2017年4月 4日 (火)

「なぜ狂い、いかに狂うか~「狂」の舞台表現」(2012年6月の講義録)

2012年6月11日に神戸女学院大学「アート・パフォーマンス」でお話しした内容です。
これも担当教員は小林昌廣先生でした。小林先生の前でお能の話をするのは、汗顔ものでした。

芸術、特に現代の舞台芸術にかかわっています。具体的にはコンテンポラリーダンス、直訳すれば現代のダンスを中心としたダンスの評論、公演の制作を中心に、現代演劇を見たり、たまに画廊や美術館に行ったりもします。
 いつごろからでしょうか、確か何らかの形での小林先生のナビゲーションもあって、古典といわれる舞台芸術にも強く惹かれるようになりました。
 今日お話ししながら一緒に考えて行きたいのは、最終的には感動というものがどこからやってくるかということです。現代のダンスや演劇から深い感動や鋭い衝撃を受けていたぼくは、古典といわれるものからは、それほど生々しい、現在のぼく自身に肉薄するような感動は受けないと思っていたのですが、実はそうではなかった。
 人形浄瑠璃、歌舞伎、お能、いずれも何百年も前のものなんでしょうが、少し解説を加えてもらったり、こちらが勉強したりすることで、驚くほどの生々しい感情のあらわれを感じ取ることができました。
 その中でも、お能にぼくは強く惹かれます。よくあるスタイルを紹介しますと、主人公、シテと言いますが、作品を通じて同一人物ではあるのですが、それが前半と後半で豹変、変化(へんげ、といいます)する。前シテ、後(のち)シテといいますが、前半は普通の村人とかであって、ワキ、脇役の、だいたいが旅の僧とかがその土地にまつわる歌枕などの話しをし、興に乗ってくると、シテが実は自分こそがその○○なのだ…と告げて引っ込みます。たいていは、この世に深い怨みを残して死に、いまだに成仏しきれていない、たましいです。
 そして後半、そのたましいが覆いを取り去られたかのように、生前の姿を取り戻したというよりは死後、いまだ彷徨っているたましいとしてあらわれる。
怨みや悲しみのせいで、言ってみれば、狂ってしまうわけです。狂うほどの強い感情のたわみ、ゆがみのようなものを、お能という、一見というか先入観としては静かな舞台芸術が、どのようにあらわす、現前化するのかというのが、お能を見るひとつの喜びです。
 今日紹介する道成寺というお能では、プリントを見てもらうとわかるように、前半は若く美しい女性です、白拍子というのは、巫女舞などを舞う男装の芸能者です。異性装をすることで、神の憑依がたやすくなると信じられてもいたようです。余談ですが、これは、舞踏、暗黒舞踏といわれる現代のダンスでも同様のことが行われているといっていいでしょう。
後半では鬼のような顔に変化します。鬼の面は一般的に般若ですが、ここではそれをさらに通り越し、また蛇であるということから、真蛇という面が使われています。屈折した怨みを持った女性の、怨みの対象は直接的にはこの道成寺の鐘ということになっています。
 まずは、ダイジェスト版で見どころを観てもらいましょう。特に、3分前後からの小鼓と激しい気合だけで、シテが足先だけを動かす乱拍子、そのあとの激しい急の舞、そして鐘の中に入る場面、おそらくお能のイメージを覆すような激しさ、速いテンポに驚かれると思います。鐘に入る瞬間に、鐘を持っている鐘後見という後ろで綱を持っているひとが、身を投げ出すようにするしぐさなども見どころです。そして鐘から出てくる姿に注目してください。
 <般若>とはもちろん能の鬼女で、それは中世の鬼のなかでももっとも鬼らしい鬼である。なぜなら、三従の美徳に生きるはずの中世の女が、鬼となるということのなかに、もっとも弱く、もっとも複雑に屈折せざるを得なかった時代の心や、苦悶の表情をよみとることができるからである。<般若>の面は、そうした鬱屈した内面が破滅にむかう相を形象化して、決定的な成功をおさめたものといえる。…世阿弥は<鬼の能>にふれて、「形は鬼なれども、心は人なるがゆへ(ママ)に」という一風を想定している。…中世の鬼女がきわめて独自であるのは、たとえば能の詞章が、鬼とならざるを得なかった女の内面に綿々としてかかわり、あるいは鬼となってからさえ、その渋滞しやまぬ情念のゆくえを問い続けていることである。(馬場あき子『鬼の研究』1971、ちくま文庫1988)
Oumionna2
Shinja
■道成寺
喜多流 シテ(白拍子、蛇体):塩津哲生(しおつ・あきお)、 ワキ(道成寺住職):宝生欣哉、笛:松田弘之、小鼓:成田達志、大鼓:白坂保行、太鼓:観世元伯、鐘後見:友枝昭世 2000年8月、身曾岐神社能楽殿 八ヶ岳薪能十周年記念公演
<あらすじ> ここは紀伊国、道成寺。長らく退転していた鐘が再興され、今日はその供養の日である。その晴れやかな日に道成寺の住侶は、どういうわけか、鐘の供養の場へは決して女人を入れてはならぬ、という旨を能力に触れさせる。
