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2015年8月11日 (火)

池田扶美代×山田うん「amness」

2015.5.3.

ArtTheater dB神戸(神戸・新長田)

 ROSAS  の創設以来のメンバーである池田  と、Co.山田うんを主宰して縦横無尽の活躍をしている山田 のデュオ作品の再演。日本とベルギーで、1日1語の交換メールを重ね、ブリュッセルで共同制作を行い、2013年オーストリアで初演、横浜、ベルギー、ルクセンブルクで再演を重ね、待望の関西公演となったもの。

 バッハの「パッサカリアとフーガ」をサクソフォンの五重奏に編曲したものが使われていて、当然ながら二人のダンスも対位法的に展開するのだろうと思われるものだ。

 たとえば、音は大きく変化するのにダンサーは動かず無関係にいて、照明(Hans Meijer)の光は曖昧に大きくなったり小さくなったりしている。そういう時、そのバラバラさが、遠心力を極度まで大きく振り切るために、根っこのところで結束するための強さがどれだけ必要かということを思う。

 想像するに、それは身体がダンスする器官になるための契機をどのように共有しているかということではないだろうか。「1日1語の交換メール」というのは、言葉から発したといっても、もちろんナラティブ(物語的)なものではなかった。たとえば「「question」「行間」、「お経」「息継ぎ」、「バタフライ」「出来ない事」、「かもしれない」「コーヒー」、「腰」「モーション」、といった形で単語の連鎖が続いていきます」というようなものだったそうで 、俳諧でいう付合のような、お互いの想像力を研ぎ澄ましながらも楽しい時空の広がりだったのではないだろうか。池田自身、そのあたりを「単語そのものよりも、その間に生まれてくるもののほうが大切です。例えば「かばん」の反対側に「机」という単語がきたとき。大切なのは単語の意味ではなくて、その2つの単語がなぜコネクトされたのか、どういう発想でそれが繋がったのかということ」だと述べている。語と語との隙間に流れる想念や情感こそを重んじるという態度は、「間」を思っているようであって、実は相手がなぜそれを出してきたのか、相手の心を思い、相手の心になることから生まれていると思われる。コンタクトということの(われわれにとっての)本質が、ここにあるのかもしれない。

Amness01photohirohisa_koike

 ダンスの強さは、このようにして、自身の中に相手を巻き込み住まわせることで生まれてくるのではないか。

 日常的だったりへんてこりんだったりの不思議な振りや、不安定な照明のせいで、何かであるということを固定しにくい作品だと思った。比喩になりにくい動き、言葉にしにくい動きの連なりで、動きを見るという受容の体験が言葉でない直接的な塊として入り込んでくる。それでも随所で山田、池田の動きが断片のきらめきのように美しく、しかしそれは瞬時に異なるトーンへと移ってしまう。

 ぼくたちがこの作品の時間にいるということは、追いかけ続けることだったように思う。もどかしくはあるが、共に動いている時間を持てたようで、疲労が心地よい。

写真:Hirohisa Koike

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