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2015年9月10日 (木)

「モダン芦屋クロニクルーアート、ファッション、建築からたどる芦屋の芸術」

2015年6月14日

 クラシックコンサート「芦屋モダニズムに思いを馳せて」
  ヴァイオリン:松浦奈々
  パーカッション:安永友昭
  ピアノ:宋和純

芦屋市立美術博物館(芦屋市・伊勢町)

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 展示は、芸術分野が「プロローグ」「小出楢重と芦屋」「芳醇なモダンの風/福井市郎・上山二郎」「伊藤継郎と芦屋」「芦屋カメラクラブ」「芦屋市美術協会」「吉原治良/具体美術協会」に分かれ、100点近くを展示。歴史分野が「近代化の夜明け前-江戸から明治へ」「名建築の爛熟期-1900年代前半を中心に」「新たなライフスタイルの時代-1880年代後半から戦後まもなく」「歴史がつくる現代-戦後から現代へ」となっており、芦屋という街の文化的な成り立ちに、多面的にアプローチしようとするものだった。

 1階のエントランスホールで開かれたコンサートは、貴志康一「竹取物語」(1933)など、ガーシュイン「3つのプレリュード」(1926)、バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」(ピアノ版1914)、ピアソラ「リベルタンゴ」(1974)という構成。貴志と同じく、1920-30年代に活躍した作曲家の作品を集めたのだという。

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 貴志は1909年に大阪で生まれ 、9歳で武庫郡精道村浜芦屋に転居、甲南小学校・中学校・高等学校を経て、ジュネーヴ国立音楽院、ベルリン高等音楽院に留学して帰国。ベルリン・フィルハーモニーを指揮してテレフンケン社からレコードを出すなど内外で旺盛な音楽活動を行う。しかし虫垂炎をこじらせて腹膜炎に倒れ、芦屋の自宅で療養していたが、翌年28歳の若さで逝去。芦屋を出自として世界的に活躍した音楽家として、知る人ぞ知る存在だ。(写真は甲南高等学校・中学校のウェブサイトから。撮影:中山岩太)

 展覧会では、貴志は「名建築の爛熟期」のコーナーで旧山邑家、山手小学校、六麓荘、甲子園ホテルと並んで、その邸宅が取り上げられ、ステンドグラス、洋館設計図と直筆譜面が展示されると共に、いくつかの曲をヘッドホンで聴けるように再生装置が用意されていた。貴志康一なるものの生成の由来を、芦屋の邸宅に象徴される大阪財界人の文化基盤に見出したということになる。実際、貴志の祖父が大阪船場でメリヤス業などを営んで財を成し、その息子(貴志の父)は東京帝国大学哲学科で美学を学び、優れたピアニストでもあったという、20世紀初頭の日本ではおそらく破格の財力と共に、教養と芸術の蓄積の豊かな家庭環境から、貴志は生まれてきたといっていい。もちろんそれを強調したからといって、貴志個人の音楽家としての価値が下がるわけではない。ただ、芸術や文化というものを育てる土壌として、芦屋的なものの重要性、文化資本の強度を強調することは、現在において様々な意味で興味深いし、この美術館が具体美術協会や中山岩太やハナヤ勘兵衛らの芦屋カメラクラブを扱う際には、基本的に芦屋の文化、阪神間文化の果実としてという、地域の優越性からスタートしているように思う。

 文化資本の蓄積という点で、芦屋や隣接する深江文化村 、西宮七園  に代表される阪神間が、圧倒的な質・量を擁していたことは、いうまでもない。市立の美術館としてその地域特性から豊かな芸術文化が花開いたことを強調するのは、自然なことであって、それが単なる「郷土の芸術家」に終わるものではないことが、芦屋の地域性として、特筆されるべきことだ。つまり、単に郷土出身の芸術家だということだけで何人かの芸術家の作品を集めるのではなく、それが具体に代表されるような一つの芸術運動体となったこと、そしてこの地域性にそれらの芸術運動、芸術家を生み出した特性をさぐり、さらに新たな芸術を創造する土壌でありうることを確認し、この美術館が現代美術に関しても、新たな創造と発表の場であることを強く意識した展示やワークショップ等を行なっていることは、銘記されてよい。

 このコンサートについても、単に貴志の作品を並べるのではなく、彼と同時代に活動した作曲家の小品を並べたわけだが、それによってはっきりと見えてきたことがある。ガーシュインがジャズ、バルトークが中欧の民族音楽、ピアソラがタンゴと、それぞれの国や地域のルーツとなる音楽を基にして創作活動を行なったように、貴志も日本の音楽家として、地域性、民族性の特殊を踏まえ、それを通過した普遍性に到達することを意識していたことが、切実にわかる選曲だったということだ。その行程は、芦屋や阪神間という地域性から普遍への道筋を探るこの美術館の模索と軌を一にしているように思われる。会場のエントランスホールに展示されていた吉原治良らの大作とも大らかな空間性が通底しているようで、気持ちのいいコンサートだった。

 貴志が長生きしていたら、作曲家、バイオリニストとして活躍する一方、晩年にはどこかの音楽大学の教員となって後進を育てただろうが、時折芦屋の貴志邸で(貴志家が裕福なまま存続したならの話だが)  若い音楽家を集めて私塾のような集まりを持ち、具体の吉原治良のような音楽における芸術運動のリーダー的存在になっていたかもしれない、などと夢想するのは楽しい。阪神間には、そういうサロンの気風がある。

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 さて、展覧会はほとんどが館蔵品で、美術分野については過去の上山二郎、伊藤継郎展、芦屋カメラクラブ展などを思い出しつつ、芦屋の美術家を堪能できるコンパクトなもの。この美術館のコレクションをよく知っている人にとっては、とてもわかりやすい展示だったと思う。尼崎市総合文化センターからの白髪一雄による野外展のスケッチや原画が、現場の感覚を髣髴とさせて、面白く思えた。歴史分野は、摂津名所図会に代表される江戸時代からのこの地域の豊かな地域性を提示し、阪急や阪神の市街開発、阪神間モダニズムを強調するもの。芸術、生活、建築、歴史など、文化の諸相を総合的に取り上げる、この施設らしい展観だった。

 7~8月には江之子島文化芸術創造センターで「浮田要三の仕事展」が開催され、子供のための詩誌「きりん」が大きく取り上げられたこともあり、具体メンバーの再評価、発展的継承に、この美術館がいっそう重要な役割を担うことも期待できる。また、いわゆる展覧会「関連イベント」の関連性についても、慎重に考えさせられる好企画だった。その他のイベント、建築見学会や茶話会、「阪神電車のわくわく探検ツアー」には参加できなかったが、意欲的で楽しそうなイベントが続々で、これらをきっかけに芸術に深く親しむ市民が増え、市民が地域に対する愛着を深め、次代の創造性が生まれるといい。

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