 一方、紀伊国の傍らに住むという白拍子が、鐘の供養のあることを知って急ぎ道成寺に向かう。まだ日も暮れぬうちに到着するが、やはり参拝を拒まれる。供養に舞を舞って見せるから、鐘を拝ませてほしいと頼む女に、能力(のうりき。寺で力仕事などをする下級の僧、寺男)も、白拍子の舞を見たさにか、美しいその姿に魔がさしたのか、女人禁制のはずの境内へ、彼女が入ることを許してしまう。烏帽子を付け舞の仕度をした白拍子が供養の場に入ってくる。女はしばし立ち止まり、鐘を見つめる……。
 入相の鐘が鳴る--。つい今し方まで明るかった境内に夕闇が訪れ、徐々にまわりの風景を漆黒に同化させてゆく。ほの白く煙ったように浮かび上がる桜、桜、桜。その中をただひとり舞う女--妖しくも美しい光景。
 音もなく散りゆく桜。女は人々が眠っているのを見定めると、恨みの言葉を残し、あっという間に鐘を引き担いでその中に消えた。
 突如、全山に響きわたる轟音。慌てふためいた能力たちが鐘楼あたりを見にくると、なんと吊ったばかりの鐘が落ちている。しかも鐘は熱く煮えたぎっていて触れることさえできない。これは尋常なことではない。彼らは、さんざんもめた挙句、このことを住侶(その寺に住む僧侶)に報告する。
 僧たちを連れて鐘楼に赴いた住侶は、そこで、この道成寺の鐘にまつわる恐ろしい因縁を語って聞かせる。--昔、紀伊国にまなごの荘司という者がいた。彼は幼い娘に度々土産などを持ってくる熊野参詣の山伏のことを、あれこそおまえの未来の夫などと戯れを言っていた。父親の言葉を一途に信じて成長した娘は、ある夜、山伏に言い寄る。山伏は仰天して夜中にこっそり荘司の家を抜け出して道成寺に逃げ込み、鐘を下ろして貰い、その中に隠れた。女は悲しみと怒りのあまりになりふり構わず追いかけた。そして、折から増水した日高川を遂に一念の毒蛇になって泳ぎわたり、とうとう山伏の隠れた鐘を見つけ、蛇身で巻いて鐘もろとも焼き溶かしてしまった。--
 住侶が僧たちとともに護摩を焚いて祈ると、大音響とともに鐘が上がり、中から恐ろしい形相の蛇体が現われる。激しい闘いの末、蛇体は遂に祈り伏せられ、日高川の深淵に飛び入り沈んでいったのだった。(終曲)--そして、またいつの日にか繰り返される因縁。女は果てしなく続く情念の闇を永遠に彷徨う。--(1993年、大槻能楽堂改築10周年記念「道成寺フェスティバル」プログラムから)
 さて、解説にありましたように、乱拍子、急の舞、そして鐘入り、さらに鐘を上げるともうそこには蛇しかいないわけです。ここでぼくが面白いと思ったのは、当たり前のことではありますが、蛇になってしまわないことには、僧侶たちは何もできないわけです。女が狂うように舞っている最中、僧侶たちは何をしていたのか。白拍子の舞に酔いしれ、いつしか居眠りをしていたということになっています。そこへ突然鐘が落ち、何事だ、雷か、などと大騒ぎするのは滑稽で、劇の緊張をいったん弛緩させるわけですね。
つまり、激しい舞いという形で、振幅が最も大きいのは、蛇になってからではなく、人間の女である間です。前シテが、こんなに激しく舞うというのは、どういうことかな、と思うのです。
 おそらく、この道成寺というお能が面白いのは、主人公である白拍子という美女が、現在進行形で狂乱していくからなのでしょう。この白拍子は、いったいいつ蛇になったのか。もちろん、鐘の中でなのですが、鐘が落ちた後、舞台の上で展開しているのは、昔の出来事として語られている、鐘にまつわる因縁話です。この話しですが、女が蛇になって鐘と山伏を焼き溶かした、というところだけ取り出すと、恐ろしい女という話しですが、父親の戯言を本気にして自分の花婿だと定めてしまった少女の、実らぬ恋の悲しいお話です。普通の娘さんを、蛇にしてしまったのは、直接的には山伏に邪険に振られた悲しみ、そしておそらくはその時に大人の男たちが寄ってたかってぐるになって、女から山伏を隠そうとした、そのことで受けた恥辱への怒りです。
 このような悲しみと怒りは、馬場あき子が指摘しているような、三従の美徳~嫁ぐ前には父兄に従い,嫁いでは夫に従い,夫が死して後は子に従うこと~にじっと耐えている女を、男たちが戯れ半分で翻弄した末に、爆発してしまったものでしょう。しかも、蛇という生き物は、セクシャルな象徴である一方、手も足も持っていない不具者のような存在でもあります。すでに蛇には、たとえ毒蛇であろうがなかろうが、僧侶たちの調伏、数珠を使った法力によって、柱に巻きつくぐらいのことしかできなくなっています。柱巻きと呼ばれる名場面です。鬼になってしまってはいるが、悲しみは抱えたまま、というのが、世阿弥の言う「形は鬼なれども、心は人」という状態であると思えます。
