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2015年5月 9日 (土)

Site Specific Dance Performance #4

3月29日

【ギター演奏】 原大介

【Circuit】 岡元ひかる

【鞄女】 サイトウマコト×関典子

兵庫県立美術館 円形劇場

Ssd4


 普段はコンクリート打ちっぱなしの円形劇場を、向井修二がその「記号アート」で埋めて、インスタレーションとして完成させたのが昨年の11月9日。これ自体がサイト・スペシフィックな3月までの時限作品の最後を飾る形で第一部を開催し、第二部は館内ミュージアムホールで開催された。所用のため第一部しか観れなかったが、まさにサイト・スペシフィックな、面白い公演となった。

 「鞄女」は、半月前にフレンテホールで上演されたのと同じ、やや短いヴァージョン。フレンテホールとは違って、白昼の下のすり鉢状の空間で、その向こう側には運河のような水面が広がっている。その間は通路となっていて、日常が貫入している。

 結果的に、本来この作品が意図していた、街中でひそかに遂行される犯罪状態すれすれの危うい無垢な関係が、まさに白昼の下で展開する、スリリングな作品となった。この作品を「ダンスの時間」で再演した時、サイトウが関を鞄に詰めたまま天王寺の街に出て、写真を撮り、それを上演前に流そうかと企んだことがあった。その時のスリルと少し似ていた。劇場の中で行われる以上は、究極では規制があるとはいえ、ほとんどのことは大丈夫だ。でも、それを街路に持ち出すとなると、事情は変わってくる。さかのぼれば寺山修司が企んだのがそういうことだったろうし、アングラと呼ばれる多くの演劇が試みたのもそれに通じることだったのだろう。

 今回は、一応美術館の中の芸術行為としてしつらえられた時間ではあるが、この場所は美術館の中でも外部でもある二重性を持っている。実際のところ、上演中に通路をお父さんと女の子や自転車の男子中学生数人組みが通りかかり、多くはすぐに通り過ぎるのではなく、しばらく足を止め、目に留め、どう言えばいいのか、見させられていた。

 考えてみれば、この作品には、そのような形で出会いたかった。阿倍野の地図に書かれていないようなややこしい細道を出るとお稲荷さんとラブホテルが並んでいるような街路があって、そこで大きな鞄の中から出ようとしている女性に手を焼いている、高倉健似の中年男性を、通りすがりに目撃したかった。しかもこのリハーサルは、大雨の中行われたらしい。なんという劇性。作品の終わりには、サイトウが関を海に捨てるのではないか、関が身を投げるのではないか、いやサイトウが柵から両手をポケットに突っ込んだまま後ろ向きに転落するのではないか…等々の惨劇が予想された。

 生きている人間を鞄に入れて持ち運ぶことは、犯罪ではないだろう。女性は全裸ではないから公然猥褻にも当たらない。理屈で行けば犯罪ではないだろうに、この強烈な犯罪臭はなんだろう? その犯罪臭が、白日の下で漂うことによって、作品の内部と外部に激しいコントラストが生まれる。

 作品の内部とは、劇場空間という壁に囲まれた内外ではないということが、このことによって明らかになる。思えば、サイトウマコトの作品には、多くの場合強い内部性あるいは内向性を持っているということなのだ。それは外部を排斥するのではなく、外部を内部化する引力を持っているということだ。それが観客を内部化する作品の強度であるわけだ。

 岡元は、強い筋力で身体のありえないようなバランスを保持することができ、それを逆手に取ったオフバランスによるスリルを体現することができる優れたダンサーだ。主題の読み込みも深く、説得力の高いコンセプトを繰り出して、作品も厚みを持つ。この作品については、もう少し引き算的な手法によって、見せないことで想像させる余地があってもよかったように思う。

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