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2015年7月13日 (月)

作間敏宏展「治癒」

4月4日

+Y GALLERY(大阪市中央区)
Photo_2

 本当は3月で終了していたようなのだが、階下に案内が貼ってあったので気づかず階段を上ったら、他にもなぜだかA画廊のご主人や関東からの女性も見に来られたようで、物音に気づいた画廊の人が開けてくれた。
 半透明の厚紙か樹脂のように見えるのだが、簡易な骨格と丁寧に編み込まれた刺繍のような装飾で組み立てられた小さなマケット(模型、雛形)をまず目にし、隣接した暗い展示室では豆電球を巻きつけた小型の家が光っている。奥の壁には家か倉庫を写したように見える、焦点が合っていないと思われる白黒写真が投影されている。
 思い出したのは、芦屋市立美術博物館で見た杉山知子の「たった1000軒のいえ」だ(http://www.cap-kobe. com/studio_y3/2014/06/06123852.html)。素朴で少しファンシーな印象のある家の作品。作家が家の外側、骨組にこだわることのもつ意味は何だろう。
Sugiyama

 家らしき写真の焦点が合っていないのは、抽象化ないし曖昧化しようとする意図があるのだろう。たとえば「誰某の家」とか「私が生まれた家」といった特定の家ではなくするための作業であるように思われた。
 ところがと接続すべきかどうか、この写真はインターネットから「家の画像100枚を積み重ねて合成処理された画像」であるという。そのことを知らずに、また作間が宮城県出身だということも知らずに見た。
 それらの情報を得ることで、やはり作品への向き合い方が変わる。深まると言っていいのだが、この場合はもっとウェットに、ドラマティックに、センチメンタルになる。そのいわば物語化が作者にとって、また美術にとって望ましいことなのかどうかはわからない。「震災後の美術」として回収され、定位されることで作品解釈が豊かになる一方で、それからはみ出る部分を注視することが重要になる。ところが、震災という事実のあまりの大きさに、はみ出ようとする部分もどんどん回収されていく。杉山の作品が阪神・淡路大震災の後の作品だったことは、ぼくの中では偶然だ。ぼくがここでそのような物語化に回収されないものとして発見できたのは、合成処理された画像の版画のようなマチエールであり、マケットの刺繍のようなフラジャイルな装飾だ。
 開き直ったように思われるだろうが、やはり美術作品は、表面だ。しかし、その成り立ちや背景、コンテクストを知れば、より深く味わうことができることが多いことは確かだろう。未だにその表面主義と内面主義の間で、揺らぎながら作品を見つめていく。そういうことを考えさせてくれた、魅力的な作品だった。

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