 次に見てもらうのは、バレエの「ジゼル」を、思い切って現代的に解釈しなおした、マッツ・エックというひとが振付・構成したものです。プリントにあらすじを載せましたが、アルブレヒトという白い服を着た青年に裏切られたジゼルは、マッツ・エックの解釈では死なず、狂ってしまうのです。アルブレヒトと婚約者のバティルドが抱き合っているのを見つめるジゼル=アナ・ラグーナの目は、完全に常軌を逸した人の目ですし、それ以後のジゼルの動きは激しさとともにバランスを崩していることが表現されています。ここれもアルブレヒトという貴族のお坊ちゃまの悪ふざけが、素朴な村娘を破滅に追いやるという構図は、実は道成寺とあまり変わりません。舞踊作品としては、ジゼルの狂気を他のアンサンブルも含めた群舞の激しさで表現したりという違いはありますが、だまされた女性がさらにひどい目にあうところも似通っています。ただ、ch24あたりで精神病院に入ったジゼルがヒラリオンと再会することによって、つかの間の救済を意識させるようなところはありますが、最終的になぜヒラリオンが死んでしまい、アルブレヒトが救われるのか、よくわからないドラマではあります。
 今日は、第一幕の最後のジゼルが狂ってしまうところと、第二幕で精神病院に入ったジゼルがヒラリオンと再会するところだけを見てもらい、現代のバレエの狂気の表現を見てください。
マッツ・エック版ジゼル
クルベリ・バレエ団、振付:マッツ・エック、音楽:アドルフ・アダン、初演1982年、収録1987年 ジゼル(村娘):アナ・ラグナ、アルブレヒト(村人ロイス実はシレジア公爵):リュク・ブーイ、ヒラリオン(ジゼルに恋している青年):イヴァン・オーズリー、バティルド(アルブレヒトの婚約者):ヴァネッサ・マキントッシュ
Ana
 ここで、シェイクスピアのハムレットや、森鷗外の舞姫にも触れたいところですが、今日はちょっと余裕がありません。ハムレットのオフィーリア、舞姫のエリス、ともに実に哀れな女性です。ぜひ原作を読んでみてください。舞姫は、インターネットの青空文庫でも全文読めます。ぜひ原文の味わいを含めて、読んでいただきたい。本当に狂っているのは誰だろう、と思わせられると思います。また余談ですが、この二つの作品は、宝塚歌劇でも舞台化されました。特に舞姫は素晴らしく、エリスを演じた野々すみ花の、まさに鬼気迫る演技は特筆物でした。
 道成寺、ジゼル、そしてハムレットも舞姫も、男のせいで無垢な女性が狂って、死んでしまうというものでした。次に見てもらうものは、チェーホフの三人姉妹をパパ・タラフマラという演劇ともダンスともつかないカンパニーが、非常にセクシュアルで大笑いしている騒がしい作品に翻案しているものです。あらすじで、この淡々とした戯曲の、どこに狂気に通じるようなところがあるのか、思いつくところにアンダーラインを引いて見ましたが、正直言ってよくわかりません。ただ、この演出の小池という人が、三人姉妹の中に見て取った狂おしさのようなものを、極端に大きなものにした作品だといえるでしょう。ヒステリックでエキセントリックな表現は、今日は初めてみることになると思うので、そういう表現の質にも注目してみてください。
そして最後に見てもらうのは、BATIK『ペンダントイヴ』というコンテンポラリーダンスの作品です。おのずからなる狂気とでもいいましょうか、誰に狂わされたのでもない、内発的な狂気ではないかと思います。そう考えたときに、いくつかの疑問が出てきます。一つは、これを狂的に見ているのは誰かという問題、そしてこれを狂気だと見ているのは誰か/なぜかという問題、そしてメタな設問になりますが、この狂気をさせているのは誰か/なぜかという問題。
Dance Company BATIK『ペンダントイヴ』
原っぱに集う、色とりどりの衣裳をまとった少女たち。泣き、叫び、笑い、暴れるカラダが呼び起こす遠い記憶、渦巻く感情。キラキラとした無垢な情熱とその先に待つ闇、恐怖、そして背徳感……そのすべてを受けとめて、疲れ果て倒れるまで踊る。痛みや苦しみの先に生まれる、いとおしさを信じて--。(映画公開時のチラシから) 
Batik
構成・演出・振付:黒田育世、出演:BATIK、音楽:松本じろ、収録:2007年3月・世田谷パブリックシアター
BATIK:黒田育世振付による作品創造を中心とし、2002年4月設立。あえてバレエのテクニックを基礎にもったカンパニーとして、コンテンポラリーダンスの表現の中で「踊ること」にこだわった活動をしていきたい。http://batik.jp/
 ドキュメンタリーの中で一人のダンサーが「リハーサルを何回かやっているうちにだんだん見えてきて、初めて通したときに、感情が入りすぎたのか走りすぎたのかわからないんですけど、頭の中がぐるぐる~ってなって、大泣きしてしまったんですよ。これは何なんだろう、って思って。」言っていたが、ここで見られるのは生々しく赤裸々な命そのもののようなもので、もしそれが狂っているように見えたとすれば、狂っていない状態とは、実は何かに抑圧され規制されているのではないかなどと思ってしまうのです。おそらくは、近代以後の芸術が求めてきたのは、そういう生々しさ、本質、といったものであるわけでしょうが、このように見てきますと、実は古典芸能の中にも、ある種の仕掛けによって非現実の振りをしながら、実はそういう赤裸々さ、生々しさを描いていたものがあったということに気づき、改めてすさまじいなと思うのです。

