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2013年1月

2013年1月31日 (木)

さなぎダンス#3

さなぎダンス#3を開催します。

お誘い合せの上、多数ご来場下さい。

The Pupae Dance Project #3

3月30日(土)19:30
3月31日(日)14:00 17:00(開場は30分前)

一般:前売1800円/当日2000円
障がい者及び介助者・学生:1500円

会場:メタモルホール(JR東淀川駅、徒歩3分)
大阪市東淀川区西淡路1-15-15 
Tel/FAX : 06-6320-0344

【出演】
菊地理恵(劇団態変)□2001年『壺中一萬年祭2001』にエキストラとして劇団態変に初出演以来、態変役者になる。2003年『碧天彷徨』では井上朋子と共に2人の主役の片方に大抜擢され、舞台での身体性を認められる。2004年『帰郷-ここが異郷だったのだ』では、スーツ姿の背中に天使の羽をつけての奇抜さとスポットライト中での演技で、演出と観客の両方を納得させる技量を身につけながらも、その後病でブランクを4年程あり一時期は役者生命を危ぶまれた。その後、大阪城でのテント公演『すがた現すもの』ラストシーンのインディオの子供役では、観客の脳裏に刻む演技で奇跡的な復活を遂げる。
態変の身体表現で重要な身体の内から立ち現れる魂の表現者として、現在多くのファンを持ち、劇団態変にはなくてはならない役者である。

小林三悠(ダンス以前)□埼玉県熊谷市生まれ。京都在住。Leo Smith, Joh Bergamo, Vinny Goliaに影響を受け即興表現に興味を持ち始める。大学在学中から北米を中心に各地の実験音楽家を訪ね即興ジャムライブを行う。同時期に身体気象USにてOGURIに師事。ロサンジェルスを中心に稽古、パフォーマンスをする。卒業後、Annna Halprinやバーテニエフファンダメンタルに出会い自身の身体メソッドを持つ面白さに魅かれるうちにフェルデンクライスメソッドをハワイ州にて学ぶことになる。2009年京都でMovement Art Companyを主宰し始める。ダンサー、俳優、伝統芸能従事者、歌手、教育者等を中心に其々の研究や表現にアクセスするためのオーダーメイドレッスンを展開している。世界をつなぐ鴨川ダンス駅伝発起人。新対話ユニット【音舞と脱個】メンバー。

集合住宅□(井筒麻也 / 佐藤ゆか里 / 中本有紀子 / 村上真奈美)
集合住宅とは、田中達也(Laptop)と鳥山郷(Guitar)による空間的な音楽パフォーマンスと女性メンバーによるダンスパフォーマンスを融合させたグループ。全てが即興で構成されていく集合住宅の表現は、それぞれの個性溢れる実験的な空間を創造する。2010年より音動-ondo-主催の空間演出イベントや「ダンスの時間」に出演。


チケット・お問合せ:劇団態変 06-6320-0344 
Eメール:taihen.japan@gmail.com
ブログ:http://sanagi.yamatoblog.net/

【出演者について】             さなぎダンス企画・上念省三
昨年、神戸大学の授業に菊地さんをお招きし、お話を聴く機会をもてたことは、私自身にとっても受講者にとっても、大きな出来事でした。ある時期まで、障がいのことはちょっと脇に置いて、普通の女性として生きようと過ごしていた彼女が、誘われて態変の舞台を見たこと。それがどんな衝撃だったか。淡々とした語り口だからこそ、彼女の存在の様態を根底から覆すような体験であったことが、切々と伝わるものでした。舞台のあとは寝込んでしまう。命を削るような消耗のしかたで舞台に立っている。そうも耳にしました。そのようにしてまで、舞台に立つということを選んでいる彼女のソロです。「ひたむき」という言葉は「直
向き」と書くそうですが、何ごとかに真っ直ぐに向き合う姿を目の当たりにできそうです。

集合住宅は、近畿大学卒業生の女性ダンサーと男性ミュージシャンによる不定形なユニットです。卒業後、それぞれ仕事を持ったり、ダンスを続けたりしながら、時々集まってサッと即興中心の時間を創って、まためいめいの生活/時間に戻っていく人たちのようです。このメタモルホールで、大人数の即興的で混沌とした動きを見てみたいと思って、出演をお願いしました。数人の個人が、ある時は華やかな動きを見せつけるようにし、ある時は全員が一つの生命体のようである。そういう変幻をご覧いただけると思います。

小林さんとは、京都の町家での小さな公演で、衝撃的な出会いができました。小ぢんまりした、歳月の感じられる庭や座敷で、沈黙そのものであったり、激しさであったりしたその身体に、さまざまな身体表現の本質的な滴がほとばしっていることが感じられ、この人をメタモルホールに存在させたいな、と思いました。広い意味での環境、存在を取り巻くいろいろに対する反応のしかたに、独特のざらつきがあるように思います。それに対して観る人もザラリと反応していただけるのではないでしょうか。

