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2015年7月14日 (火)

「今晩は荒れ模様」

4月25日

構成・演出・振付・出演:笠井叡
出演:上村なおか、黒田育世、白河直子、寺田みさこ、
 森下真樹、山田せつ子
京都芸術劇場・春秋座(京都市左京区)

Aremoyou


 舞踏家として世界的に重要な存在として認められている笠井が、現在の日本を代表する女性ダンサーと創った長編。ダンスの技術力も表現性も非の打ちどころのない女性ダンサーを6人集めた公演だけに、彼女たちをどのように料理するのか、その手つきに興味があった。1943年生まれの笠井は、モダンダンスやクラシックバレエを学んだ後、大野一雄、土方巽と出会って舞踏の世界に入り、’71年に自らのカンパニー「天使館」を設立。一時期オイリュトミー に専念し、’93年にいわゆる創作活動を再開した。(写真は東京公演ラストシーン。中央奥が笠井。bozzoのウェブサイトから)
 ざっくりした印象としては、笠井というキャリア豊かで今なお研ぎ澄ましたような身体を持つ優れた表現者の、奔放な悪夢のような世界の中で、囚われた女たちがある者はノンシャランに、ある者は急かされるように、ある者はわがままに姿をさらしている、というもの。
 黒田は極端に息づかいを荒く、時に嗚咽しているように見せながら、過剰なドラマ性またはパロディ的な諧謔の見られる踊りぶりで、あえてバレエのよさも黒田のよさも削り取って、動かされているように見えた。寺田は身体の線を見せた総タイツ姿で、上体に重い荷物を載せたカマキリのような格好に構えては崩れていく印象的な動きが美しい。続いて黒田と寺田が同時に舞台に立つがほとんど絡まず、同じ動きを見せるが、バレエのスタイルを宙吊りにして斜めから見やるような態度であるように思える。比較すれば、寺田は内面で、黒田は外面でバレエを宙吊りにしているように見えて、興味深い。二人の引っ込みとかぶるように笠井が現れるのだが、やや必要以上に舞台を聖化する態度であるようで、不思議に思えてくる。
 続いて森下と上村が現われ、硬質な動きで何か喋りながら戦うふうである。特に面白くすることも美しくすることもなく、振付の手つき、言葉と動きの関係づけの手つき、あえて滅裂な場面を作ろうとして言葉や動きで重さや深さを削いでいく手つきを露わにしているのが、メタな前衛実験のようで、その実験の実行者の意図を探ることに忙しくなる。
 さてここで、後方から静かにゆっくりと現われる何ものかが、どこかこれまでとは違う空気を帯びていると思ったら、はたして白河だった。(写真は、朝日新聞デジタルのウェブサイトから。撮影:池上直哉)
Aremoyou_shirakawa


 これまで出てきた4人のダンサーに対しては、笠井が何らかの形でデコンストラクトしているように思ったのだが、白河にはその手が及んでいないように思えた。がむしゃらに美しく、狂乱しても崩れず、動きを連続させるその瞬間瞬間で空間を創ることのできる、稀有なダンサーであったことを、改めて知らせてくれる。それはそれでよいとして、では先ほどまでのいくぶん抑圧的な笠井の手つきは、何だったんだろう、という思いにもとらわれる。
続いては山田が人形のような銀髪で現われ、動きの始まりが鈍角であるような不思議なダイナミズムを見せる。やがて笠井が遠くで絡む形のコミュニケーションを図り、師弟関係にあった二人のこなれたデュエットが、美しくも緩やかで微温な時間として流れていく。すれ違いざま倒れた笠井が激しく細かく痙攣するが、意図された昏倒のようにも思う。
ラストは赤い光で激しさをかもし出し、笠井の意図的に激しさを強調する動きが続く。女性ダンサーも加わり、乱舞の場面として作り上げられていく。自由を感じさせるダンサーもいれば、タスクを感じさせるダンサーもいるが、確かに荒れ模様だなと、皮肉でもなんでもなくタイトルを思い出すことになる。後味としては、笠井のやや古体で大振りな手つきの存在・介在が常に作品を支配しようとしている意思が露わな、不思議な時間だったとしてよいだろうか。

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