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2017年4月 2日 (日)

Texture of the Hour (KU Art Cafe vol.4)

昨年もステージ空でソロ作品を出してくれた斉藤綾子さんが、今回は大阪芸術大学の同期生と3人でするダンス作品です。
ステージ空の3つの階層、3人のダンサー、がどのように入り組んだり、響きあったりするのか、とても楽しみです。
各回の定員が20名前後ととても少ないので、事前にご予約ください。
出演(ダンス):大東紗、辻史織、斉藤綾子
演出・振付:斉藤綾子

チケット:前売2000円、当日2500円
     25歳以下各200円引

開演:28日19時 29日13時・7時
   開場は15分前

ご予約・問合せ:kuart@ahk.jp
        090-9862-6510(当日のみ

会場:ステージ空 大阪市中央区博労町1-7-11
    地下鉄堺筋本町駅3番出口から南徒歩約4分

主催:SEMBA KArC(センバ・カルク)
協力:歌一洋建築研究所、斉藤DANCE工房

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2017年1月 2日 (月)

センバ・サウンズ#1開催(現代音楽のコンサート)

ステージ空で現代音楽の新シリーズ「センバ・サウンズ」を開催します。

第1回は永松ゆか、炭鎌悠のお二人によるアクースモニウム・ライブ。

ディレクターの檜垣智也さん(作曲家)とは、ダンスの時間最終回「豊饒の海」でご一緒した時からで、かなりとんがったライブが展開されることと思います。

定員が少ないので、お早めにご予約ください。ご予約・お問合せkuart@ahk.jp

日時:2017年2月26日(日) 14:30start (14:15open)

会場:ステージ空(Stage KU)
〒541-0059 大阪市博労町 1-7-11 空の箱 1F  http://www.stage-ku.com/ 地下鉄「堺筋本町」駅 3 番出口から南、徒歩約 4 分 堺筋本町交差点から南、やよい軒さんの角を左折 

日連絡先090-9862-6510 上念

料金:予約・前売¥2,000 当日¥2,300 定員35名程度
 ♫♬アーティスト割引 各¥-300(自己申告、「卵」含む、ジャンル不問) ※このひとときが音楽と、美術、ダンス、演劇、建築、写真、言葉…様々な表現との出会いの契機となることを願って、「アーティスト割引」を実施します。

ご予約・お問合せkuart@ahk.jp

※ ポストトークのゲストは、http://jonen.txt-nifty.com/dnp/ で発表します

関西で話題の先端的な音楽を紹介する「センバ・サウンズ」が、南船場のアートスペース「ステージ空」ではじまります。毎回2名の新鋭サウンドクリエーターによるアクースモニウム・ライブとポストトークで個性を掘り下げます。ゲスト:泰子興業ほか

炭鎌 悠 SUMIKAMA, Haruka
2009年、Contemporary Computer Music Concerts 2009(主催:ACSM116、東京日仏学院) MOTUS賞受賞。2010年、第2回国際サウンドアートコンテスト(主催:スペイン国営放送局)最優秀賞受賞。2012年、大阪芸術大学大学院博士課程(前期)修了。2016年、インプロビゼーションユニット「salbattle」に加入。主に具体音を用いた音響作品の制作およびライブパフォーマンスを行う。

永松ゆか NAGAMATSU, Yuka
大阪府生まれ。楽音、騒音、電子音を含めた全ての音を素材とし、ミュージック・コンクレートを始めとした楽曲制作を行う。2013年Contemporary Computer Music Concerts 2013にてACSM116賞にノミネートされ、FUTURA賞を受賞。2013年プレスク・リヤン賞入選。国内のみならず、フランスやイタリアでも作品が上演されている。2017年6月にはファーストアルバムのリリースを予定している。大阪市在住。

主催:KArC(上念省三) 
ディレクション:檜垣智也 
協力:歌一洋建築研究所、MUSICIRCUS

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※ アクースモニウムとは、スピーカーのために作られた電子音響音楽(テープ音楽、ミュージック・コンクレート/アクースマティック、電子音楽など)をコンサートで発表するための多次元立体音響装置である。1974年にフランスの作曲家フランソワ・ベルが発案し、ドゥニ・デュフールとジョナタン・プラジェによってその演奏法が確立された。コンサート空間に自由に配置された複数(通常は16個以上)のスピーカーを、ミキサー上のフェーダー操作することによって、様々な音響空間が自由に表現できる。
http://musicircus.net/ih-plus/acousmonium.html

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2016年12月31日 (土)

さなぎダンス#10は、2017年2月です

障害のある身体と障害のない(?)身体を同じ空間で観ることのできる稀有な体験、「さなぎダンス」の次回は2月の開催です。
お誘いあわせのうえ、ぜひお越しください。
出演は古川友紀+出村弘美、GyaaaO!、松尾大嗣+小林加世子(劇団態変)の3組。
開演:2月4日19時、5日13:30・17:00
料金:一般前売2000円、当日2200円
    障害者及び介助者/25歳以下:1500円(前売・当日とも)
定員各回30名程度、お早めにご予約ください。
会場:メタモルホール(JR東淀川駅東口徒歩3分)
ご予約・お問合せ:劇団態変 Tel/Fax:06-6320-0344
    taihen.japan@gmail.com

UraOmote

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2016年9月14日 (水)

