。ファンシーでスキゾなおばあちゃまという立ち位置を、彼女自身が選んだのかどうかも、ぼくにはわからない。

 さて、今回の国際美術館の展示で面白かったのは、実は2階のコレクション展の5-Cという部屋なのだ。部屋の番号の付け方からは、コレクション展の最後の部屋ということになるが、ほとんどの人は2階のエスカレーターを降りて、草間のかぼちゃを見て、すぐに入るのがこの部屋だろう。そこで目にするのは、キキ・スミス、松井智惠、高柳恵里、塩田千春。奇しくもぼくとほとんど同時に入った女性が「こっちのほうがキモイやん」と言っていたが、草間との対照で見せられると、こちらの作品たちの方がよほど危うさがあり、うなされそうだ。

 というわけで、草間の回顧展が見たくなった。

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