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2015年9月10日 (木)

遊劇体「ふたりの蜜月」

2015年6月21日

 作・演出:キタモトマサヤ
 出演:大熊ねこ 坂本正巳 村尾オサム 鶴丸絵梨 松本信一、久保田智美
 アトリエ劇研(京都市・左京区)

Yugeki


 驚くほど、厳しい作品だった。厳しいというのは、激しいというのとはまた違って、観ていてどんどんこちらの人間としての立場がなくなっていくような感覚。さらに何といえばいいのか、こちらの人間性までキリキリと削がれてしまうような。2013年10月の「往生安楽国」以来、2年ぶりの新作だという。この劇団が2002年から取り組んでいる泉鏡花戯曲全作上演シリーズの中の『恋女房~吉原火事』(2013年6月、アイホール)を思い出す酷薄さもあり、そういうものがこちら側に押しつけてくる「たまらなさ」を堪能できた。
 双子のサトコ(大熊)、ヒナコ(久保田)、全然似ていないが、それはすぐに気にならなくなる。二卵性と書いてあるし。

 大阪府南部(キタモトは泉南郡熊取町出身)の山間の架空の町ツダを舞台としたシリーズだそうで、そこで林業、製材所を営む家の娘。サトコは高校卒業後、家業を継ぐ。ヒナコは家を離れ短大へ進学した。姉妹は一事が万事こういう対照的な関係。父親は町会議員でもあるようだが、家業はどんどん傾き、いよいよ整理するかどうかという瀬戸際。その渦中にあるサトコと、大阪で学生生活をおそらく楽しんで、やっと就職かというヒナコのコントラストも残酷だ。

 姉妹、親にしつこくどす黒く絡むツネイチ(坂本)は父親の営む製材所の社員だが、工場の事故で左腕を切断し、博打にふけり、慰謝料だとはいわないがと前置きをしながらサトコらの両親に金をせびったり、ヒナコにつきまとってあらぬ噂を流したりと、およそ悪事の限りが吹き溜まっているような男。見ていて憎くて憎くてしょうがなくなる。この劇の厳しいやる方なさは、この人物の存在からも来ているように思える。

 始まりは、2人の姉妹の両親が無理心中したらしいというシーンから。まずここでの姉妹の取っ組み合いが激しい。現場は相当凄惨なものらしい。現場を見る見ない、警察にまず通報するしないなど、いちいち2人は言い争い、取っ組み合う。劇では徐々にどうもこれは経営難によるものではなく、夫の女性関係に耐え切れず、妻からの心中だったらしいことがわかっていく。一つひとつの出来事に、いちいち一層悲惨な出来事が控えているのが、やりきれなくて段々滑稽に思えるほどで、それもこの劇の厳しさを裏打ちする。

 サトコは確かに大変な状況にあるが、自分の置かれた環境を過度に制約として意識し、自らがんじがらめになっているという面もあるだろう。高校の同級生のマサコ(鶴丸)が帰省して会っている時に、神社の境内で大雨に降られ、檜の森の精に取り付かれたかのように踊り狂う場面で、宝塚歌劇の伝説のショー「シャンゴ」  はこんなではなかったろうかと思わせるような激しい憑依の乱舞を見せるのだが、これが憑依だったとしたら、何が憑いたというのだろう? これは憑くというよりも狂れるという形で自己を解放しているといえるかもしれない。彼女のがんじがらめを、一時的に解き放つために、深い森と激しい雨、何より時間を遡って現在の自分を見るための、少し距離を置いた旧友が傍らにいることが必要だったわけだろう。この乱舞は、本当に凄まじいものだった。身体の芯を外してぐちゃぐちゃにしてしまうといっていいだろうか。身体の構成要素がすべて中心から離れたくて外向していくような感覚で、それが観ている者にもダイレクトに伝わり、こちらの身体までばらばらになっていくような。だから、解放といいながらも、全く安寧に結びつかない。この乱舞の時間を終えて、彼女は一層深い闇に沈み込んでしまったのではないかと思ってしまう。この劇の厳しいやりきれなさは、ここからも来ている。

 いろいろあって、すっかりダメになってしまった姉妹。サトコは家を失い職もなく、山姥のようになってひどい格好で山中を徘徊しているという噂が流れている。ヒナコはツネイチに売り飛ばされたらしい。小さな集落に暗い噂がかけめぐる。ラスト、戻ってきたのだろうかヒナコをサトコが背負って、ガッシガッシと山道を分け入っていく姿が凄まじい。身体的にも相当つらそうな場面だが、この場面に集約された物語と感情の複層を、こんなにも的確に表現することができるものかと、演出にも演技にも身体にも感動した。演劇というものが、現実を集約し、煮詰め、結晶させたものだということが、はっきりとわかったシーンだ。物語の結末は確かに非情にやりきれなくつらいものだとわかっているのだが、最後のサトコとヒナコの、俗世をも人間をも突き抜けたような姿に、圧倒され、演劇的至福のようなものに打ち抜かれながらの暗転となった。何ヶ月かたったので、ようやくもう一度観たいと思う。

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