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2016年3月19日 (土)

中岡真珠美展「絵になるはじめ」

2015年7月4日

Oギャラリーeyes(大阪市北区)

 風景から何かが抜けているという印象の作品。風景を写真に撮って、気に入った形をトレース、デフォルメして再構成された風景だというのだが、その過程で何が抜け落ちるのだろうか。
 
 それは必ずしも、図と地、主題と背景というような軽重の関係にあるようでなく、そもそも元になっている風景自体に「何を写した」とか「何を見ている」というような主題が見つからない。
 
 おそらくその欠落あるいは空白そのものが主題なのだろう。色彩を個々に見れば、鮮やかでないわけではないのだが、たとえばこの図版「Go!バンテリン。#5」のように、中央の看板状のものが空白であるとか、木の枝が白抜きで描かれている(いない)ということで、印象として、画面から観る者に押してくるのではなく、引いていくように思える。

 肝心のものは、描かれていない。それは、いかなる判断ないし選択によって描かれずに終わったのだろうか。
 
 たとえば少し前の作品になるようだが、パレスホテル東京のエレベーターホールにあるという「幕間」  という作品は、「パレスホテル東京周辺の風景がモチーフ」としながらも、おそらくそうだと明確に指示するようなランドマークは描かれていないのだろう。
 
 「中心暗点」と呼ぶらしいが、「視野の真中が暗く抜けて見にくい」「見ようと思うところが見えない」という症状があるらしい。
 
 何かが在るということは、背景に対して、何かがそこを占めているということで、侵食する/されるという関係が成立していることになるわけだ。それを引き算的な手法によって露わにすることが、中岡の面白いところだ。
 
 そんなふうにして2012年あたりから原爆ドームを描いている作家だと知った。これは相当高度なインテリジェンスであることよと、感心している。
 
http://www.artfrontgallery.com/artists/cat51/
 
 

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