武満徹没後20年を記念して2講座開催

今年2016年は、作曲家・武満徹の没後20年に当たります。
それを記念して、ステージ空のKU Art Cafeでは、武満にちなんだ講座を開催します。
お誘いあわせのうえ、お気軽にお越しください。
(小さな会場ですので、できればご予約ください)
 
★10月8日(土)14:00
武満徹の周囲の詩人たち
ナビゲーター:上念省三(ダンス評論・元「現代詩手帖」編集部)
¥500
「実験工房」の瀧口修造をはじめとして、同世代の詩誌「櫂」に拠った詩人たちを紹介し、武満のポエジーを探ります。
★10月8日(土)17:00
武満徹とインターメディア
対談:川崎弘二(音楽評論)×檜垣智也(作曲)
¥1,000(予約・当日とも)
※武満の電子音楽を中心に、そのインターメディア性を探ります。
会場:ステージ空(KU)
〒541-0059 大阪市博労町1-7-11 空の箱1F
地下鉄堺筋本町駅3番出口から南、徒歩約4分
堺筋本町交差点から南、やよい軒さんの角を左折
開場は開演の15分前
ご予約・お問合せ:kuart@ahk.jp 
090-9862-6510(当日のみ)
主催:KArC(上念省三)、協力:歌一洋建築研究所Sogo_2

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2016年8月28日 (日)

KArC秋企画 第2弾 斉藤綾子×四宮基稀【Three Layers】

大阪・堺筋本町の「ステージ空」というスペースをお借りして、様々な種類の企画をお送りしていきたいと思っています。名付けてKu Art Cafe、略称KArC(カルク)。

都会の真ん中で、いろんな人が気軽にカフェしながら舞台にふれて、ちょっとお話もできるような、心地よい空間になればと思います。

10月の企画発表、第2弾は、

斉藤綾子×四宮基稀   <Three Layers> 空間と音楽と舞踊

2016a4
2016年10月9日(日) 開演14:00 and 18:00
会場:ステージ空 (定員各回25名程度)
前売・予約2000円 当日2200円 (25歳以下各 -500円)
 

[]から始まるものについて、思いをめぐらす

[]に終わるものについても

その間を連なり降り流れる光、温度、視線、水…

動きも音も視線も上から下へとゆるく流れて

やがてなにもなくなるようなことが

このささやかな場所で起きないかしら

 

ダンス、音楽それぞれの領域でエッジを探る2人が、[スペース空]という三層から成る空間にインスパイヤされた作品。
外光を取り入れたスタイリッシュなホワイトキューブでの公演です。

 

斉藤綾子/Ayako Saitoh
大阪府出身。幼少より踊り始め、12歳よりサイトウマコトに師事しコンテンポラリーダンスを学ぶ。大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース卒業。在学中に望月則彦作品[カルメン]でカルメン役を踊る。現在、作家・舞踊家・振付補佐として〈斉藤DANCE工房〉を拠点に活動中。

四宮基稀/Motoki Shinomiya
1991年大阪生まれ。大阪芸術大学音楽学科卒。エレクトロニカユニット【unimi】で作曲・演奏をする傍ら、音を用いた美術作品や音を視覚化する図形楽譜の制作、音楽イベントの企画など、様々な方面で活動している。

 

■ステージ空■
大阪市営地下鉄堺筋本町③番出口徒歩4分 
〒541-0059 大阪市中央区博労町1-7-11空の箱

Map

 

お申込・お問合せ:mailto:kuart@ahk.jp
090-9862-6510(当日のみ)
主催:KArC 
協力:歌一洋建築研究所、上念省三

 

 

 

 

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2016年8月21日 (日)

さなぎダンス#9開催

<さなぎダンス#9>を開催します。

身体に障害を持つ劇団態変のメンバー1組と、いわゆる健常者のメンバー2組がしのぎを削る、稀有な舞台です。
ぜひご覧ください。

Sanagi9a

Sanagi9b

出演:遠藤僚之介, 地案,下村雅哉+小泉ゆうすけ(劇団態変)

日時:2016/9/10 19:00, 9/11 13:30・17:00 開場30分前

料金:一般:前売2000円/当日2200円、
   障がい者及び介助者/25歳以下:1500円
※定員各回30名程度。お早めにご予約ください

会場:メタモルホール(JR東淀川駅東口徒歩3分)
 大阪市東淀川区西淡路1-15-15

チケットは出演者にご連絡いただくか、下記宛お申し込みください。上念宛ご連絡いただいても結構です。
 ご予約・お問合せ:劇団態変
 Tel/Fax : 06-6320-0344
 Email:taihen.japan@gmail.com

主催:ダンスの時間プロジェクト
協力:劇団態変, メタモルホール

【地案】力強く、繊細な動きと肉体から溢れる感情、また身体性を重視した予測不可能な踊りが特徴。現在、オランダ アムステルダムにて滞在制作中。舞踏ワークショップ、ワークショップショーイング、ソロライブ、舞踏の考察、研究も日々行いオープンラボも開講。日本各地で数々の舞台、フェスティバルに出演。数々の音楽家、芸術家との共演を果たす。神社、仏閣での芸奉納を定期的に行ない舞踏普及にも精力的に活動している。【主な出演】Juli dance international festival 2016 in amsterdam、ニュイブランシュKYOTO、Designer ELEY KISHIMOTO プロデュース クリエイション、PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭、又、現在活躍中の舞踏家、桂勘、藤枝虫丸とも共演。数々のファッションデザイナーとのコラボレーション作品多数。舞踏だけにとどまらずコンタクトインプロも長く学び得意とする。佐伯有香氏に師事。2014クリエイション作品出演。演劇の舞台もこなす。2013富士山アネット the Absense of the city、富士山アネット×Dance Theater 4P 京都芸術センター出演。韓国公演 ソウルM スタッフ参加。https://youtu.be/Z1St_h8_xQM
■さなぎダンスに出演でき光栄です。メタモホールで舞踏を踊る事は、私にとって貴重で大切な時間になると思います。身が引き締まる思いです。

