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2015年3月28日 (土)

「POINT of ORIGIN」Dance Scape 2015

2月15日

アトリエ劇研(京都・下鴨東本町)

監修:山中透(音楽)、シンヤB(ドラマトゥルク)、坂本公成(振付)
振付・楽曲・出演: 伊藤綾、大石咲、日置あつし、山岸 明子、渡邉尚

 POINT of ORIGIN、「原産地」というほどの意味だそうだ。国際的に活躍できるダンサーの育成を目的とした「京都の暑い夏/Dance Scape」プロジェクトで、オーディション選考された5名のダンサーが、作曲、振付を行い制作した作品を発表するもの。約8ヶ月間のクリエイションを経てのショーイングということで、比較的若い世代のダンサーがそろった、興味深い公演となった。

 日置あつしの『ゑみいさな』は、近年日置が取り組んでいる日本的あるいは東洋的身体性をどのように内化し、昇華しうるかということの経過報告のような作品であると思われた。衣裳はもちろん、動きにも能楽や日本の民族舞踊から取り入れたのであろう動きが多々取り入れられ、彼の志向するところ、問題意識の所在はよくわかったように思う。その意味で大変シンプルな構成の作品で、その分身体や顔の表情の潔さが目立って、その意味では気持ちのよい作品だったといえる。

 儀式的な所作、衣裳や被り物の着脱、仮面の扱いも重々しく、それぞれに大きな意味が込められていると思え、好ましいのだが、いささか重過ぎるように思えた。

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 バレエやモダンダンスやコンテンポラリーダンスやという流れの中で、日本人であること、日本であることというのは、大体において疎外されてきたといって過言ではない。バレエやモダンへのアンチとして土方巽ら暗黒舞踏はスタートしたわけだし、バレエやモダンの創作作品の中で出て来る日本的なるものは、伝統芸能を模倣したりなぞったりしたもの、過度に情念的だったり英雄的だったりするものが多く、どこか、重い。

 普通に、軽やかな日本というのは、ないものか。そんなことを考えさせられるという意味で、意義深く、凛としたレベルの高い作品だった。

 大石咲『クウキナサギ』もシンプルな作品。月のような灯りの下(『1Q84』の通り、月が2つ出ているという設定なのかもしれない)、顔にパックのような変工を施したダンサーが横たわり、状態を反らせたり両手を上げて指をひらひらさせたり、脚を上げてV字バランスを取ったりする。あまり動かない。

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 4歳からバレエを始め、新体操を経た26歳ということだから、華麗に激しく動くことはできるのだろうが、それは封印していたようだ。8ヶ月のクリエイション期間を経てこのシンプルさということで、皮肉でもなんでもなく、ここまで削ぎ落とされていったプロセスを知りたいと思った。

 山岸明子『なぞる たどる ひらく』は、なかなか不器用そうな身体に見せかけたところが心憎いところで、かなり意識的に動きと力の関係について無骨に追究した作品ではないかと思われた。タイトルが三つの動詞からなっていることからも、それは窺われる。動くことが、力の点や圧の面の変化であることが、身体上にポインターで示されているような明快さでたどられていたのが面白い。動きの根元に、粘りと内側への強さがあることが強調され、スピードやキレはあえて隠されていたようだ。

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 作品としてはやや長さを感じてしまったが、強調したいことをきっちりと見せるために繰り返しや確認を行うことで、意識的に展開された冗長性だったのかもしれない。これもまた、他のものを見せないということで、シンプルに徹底された作品だったと思う。ただ、せっかくなので、前半と後半で違う相を見せるようなことをしてくれてもよかったなというのは、欲張りなのかもしれない。

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 伊藤綾『botanic』は、動きの要素は決して多くはないが、心拍のような強い音、海藻のように揺れ動く上体の表現力の高さ、眼ざしの効果的な使い方など、しみじみとした時間がゆっくり流れる世界を目指していたのだろうと思う。後半ではシンプルな動きを反復することで、何ごとかが堆積し増幅し、沈殿し醗酵するプロセスを獲得しようとしていたようだ。もっと速く多く繰り返されたら、金森穣の「Last Pie」(振付:黒田育世)のような凄まじさにつながっていったのではないかと思う。

 渡邉尚は、元々ジャグラーとして身体表現をスタートした。その後、コンテンポラリーダンスのカンパニーMonochrome Circusのメンバーとなってからは、当然のことながら道具を使わず、身体だけで立ち向かっているわけだが、今回の『逆さの樹』では、いくつものボールを使って、身体能力の高さとコンセプトの持続力を発揮した。

 亀の産卵のように、白いボールを身体の陰から出したり、背中や腹部に乗せたり、ただ見事というだけではなく、アクロバティックな高い技術の披露に、どこかグロテスクさが漂う。足でつかんだボールを額に乗せたりというのは、常人にはできないすごい技だが、こういってよければ、なぜかある種の奇形性とつながっているようにさえ見えてくる。彼の動きには独特な粘性があって、アクロバティックな動きに当然伴うスリルも持ち合わせているようだ。

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 ただ、どうもそのスリルに揺れがない。スリルはここでは、技の成否で停止してしまうように思う。高度な技の披露ではあって、それはすばらしいのだが、その興味が表面に留まり、ボールに身体が準じてしまう。これはおそらくほとんど、ジャグリングの要素を作品に取り入れたことによる帰結のように思われるが、では、そういう手法をとりながら、表面的でなく、身体が前面に出てくるということは可能なのか、あるいは不要なことなのか。

 アクロバティックで特異な身体であることを、ある種の奇形性やグロテスクさに結びつけて、存在の闇のようなものを見せてくれたら、というのがぼくの渡邉へのないものねだりだ。(写真は主催者のFacebookページから)

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