【さなぎダンス企画について】
この企画は、劇団態変と上念省三が共同して行うものです。スタートに当たって、以下のようなことを考えました。
■若いダンサーに公演の機会を提供すること。
■劇団態変の本拠地であるメタモルホールを活性化すること。
■メタモルホールで開催することで、障がいを持った方がコンテンポラリーダンスにふれる機会をふやすこと。
■「障がいを持った身体」を意識することで、踊り手、観客の身体への意識が尖鋭化すること。
 若いダンサーたちには、ここで身体をさらすことで、他の劇場では感じることのできない何ごとかをつかんで、抱えて行ってくれるのではないかと期待しています。
メタモルホール、「変態する」(メタモルフォーゼ)劇場。ここでダンスを展開していくということは、身体が「ある」ということを、身体が「ない」という視点から問いなおす起点になるのではないかと思っています。

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2013年1月27日 (日)

「ベルサイユのばらーオスカルとアンドレ編」

 宝塚大劇場「ベルサイユのばらーオスカルとアンドレ編」。明日海さんのオスカル、
龍さんのアンドレという配役で。実は月組メンバーだけでのベルばらは、初めて。つ
まり、美弥ベルナール、珠城ジェローデルなども、初めて。 

 明日海さんは、ちょっとせりふを噛んだりはありましたが、凛々しく美しく、いいオスカルでし
た。龍さんのオスカルが、随所で女らしさを見せているのに対し、あまりそういうことをせずに
突っ走ったような感じです。しかし、パリ前夜、そしてペガサスでは、柔らかなしなだれかかる
姿を見せ、その時の色香には、ぞくっとしました。 

 龍さんのアンドレは、とてもよく似合っているようでした。包容力、男気、凛々しさが素晴ら
しい。常に肩を張って緊張している様は、オスカルの生き方そのもののようです。
 ただ、流れに乗ってくると、ということなのか、セリフの最初の音を長く伸ばすのは、癖なの
でしょうか、少し気になります。 

 オスカルが衛兵隊で悪口雑言を浴びせられる場面、アンドレの目が見えないことをアラン
に明かされ激昂し、他の隊員になじられる場面が、これまでの公演に比べて不愉快でなか
ったのは、まずアランの星条海斗の激しく前のめりな恨みや怒りの感情にリアリティがあっ
たからでしょう。これほどのアランであると、そもそも彼がオスカルに反発し罷免さえ要求し
たのは、オスカルを衛兵隊で厳しい戦場に行かせるのを防ごうとしたのではなかったのか
などと、あらぬ物語さえ作ってしまいます。
  アンドレに対しても、目の不自由さを暴露することで、彼の危険を防ごうとしたのだし、そ
の屈折が悲しみを誘います。

 憎まれ役を一手に引き受けたのが、ブイエ将軍の越乃リュウ。彼女にこの役のいやらし
さに対する躊躇や嫌気が少しでもあったら、この舞台は濁った不愉快なもので終わったで
しょう。役を越えて、フランスの権威、旧体制そのものとして聳え立つことをした、彼女の胆
力に感服です。

 フィナーレは、愛希れいか、美弥るりかの銀橋、明日海の扱いも含め、バランスのよいキ
ャスティングだったと思います。 ボレロでは、女役の龍もなかなか魅力的ではありましたが、
やはり男役の龍と女役の明日海というカップリングは、見目麗しく、背徳的な危うさも感じら
れ、息もあっているようで、官能的で濃密な時間でした。

 全体には、時間の都合もあったのかどうか、繰り返しが少なくあっさりしたことが複数あり
ました。子ども時代のオスカルとアンドレの剣の手合わせの場面、アンドレの目が見えない
ことがわかった衛兵隊士たちがアンドレに声で指示を出す場面などです。

 しかし、何かもっと根本的に、これまでのベルばらのしつこいエグミのようなものが抜け落
ちたように思います。それが一体何だったのか、なかなか言い当てることができないのです
が、セリフのスピードが上がり、セリフ回しがフラットになっているように思っています。ナチ
ュラルになっているというか、様式性よりリアリティを重んじるようになっているというか。おそ
らくこれまで、過剰に絡みついていたものが、削ぎ落とされているのだと思います。

 ところが、「ベルサイユのばら大全」などというダイジェストで見る限りですが、実は初演の
ベルばらは、二本立てだったこともあるのでしょうが、実にスピーディです。いつからか、ベ
ルばらは、過剰な抑揚や大げさなふりをつけた、もったいぶった作品になってしまったので
はなかったか。そんなことを思わせる、新版でした。

 この、いわば軽量化したベルばらを、物足りなく思う人もいるかもしれません。でもぼくは、
この変貌は、観客の想像力を十分発揮させ、舞台芸術としての完成度を高めるために、必
要なことだったと思います。そこに新しく演出に加わった鈴木圭がどれほど寄与したか、前
任が谷正純だったことを重ね合わせると、想像できようというものです。
 
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/310/index.shtml 





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