【遠藤僚之介】
1988年大阪生まれ。油絵を学んだのち、京都市立芸術大学にて環境デザインを専攻。卒業後、店舗内装のデザイナーとして2年間勤務。その後、京都の八咲舞遊館にてヤザキタケシ氏にダンスを師事。現在は視覚障害を持った人たちと共に働き、多様な身体性のある社会に身を置きながら、ダンサーとして活動中。出演作品:インバル・オシュマン振付「The cucker’s cry」/ヤザキタケシ振付「クロスの刹那」/フランチェスコスカベッタ振付「A Surprised body workshop」/山本和馬 振付「愛してしまうたびに」etc…
■多様な身体、生まれつき持った特性やそこに蓄積された記憶や経験を通してでしか人は世界を見ることができません。ところで話は変わりますが先日友人が”イワダヌキ”という生き物の存在を教えてくれました。なんでも大きさはラグビーボール大くらいの体つきで岩と岩の隙間に挟まれるように生息しており、その岩と同じような鼠色の体毛が全身に生えてるんだそうですが、手触りはどちらかというと少し柔らかく、可愛らしい顔立ちをしてるそうです。ここ数日はこのポケモンみたいな名前の生き物のことが気になって仕方がありません。 

【下村雅哉】2006年劇団態変に参加。「ミズスマシ」「ヴォイツェク」では主役を務めた。劇団態変における身体表現の真髄「頭のコントロールではなく、身体自身の意志から予定調和を破壊して、地面から空間を歪める表現」を体現する役者として、注目を受ける。

【小泉ゆうすけ】(劇団態変)1988年態変に参加。2001年、エディンバラのTheatre Workshopにて「Kaguyahime」に客演。2012年「福森慶之介一世一代 又、何処かで」では故福森慶之介の相方役を務めた。集中した演技と、独特のバランスを持った身体表現には定評がある。

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2016年8月20日 (土)

KArC秋企画 第一弾 元タカラジェンヌによる【Our Precious Days】

大阪・堺筋本町の「ステージ空」というスペースをお借りして、様々な種類の企画をお送りしていきたいと思っています。名付けてKu Art Cafe、略称KArC(カルク)。都会の真ん中で、いろんな人が気軽にカフェしながら舞台にふれて、ちょっとお話もできるような、心地よい空間になればと思います。

8月初旬の三崎彩さんたちによる「~ナツ~」に続く秋の企画が決まりつつあります。

第一弾は、元宝塚歌劇団のお二人によるトーク&ライブ。

KArC(KU Art Café)vol.2Kart_aoi
Fubuki Aoi and Mirei Shiyu talk and live

【Our Precious Days】

葵吹雪さんとは、彼女が神戸大学大学院の学生時代から親しくさせていただいています。葵さんと同期の紫友さんがフレンテホールのマイソング・マイタカラヅカに出演されたこともあって、何かやってみませんか、とお声をかけて、実現にいたろうとしています。

二人とも歌いたい曲がいっぱいで、いま、選曲に頭を抱えています。

宝塚以外の歌も、今のお二人の日常を垣間見せる歌も、様々に交えて、楽しい時間になりそうです。どうぞお気軽にお越しください。

宝塚歌劇団を退団してから、あっという間に月日が経ち、同期がトップに就いています。
いま私たちは、全く違う世界で日々を送っていますが、がむしゃらで、泣き笑いで、愛しい日々だということは、同じだと思っています。
元雪組、88期生の同期2人で、今の私たちをご覧いただく場を設けてみました。
初めてのことで、ちょっと⼾惑っていますが、できればぜひ…応援のお気持ちで、いらしていただけたら嬉しいです!

日時:2016年10月10日(月・祝)  14:00開演(13:30開場)

出演:葵 吹雪、紫友みれい(元・宝塚歌劇団雪組)

料金:1ドリンク付
一般¥2,000 小学生以下¥500

定員40名

お申込・お問合せ:kuart@ahk.jp 
090-9862-6510(当日のみ)

会場:ステージ空
大阪市営地下鉄堺筋本町③番出口徒歩4分 
〒541-0059 大阪市中央区博労町1-7-11空の箱

葵 吹雪(あおい ふぶき)
愛知県名古屋市出身。
2002年星組大劇場公演『プラハの春』『Lucky Star!』にて初舞台。その後、雪組に配属となり、男役として『ベルサイユのばら 2006』『エリザベート』『シルバーローズ・クロニクル』等に出演。
2009年『忘れ雪』を最後に、宝塚歌劇団を退団。
退団後は、滋賀大学教育学部を経て、神戸大学大学院人間発達環境学研究科 博士前期課程修了。
在学中には、研究の一方でバレエ・ダンス・声楽等の指導や『YUMI KATURA 2014 GRAND COLLEC-
TION IN OSAKA 輝きのとき』『わが心の大阪メロディー』『薔薇とシンフォニー~Christmas an Evening~』 等に出演。

紫友みれい(しゆう みれい)
大阪府池田市出身 
誕生日5月23日
2002年  星組『プラハの春『Lucky Star!』にて初舞台。同年、雪組配属になる。2010年 『ロジェ』『ロック・オン!』で退団
現在の主な活動:バレエ、ジャズダンス、ヨガなどの指導。宝塚OGショーの出演。

主催:KArC 
協力:歌一洋建築研究所、村上信夫、上念省三

秋の企画第2弾は、斉藤綾子(ダンス)×四宮基稀(音楽)による「三層~空間と音楽と舞踊」、10月9日。詳細は間もなくリリース。

第3弾は、究極かつ驚愕の穴埋め企画で、上念が仲間とお送りする「四畳半フォークとは何だったのか」で、10月10日夕方

第4弾は、交渉中です。

ご期待ください。

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2016年3月19日 (土)

神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻第7期生卒業制作作品集 ソロ・リサイタル

2015年7月11日
 
出演:佐々木微香、小谷有輝、藤森美貴子、金愛珠、池主雅夕、岡庸子、佐藤絢音、杉田亜祐美、 川原美夢
 
神戸女学院大学エミリー・ブラウン館Aスタジオ  
 
Solore
 
 島﨑徹教授が指導している舞踊専攻の卒業制作だが、島﨑氏は個々の創作についてタッチしていないようだ。終演後島﨑氏が、感に堪えない表情で、「みんなすごいでしょう、いつこんなの身につけたんだろうね。ぼくの仕事なくなっちゃうよ」と言っておられたのが印象的だった。
 
 もちろんもともとのバレエ団やダンススタジオで、また非常勤の砂連尾理さんや鞍掛綾子さんらからも、創作ということを学んできているのだろうが、島﨑氏が授業の中で、彼女たちの前で創作の過程をさらけ出すように試行錯誤しながら時間を創っていくのを目の当たりにして、多くのことを学び取っているに違いない。
 
 佐々木微香「planet box」は、本人のソロ。恵まれた容姿をきっちりと見せ、期待されるよりも少しクールに抑制的にまとめたあたりが、佐々木らしいところか。力のこもった入り方、歩き方のニュアンスに瑞々しいシズル感があり、フォルムの美しさ、動きの粘り、目力の強さが印象に残る。終わり方が少し唐突だったのと、照明にもう少し変化、メリハリがあればもっとドラマティックで強い印象が残ったのではないか。
 
 小谷有輝「HaRu」は、同学年の岡、本人と、下級生の村林楽穂、辻田萌子、目黒真帆が出演。日常的な軽い感じの始まりから、ゆるやかなユニゾンとなり、女子の日記やそれに付いたコメントのような、ちょっと古風なモノローグ的な印象。小谷が中央に立っての後半の動きも、なかなかよかった。軽やかな笑顔の魅力がうまく引き出されていて、気持ちのいい作品だった。
 
 藤森美貴子「Harriet Lies」は、まず指の細かい動きが印象的で、観客の視線を一点に集中させることに成功した。シリアスな空気の流れる作品の中で、かすかな笑顔や、腕を身体の芯に引きつける強い意思を感じさせる動きや、全身をガクガクと落としていく感情の振幅を表わす強い表現が印象的で、強い表現力を持ったダンサーになっていたようだ。そういう表現ができる身体を生かして、やや黒めのトーンにきっちりとまとめた、とてもいい作品だった。
 
 金愛珠のソロ「W face」は、大きな打楽器の音から非常にいいテンポに始まり、仮面をつけた上での強い動きが印象的だった。鬼か物怪を思わせる民族的なテーマかと思われ、仮面によって何ものかに成る/戻るという変異があるかと思われたが、そこへ展開するには及ばなかったようだ。おそらく、音やリズムから創っていった作品ではないかと思うが、その意味では非常によく音の流れや刻みをつかんでいたと思う。
 
 池主雅夕のソロ「Bloom where God has planted you」は、優雅で美しい姿と動きで、音をきっちりと捉えて、音の区切りでの身体のキックが強さを与えて印象的な作品。タイトルはおそらくシスター渡辺の「置かれた場所で咲きなさい」からだろう。欲をいえば、動きを収める時の抗うようなキレ、最後の最後にもう一押しの強さのようなものがほしいと思ったのだが、そこを押さないところが池主の上品さなのかもしれない。
 
 岡庸子「あ、うん」は、下級生の市村麻衣、加藤美央とのトリオ。市村と加藤がオフバランス気味の自由な動きをとる中へ、シャツが投げ込まれて、岡もダイブしてくる。コンテンポラリーらしい始まりで、岡のダンサーとして、享受者としての様々な経験が実っているように思えた。続くユニゾンでは、チーム島﨑らしい、音楽に乗った重心の低いきれいな動きを見せた。3人という最小限でのフォーメーションの工夫、3人の個別性の描き分けがよくできていたと思う。市村と加藤がほぼ無表情で終始したのに対し、岡に表情があったのは、コントラストかもしれないが、どうだったのだろう。
 
 佐藤絢音の「Regulus」は、下級生の奥西れいとのデュエット。バッハの無伴奏チェロのリミックス(The Piano GuysのおそらくThe Cello Song)に乗って、アクティングエリアを大きく小さく自在に伸縮させ、多くの動きの要素を詰め込んで、豊かな多様性と同時にまとまりのある作品になった。2人のダンサーのアンバランス(身長差等)もあって、並ぶだけでズレが生じるというのもいい選択で、2人のコンタクトも爽快だった。希望と喜びに満ちた作品で、見終えて気持ちよかった。タイトルは獅子座の一等星。
 
 杉田亜祐美「星降る夜」は、同期の金、佐々木、小谷と杉田によるもので、4人が客席に背を向けてユニゾンからカノンに入って始まり、ポジショニングも動きもとてもきれいだった。美しさと同時にとてもクールな面があって、作品の温度や湿度をきちんと踏まえられているように思えた。これはなかなか難しいことだ。4人の個々のフォルム、動きの美しさを的確に引き出しつつ、自身の世界観をきっちりと打ち出せた作品だったと思う。
 
 川原美夢のソロ「Atomatitoo」は、無音の中、胡坐でこぶしを叩いたり床を叩いたりして、やんちゃなコンテンポラリーらしいいい始まりだと思っていると、いきなりブラームスのハンガリー舞曲が入った。音にあわせてずんずん進めていくのだが、少しコミカルな動きをしたり、コケティッシュな表情になったりと、次の展開が読めないところが面白い。突然笑い出し、ゴリラのように歩く。破調のある動きをどんどん繰り出していくのだが、それによって作品としてバラバラになっていくのではなく、自然に求心的にまとまっていくのがいい。破綻や逸脱ということをよくわかった上で、それらを包み込む大きさを持てているということだろう。数年間の彼女の集大成的な作品だった。
 

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宝塚歌劇団星組「大海賊」「Amour それは…」 

2015年7月4日
 
「大海賊」 作・演出:中村暁
「Amour それは…」 作・演出:岡田敬二
 主演:北翔海莉、妃海 風
 
梅田芸術劇場
 
Daikaioku
 
 柚希礼音・夢咲ねねの退団を受け、星組のトップとなった北翔海莉(ほくしょう・かいり)、妃海風(ひなみ・ふう)の事実上のお披露目となる全国ツアーの大阪公演。全国を回って最終地が大阪ということで、十分こなれた上で本拠地近くの上演となり、真価が問われる公演となったといえよう。
 
「大海賊」は2001年、当時の月組新トップスター紫吹淳(しぶき・じゅん)のお披露目公演として上演されたもので、北翔もこれに出演していた。カリブ海の小さな島の青年貴族エミリオ(北翔)が、イギリスの元海賊で軍司令官エドガー(十輝いりす)の非道な仕打ちに、最後は復讐を果たすというシンプルなお話。大雑把にいえば、エミリオの成長と闘争の物語であり、エミリオの少年から成人するまでの人間的成長、演技の変化がポイントとなる。成長の過程で、貴族の子弟から復讐のために海賊となったエミリオが、その首領になっていくという設定が、新トップ就任という現在の立場と重なるというのも興味深いところだ。
 
北翔、立派なものなのだ。以前から評価されているように、三拍子も四拍子もそろっていて、非の打ち所がない。それだけに、破綻というか、破裂的な凄みが出てくるかどうか、それは脚本や役柄にもよるだろうが、そんなものを欲してしまう。どこが、何がとは言いがたいのだが、「もっとできる、できるはず」と思わせてしまうところがあるように思うのは、ぼくが貪欲すぎるのだろうか。
 
同じくトップ娘役になった妃海は、トップ就任発表前後から急に、化粧を変えたのか表情に艶が出て、俄然美しくなり、上品さが出てきた。歌も演技もうまく、ダンスも問題ない、愛らしいいい娘役だ。変な言い方だが、いい意味で安定感…安住感という言葉を作ったほうが近いのだが、そういうものがないのがいい。不思議なことだが、トップ娘役になったことに、戸惑いを持っているように思えてしまうところが、演技に生かされている。自分の置かれた立場への、淡い違和感を抱えながら、受け入れざるを得ないという感覚を巧まずして表現できる役者は、なかなかいないのではないか。
 
海賊というチーム芝居でもあり、若手にも大きな役がついた。キッドの礼真琴(れい・まこと)が、海賊らしい荒っぽさ、スケールの大きさを出せていたところがいい。敵役の十碧(とあ)れいや、厳しい表情を的確に見せ、昨年末の『アルカサル~王城~』で格段の成長を遂げたのが、うまく繋がっていたように思う。
 
ショーの『Amour それは…』は、2009年の大和悠河のサヨナラ公演。率直に言って、こんなにいいショーだったかと、驚いた。岡田敬二のロマンチック・レビューは、もうこの時代には合わないのではないかと思ってしまっていたのだが、きっちりと実力のある正統派が芯を務めれば、ちゃんと求心性のある締まった舞台になるのだと感心した。中盤の北翔の客席に降りて懐かしいポップスをメドレーで歌う場面では、彼女のちょっと古風な正統派ぶりが、宝塚のコンサバなファンにはちょうど心地よいエンタテインメントとして成立し、もちろんトップ就任を祝う空間として、完璧に一体感を作れていた。
 
繰り返しになるが、果たして「がむしゃらな北翔」を、ぼくたちは観ることができるのだろうか。
 
 

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